ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

マリトッツォ

一応経営者である。

 

バカなので勘だけで生きているのだが、子育てが終了したあとの喪失感で必ず鬱になると確信したので、先手を打って起業した。

 

‥あと、本音を言えば年下の上司に使われる人生が嫌だった‥そう、私はバカな上にプライドも高いという二重苦を抱えている。

 

で、この直感というか先見の明がオイラにはあると自負しておる。

 

業種としては飲食ともう一個全然違う業種なのだが、この飲食って常に変化し流行を追うのでめちゃくちゃ面白い。もう一個は面白くはない‥。

 

物販や服装にしても、髪型やスイーツ。

全ての流行に精通しているのは、プチプラ店のアンテナの受信力ハンパねぇ。

である。

 

たとえばアパレルのhoneysやguの色やデザインの先取りの速いこと速いこと。

色や形を取り入れて商品開発に回し、販売までどこか端折っていねぇか?って疑いたくなるほど早い。

 

周りが取り入れ始めた頃には売り切ってて値下げし始めるほど。

たまに先行しすぎた不発もある始末。

 

まるでカルディの季節物の先行販売が如く速い。

 

カルディはハロウィンとクリスマスにアホほど力を入れているわけだが、通常の物販店で10月31日のイベントものを9月から置くところ、カルディは8月中からじわじわ置き始める。

 

そのため、肝心のイベント前後には完全に売り切れていて、ハロウィンなのにクリスマス商品が置かれているほどだ。

 

これもカルディで働いていたとき学んだ戦略のひとつである。

 

なので、じわじわ来てるって感覚を先に受信できたら勝ちなのだ。

 

主人は経営者のセミナーに通い、まともに勉強したそうだが、私は過去にも語ったが勉強できない体質だ。

 

主人の説明がよく分かんないからざっと言うと、ピークに近づいたとき、ドピーク、下降線。

の、どこにターゲットを絞るかで対策を変化させる戦略だ。

 

この販売戦略の考え方が直感だけの私のやり方と、マニュアルがほぼほぼリンクすることが多い。

 

主婦として生きていて感じた直感だけなのだが、例えばタピオカやパンケーキ。

 

最初に目を付け販売するのは都内のそこそこ名のある個人店。

そこから話題になり、昼や夕方のテレビで取り上げられて、全国に知られる。

 

annannなどで特集されればレールに乗っかったも同然だ。

そのうち狭い店舗での専門店が増える。

ここまでくれば一応ブームだ。

 

で、これが都内だけで終わるか。広がるか。

綿あめとポップコーンは都心部だけでコケた。

 

大手チェーン店(ファミレス・ファーストフード)やコンビニが取り入れれば一大ブームなのだが、この商品開発が大手はいつもいま一歩遅い。

先で言う「下降線」 でぶっこんで来る。

 

行列は顧客のニーズと提供数が比例していないから起こる。

だんだん普及してくると、プレミアム感が薄れて衰退する。だから流行が終わる。

 

この両方を長期的に獲得しているものが、「ザ、シンプル」である、食パンや焼き芋などのニーズである。

 

この法則に当てはまるものを主力におけば、専門店で食っていける。

 

この安パイである商品は、一発屋カヌレやクイニーアマンなどとは違い、本当にシンプルなものが多い。

そしてそれに価値を見出すお客様もシンプルで、同じ商品を扱うお店が例え両隣であっても、ブランディングに成功した店舗のみ並ぶ。

 

この店のこの品物。

並んででも、遠くからでも食べたい!は強い。

 

この消費者ニーズをキャッチし、繋げるって結構博打だ。

当たるも八卦当たらぬも八卦というか。

 

で、今みんなが期待しているのは「タピオカの次」である。

 

これを当店は2ヶ月ほど前から予想し、商品開発をした食べ物がある。

その名もマリトッツォ。

 

今でさえコンビニでも売られているが、これに着眼点を付けた都内のパン屋さんだっけな?の、主人は商才の持ち主だ。

 

まず、このマリトッツォの名の由来から素敵。

そしてこの利用の仕方がまた素敵。ジューンブライドにも精通。

 

で、朝食にテラス席で朝刊片手にエスプレッソを飲むのが定番。

が、今の世のソーシャルディスタンスで素敵。

 

ビジュアル。たまらん。映えすぎ。

値段。安っ!

 

原価。アホほど安い。

わりに、ベースがブリオッシュなのでこだわる程美味い。

 

テイクアウトできるし、食べ歩きの宣伝効果抜群。

パン屋がその日のうちに提供できる手軽さで、さらにアレンジ無限大。

 

無敵だ。

 

っていう野生の勘を頼りに絶賛販売中。

 

カルディがバズったおかげで、うちも認知度うなぎ登りで毎日粘土細工のように大量に作っている。

 

一時期、次点で台湾カステラとかバナナジュースがキた気がしていたが、いかんせん不発であった。

これもなんとなく「これは来ねぇな」って思った通りだった。

 

分析してみると今の世の中の風潮ともリンクすることがわかる。

まず、バナナとカステラは品質管理と量産が難しい。

 

作ったあとの寿命も短命なので、バイトの負担も重い。

 

私の中でオペレーションの神はマクドナルドとオリジン弁当だ。

 

前者は言わずものがな、キッザニアで幼稚園児だってできるだろう。

 

後者は調理を必要とする職場でありながらオペレーションが上手く、未経験でもすぐに同じ味を量産できる。

また、リンガーハットのベルトコンベア式の調理台も目からウロコだ。

 

つまり未経験者がタイミーで来ても即戦力になるオペレーションが人手不足の今、すごく問われる。

 

今で言えば焼肉ライクは、業界中してやられた方式。

 

店員はおろか、客を店員として利用する。

つまりホールが要らない。上に、一人焼肉なので、もはやキッチンも要らない。

 

ちょっと前は居抜きで店舗数を増やした、けんのやり方が画期的だと思った。

 

うちは個人店なので流石に工場発注できず、殆ど手作りでメニューだけは手がかかってしまう。

なのでなかなか経営だけに回れず大変なのだが、逆に簡素化されたオペレーションでは無く手作りでリーズナブル。

が受けていてファンとリピーターがものすごく多い。

 

ウーバーイーツなんかリピート回数がその都度カウントされるのだが、ほとんど毎日リピーターばかりで回っている。

 

うちは付け合せの惣菜をロス対策と同時に進行するため、副菜がメイン級のクオリティで毎日違う。

要は消費期限を短くし、食べれるうちに惣菜にして回すのでロスがない。

 

その上メインをちょっと味見できちゃうので、宣伝効果絶大で次に頼まれがち。

 

毎日お弁当や外食の方はマンネリ気味なので、この付け合わせのバリエーションが多いほどリピートされるのだ。

今ウーバーイーツを初めて半年ほどだが、何と毎日頼む方も一人や二人ではない。

 

‥という顧客のニーズをキャッチする感だけは鋭い気がする。ホント。

 

 

私は片目が生まれつき弱視で視力が弱い。

 

なので視覚障害者の方の感覚が鋭いのと同じように、見えづらい左の感覚が多分通常より研ぎ澄まされている。

‥と思う。左は反射神経もよく落ちる前に拾えるし。右は無理。

 

だからなのか、強豪校のソフトボール部で初心者ながらファーストレギュラーも取れた‥。

どこから投げられてもなぜか取れたから。

 

脳は足りないものの代わりに何かを代用して補うという。

 

例えば脳挫傷で司令塔である前頭葉を損傷しても、何かが補い合って正常に近い状態の活動ができたりする。

 

プラマイゼロというか。

 

こんな感じの感覚の鋭さかな。

と、勝手に自己分析している。

 

 

つまり私は精神的にアレだと診断され、離人感が強い。

物事を客観視したり、先読みをして慎重に行動する傾向がある。

そしてこだわりが強く、ルーティンが多い。ので、変化に敏感だ。

 

何となしに世の流れの風潮を察知してしまうのは、これが存分に生かされているんかな。って思う。

 

足りない部分を補ってプラマイゼロにしようとしているのでは。と。

あとは、資質だけど短気なので行動が早い。

 

ひとつやってるときには、ふたつみっつ先を考えている。

 

‥ので、車の運転に向かない‥考えに集中すると、体で覚えたルートを走ってしまうからだ。

さらに先を見据えすぎて脱ぎながらトイレに行くとか。

 

 

だから「コレ」かな‥って漠然と思った。

 

 

脱線したが、このマリトッツォ。

上記の通り、過去の流行ったスイーツ並みに単純で販促向きだ。

 

 

どこまで続くかはあなた次第である。

 

マウンティング

わくわく動物ランドとかムツゴロウさんをよく見ていた。

なので、真の意味合いの印象が強く人に使われるとちょっと抵抗がある言葉。

 

マウンティング女子。

 

これって私そのものでは・・と、思いつつ、思い当たる人もたくさん。

 

でも、この定義って誰にでも当てはまらない??

 

そもそも承認欲求ってあっていいと思う。

これを避けていたら、個人を尊重するものすべてを否定しているような・・。

 

要は押し付けが嫌なだけで、個人が「私はこうなんです」ってアピールしようが何だろうが勝手では。

だからインスタが流行っているのだし。

 

分野ごとに承認、非承認と対応を分けるのも差別では。

 

イコールなんでも良い。

ではないのだけど、空気を読め。ということなのだろう。

 

私も理屈っぽいし、自分には自信がない。

だから、自分の存在意義を誇示しようと必死にもがいている。

 

でも、みんなそうだと思ったけどな。みんな完璧な人生歩んでる?

 

そもそも子どもが親にかまってほしくてする行動は全てマウンティングだ。

「見て見てーー」「すごいでしょーー」とか。

 

意図しているわけではないが、気を引きたい。

かまってほしい。「すごいね!」って言われたい。が、満面に出る。

 

良いと思う。

 

もちろん、友達にされると嫉妬もあるし余計なイライラが付加されて全部いやだーーって思いがちだけど、そう思う相手ってそもそも嫌いじゃない?

 

みんな違ってみんないい。AC-だ。

 

認め合う文化も出来たらきっといいんだろうな。

 

大きな心があれば・・。

今の私はきっと無理だ。ロンと一緒で感情がコップ一杯分だから。

 

マウントされて嫌な思いをするのは嫌だけど、だからと言って自分の知識や自慢をしてはいけないわけではない。

 

誰でも自慢したい。認めてほしいし、いいねが欲しいから自己掲示欲全開でツイートしたりするわけだ。

 

どちらかというと、いいねの馴れ合いのほうが私は嫌いだが、相手がぶっこんで来たら私はその上をいく。

 

でも飽きたら辞める。

 

きっとそれくらいでいい。

 

マウンティングする人は承認欲求が強くて、自分に自信がないという。

される人はどうだろう。

 

される人も嫌悪感を抱くのであれば、自信がないのでは。

 

何か実績を誇示すると負に向くのではなく、お互い高めあうようなポジティブな環境がちょっとほしい。

 

トリエンナーレのような。

何回か行っているのだが、現代アートはいわばマウント嵐だ。

 

みんながしっかり自己表現して、来場者がみんなでその功績を称える。

 

実際そこにはすべてがあって、人という生き物が想像しうる良いもの、嫌なもの、存在するもの、しないもの。歴史に沿った展示、自分よがりの忖度なしの世界。

 

これらをみんなが理解しようとして、評価する。

 

こんな世界であればいいなと思う。

実力を実力として平然とひけらかせる世の中に。

 

きっとそれが「価値ある人生」である。

 

 

 

 

でも、これもマウンティングですな。うひひ。

 

親として

先日息子と公園へ行ったら、たまたま息子を知ってる女の子にあった。

一緒に遊び始めたので、勇気を出して自分から話しかけてみた。

 

私から話しかけるのは非常にレアだ。

 

幼稚園の話や習い事について一通り話したあと、帰ろう。

という流れになったのだが、二人とも楽しいらしく一向に帰る気配がない。

 

二人で公園内を走り廻っていたのだが、付いて回っていた私達を女の子が一瞬追い越したかと思うと、前から走ってきた小学生の乗った自転車と正面衝突してしまった。

 

息子は私の後ろにいたので大丈夫だったのだが、ぶつかる瞬間スローのようにどうぶつかってどう転んだかを記憶していた。

 

とっさの時どうしようもないなら、せめて頭を打っていないか、手や足を折るほどの衝撃だったか、すごい集中力で覚えようとする自分がいた。

 

多分、この世の中の親は全員そうするだろう。

目をそらしてはならない。

 

それを痛感したのは、次女がひきつけを頻繁に起こすようになったときだった。

 

熱性痙攣というものがあるのだが、大体が一生に一度、赤ちゃんのときに起こして終わる。

 

ただ、稀に何度も痙攣を起こすタイプの子がいて、これが次女だった。

 

脳波を調べたり、救急で運ばれたりで、5歳までに収まらなければてんかんの疑いが強いと言われた。

 

てんかんを持つ知り合いを知っていたので、旅行や運転もできなくなったり様々な制限が付くことを知っていた。

 

結論、合計7回の痙攣を起こしたが、大丈夫だった。

 

子供が痙攣を起こしたとき、親は観察をしないといけない。

突然手足を強張らせ、目をひん剥いて泡を吹いて固まり小刻みに震える娘をただ見ていることしかできない。

 

次女の特徴は熱が40度を超えた瞬間始まる。

子供なんかあっという間に高熱になるので、だるそうだね大丈夫?を、すっ飛ばしていきなり倒れる。

 

キツかったのは長男が元気に熱っぽかったので、薬を貰いに行こう。と、自転車で移動していたときに痙攣を起こしたときだった。

 

長男が乗っていたのは、14年前の自転車の前イス。

手足が伸びちゃって狭い前のイスに引っかかって抜けなくなり、道端で立ったまま収まるのを待つ感じになってしまった。

 

次女が後ろに乗り、長女が歩いていた。

痙攣中で道端で固まっていたとき、長女の友達が話しかけてきた。

 

「何しているの?」と。

 

長女は答えた。

「今痙攣中なんだ。」

 

···平和か。

 

友達は「ふーん」と言って行ってしまった。

 

この状況、一人っ子の親なら信じられないだろう。

···そう、こうやって親は何か大切なものがぶっ壊れていく。冷静を保つために。

 

普通の痙攣なら1分以内に終わる。

本来は横にして気道を確保。動かしてはいけない。

 

手足の硬直を見て、黒目が右か左かを確認する。

見ている方の反対の脳が原因となるからだ。

 

そしてひたすら時計を見る。

1分超えたら救急車だ。

 

痙攣している子どもの姿は親としてもこの世の地獄で、痙攣では死なないと言われていても、苦しそうな顔をただ見ていることは本当に辛い。

 

でも、そうやって腹をくくる事を経験していたので、それから様々な病気や怪我があったけど、それなりに正解を導くことができた。

 

母は強しである。

 

本当の窮地でも冷静である自信はない。

でも、状況を把握しなくちゃとしようとする自分は、やはり母なんだと実感した。

 

女の子は横倒しになった自転車の下敷きになっただけで、当たってはいなかった。

でも、転んだ自分の上に自転車が乗っかって、すごく怖くてびっくりしたと思う。

 

瞬時に泣いたので、安心した。

 

その自転車の横で、小学生の男の子が「いててて···」と言っていたけど、無視して力付くで女の子の上に乗る自転車をどかした。

ついででごめんね。大丈夫?とは言ったけど。

 

男の子だって不意打ち食らったわけだ。

交通事故ならこんな温情ないが。

 

その瞬間、固まっていた女の子のお母さんが駆け寄り、第一声が

「何しているの!!危ないでしょう!!勝手に行ったらだめだと言ったじゃない!」

そして男の子や私にひたすら謝り始めた。

 

 

女の子は大声で泣いていた。

 

 

何だかすごく悲しくなった。

 

そんな時はめいいっぱい子どもを抱きしめて良いんだよ。

って思った。

 

そして謝るなら子供に謝ろう。

ママも気づいてあげなくてごめんね。痛かったね。って。

 

きっと私も長女や次女のときなら、子供より周りに気を使うだろう。

だって凄く一生懸命だったから。

 

···今は一生懸命でないというわけではなく。

 

その女の子のお母さんもきっと真面目で、我が子を一番に抱きしめたかったのに、うちの子のせいで男の子を加害者にしてしまった。

とか、泣き声で回りがみんな見ている!とか、余計な雑念に対して瞬時に最大限の気を遣ったのだろう。

 

もちろん、大変なことになる可能性がある事だ。叱っていい。

かなり強めに叱っていい。

 

でも、今、この時聞けるか、インプットできるか、そんな事より今、それが必要か。

 

つくづく子育てって難しいなって思う。

 

正解がない。

思い返したり、客観的にならないとわからない。

 

でも、「あの時」には絶対に戻れない。

 

私も目の前出来事にどう言っていいかわからなかった。

 

大丈夫?痛かったね。

 

と声をかけるのが精一杯。

大丈夫なわけがない。

 

あとは、私が大丈夫?大丈夫?ってそばにいても、相手は私に気を遣ってしまうと思い、早めに離れた。

お子さんに集中しなくてはならない時だ。

 

当たり前だけど何もできず、何もしてないのに罪悪感があり、どうしようもない気分が渦を巻いていた。

 

去り際、すっかり忘れられていた我が子が、路肩の花をつんで、女の子に差し出した。

 

 

···大正解を見せつけられた様で、隠れて泣いてしまった。

 

 

まだ心配でならないが···。

 

 

 

公立私立幼稚園保育園の経験からの・・

実は末っ子はインターナショナルスクールに通っている。

 

家族全員純日本人。

親の学力レベルは低い。

 

 

 

・・意味がない。

 

 

 

・・話題が終わってしまう。

 

そもそも入れる動機が不純だった。

 

待機児童で2年待っても順番が来ないので、いったん離婚するか知り合いの市議会員に頭下げるか、来春開園予定の園の考査をダメもとで受けるか。

 

1番目も2番目ももはやネタだが、子連れ営業はそれくらいしんどかった。

なによりDVDばかりになってしまう我が子がかわいそうでならなかった。

 

・・で、3番目が選ばれた。

 

用意したのはひとつ。

質疑応答の練習でも前知識でもない。

 

4万円のお受験スーツだ。

ダイエーで買った・・。

 

インターナショナルスクールの幼児園は珍しいので、案の定、考査の倍率も高く、次男も飽きちゃったので主人とあやしながらの面接になってしまい、4万円ドブに捨てたねぇ・・と、どうしようもない会話をしながら帰った。

 

まあ、動機がどうしようもねぇから仕方ないが。

 

でも受かっていた。

結論、2歳前の子どもがぐずるのは仕方ないとして、その時の親の対応力を観察していたそうだ。

危ねぇ・・よかった。常識的で。

 

よし、受かったからには男の子だから学力面で強い子にしよう!と、無理矢理シフトチェンジし、せっかくだから小学校も受験しちゃおう!と、子どもの未来に期待を寄せたりした。

 

でも、現実は考えさせられることばかり。

 

教育と保育を兼ね備えた「幼児園」では、通常幼稚園の9時~14時保育と通常保育園の9時~17時保育を合体させたような施設であり、9時~17時で保育時間が長い。

 

さらに時間割で仕切られ、子ども達は年少少(2~3才)から各種カリキュラムをこなす。

 

完全に下界と閉ざされ、連絡事項など全てが専用アプリサイトで更新されるだけで、担任と話すのにも事務を通さなければならない。

 

親の役員、係り一切なし。

送って迎えに行って終わり。

でも60%近くが通園バスなので、園に来ること自体が年数回・・なんて方もいる。

 

・・親同士もほとんど交流が無く、子どもの友達も写真で見るくらいだ。

 

バーチャルだ・・仮想現実のような園で、通わせていて全然楽しくない。

 

こんなところなので、お金持ちと中国人が非常に多い。

双子が一組もいなくて、一人っ子が90%以上。

 

インターナショナルスクールなのに、中国人以外の外国の方を見たことが無い。

先生は各国のネイティブティーチャーだけど、親が純日本人なので意思疎通ができない。

そして肝心の我が子も宇宙人。

 

 

・・伏魔殿のようで中で何が行われているか全くわからない・・。

 

 

何かあっても事務所を通して担任に伝えられ、事務所伝いに返答される。

親同士のつながりも浅いので、「way?」が「way??」のまま事が済んでしまう。

 

これが現状だった。

 

どうしたもんか。つまんない。一番楽しい時期なのに。

 

先生のゴシップや噂話も、ボスママへの悪口大会もない・・不倫もバレない・・。

それどころかボスが発生しない条件である。

 

程度の低い主婦向きではない。

うっかり噂話で盛り上がろうもんなら、本人ではなく弁護士が出て来るんじゃないか。

 

私は上の子ども達の時に、公立私立の幼稚園、公立私立の保育園を全部経験している。

かなり少数派ではなかろうかこの実体験で、今の園への疑問が増幅中なのだ。

 

 

今ならわかる。

イギリス王室とダイアナ妃の子育て概念の相違が・・。

 

 

一部のハイソは習い事も普通ではない。

イオンのカルチャー教室ではないのだ。音大まで行ってチェロとオペラを習うそうだ。

 

・・チェロより小さいのに・・。

 

バレエはリモートで、スタジオに改造した自宅で海外のプリンシパルに直接教わる。

 

残念だが仲良くなれそうにない・・。

こっちこないで。

 

と、言う方たちもいるが、もちろん私のように考査だけで入れる。と、飛びついた庶民がたくさんいるのも事実。

 

生活レベルの差が乱立しすぎのブレブレな園なのだ。

 

園の方針も「幼稚園」というか「会社経営」のようで、実績が伴うかは一期生なので謎しかない。

ただただ事務方のプレゼン力は年々強化される。

 

でも、親はそれでも一生懸命園に馴染もうと考えを曲げ、努力しているのだが、いかんせん浮世離れしたカリキュラムが多い。

 

4歳の日本人が英語で絵本の紹介をしたり、ディベート対決とかもあり、ある程度ついていけないと進級できない事もある・・。

野次馬根性の私にとっては由々しき問題だ・・。

 

例えばこの先お受験をして、ハイソがハイソにまみれてハイソに育つのであればいいと思う。

 

でも、お受験クラスは一学年に10%くらい。本気のお受験組はもはや外部に通っている。残りの80%くらいは公立の小学校に進学する。

 

と、言うことは「混ざる」わけだ。

 

これの備えはできているのか・・と、問いたい。

 

ブランコも砂場遊びも鉄棒も園にはないのだ。

工作の時間や、通常のお遊戯も歌もない。

 

ここで培われる情緒を育てる経験値は果てしなく無いに乏しい。

 

ただ、字も読めて書けて、本も読める。英語も理解できるし資格も取れる。

・・が、低学年に必要かは謎だ。

 

幼稚園、保育園でも実しやかに言われるのが、「協調性と学力の差」である。

つまり、幼稚園は教育も伴うが保育園は主体が保育だ。

 

これが小学校で「混ざる」と、クラスで落ち着かない子ども達のうち、上位を占めるのが保育園組となる場合が本当に多い。

 

で、これをディスっているわけではなく、何年かして慣れると、保育園組も協調性などしっかり学び朱に交わって赤くなる。

 

なので中学年以上では情緒や理不尽など、人間性主にを学んだ保育園組が頭角を現せたりもする。

要は良くも悪くも対応力があるというか、臨機応変な子が多い。

 

幼稚園組は可もなく不可もなく、すぐに馴染めるしそつなくこなせる。

ただ、自分を出してよい!と、タガが外れると、いったんぶっ壊れて反抗期になる子もいた。長男もそうだが。

 

でも、みんな卒業するころには一直線で、学力の差も塾に行っているから頭がいい。だけでなくなる。

 

中学に入ると協調性どころか、服装も生活態度も個性が潰されるのでここで一生懸命努力できるか、できないかでその先が凄く変わる。

 

高校は好き勝手やり、大学を意識したときにスイッチを入れられればそれでいいと思う。

 

そんな教育方針・・というか、流れを体感して出した持論がある。

あくまでも私の個人的な見解だけど。

 

ということは、この次男の通う特殊な幼児園上がりの子ども達は、公立小学校で「混ざった」時にどうなるのだろうか。

孤立しないだろうか。

 

難点はもう一つあり、先に書いたように60%近くがバス通学で県境越で通う子も多い。

普通の幼稚園であれば、園の大半が同じ学校に通う安心感があるのだが、ここの園の子たちは各地に散らばるのだ。

 

もう転校生同然のクラスになるわけだ・・そして、浮世離れしたハイレベルな教育を受けた子が、娑婆と同じ感覚で過ごせるのだろうか。

 

一見、良い幼稚園に合格し、高い教育を受け、親の出番もなく、運動会もヒールやスーツで体育館の2階から見下ろすだけのSHOWである。

 

これを「楽で幸せ」と受けるか、娑婆とのギャップに慄くのか、それは各ご家庭の考え方次第なのだろうが、私はもっとそのあとを考えてしまう。

 

「今、この子にとって何が必要だろう。」

という、大きな人生の流れに沿っての話しだ。

 

人生の浮き沈みは全てにおいて平等だと私は捉えている。

簡単に言うと、良いことがあれば悪いことがあり、バランスを保ち進む。

 

だから、反抗期など成長の過程で出さなくてはいけない鬱憤は、個人差があれど必ず決まった回数で噴出するものだと勝手に解釈している。

 

例えば、赤ちゃんの時の反抗期が遅いと親は楽なので「いいこね~」というバカもいるが、赤ちゃんがおとなしいということは、発達がゆっくりで物事を理解できていないのかもしれないし、親の圧力に虐げられて自分を殺しているかもしれない。

 

それはわからないし、でもそうでない根拠もない。本人だってわからない。

 

でも、「大人にとって都合の良い子」は、いつかフラストレーションが噴出する時期が来る。

 

その出方は様々で、言うことを聞かないなんて可愛いもんだ。

無視する、引きこもる、ウソ、暴れる、自慰行為、失語症、どもりもある。

 

それが他者に出してしまうのがいじめだったり、先生への反抗などだろう・・って勝手に思っている。

 

ただ、この噴出を関知して親が上手に発散させることはできると思う。

必ずあるもの。と、認識し子どもの様子を見ていれば、「来たな」が分かる。

 

例えば次女はスポーツで発散させたし、長男はあわや引きこもりそうになった時に一緒に学校へ行ったり、スポーツをして向き合うことで発散できた。

 

同じ兄弟でもどこで何が出るかわからない。

でも、子どもを見ていれば変化が分かる。

 

そんな時に私は先生にも詰め寄ったり、協力を求めたり執拗に迫るので、まぁモンペだとかめんどくせぇなって嫌われてるんだろうなって自覚している。

すいませんね。

 

でも、子どもを守るのは親しかいない。

 

親ばかで良い。と、信じている。みんな大切だから。

私なんか嫌われたっていい。

 

そのかわり、これ以上世間に迷惑をかけない子に育てて、世に送り出します。

 

これが親の責任かなと思う。持論だけど。

 

で、この遊べずにため込んだフラストレーションが学校に入ることでどう出るか、私はアンテナを張るとして、他のご家庭はどう思っているかわからない。

 

馴染めず寂しい思いをする子を大量生産してはいないか・・ちょっと危惧される。

勝手な妄想であってほしいけど。

 

もちろん時間が経てばすぐに馴染むのが子ども達だけど、苦手意識や疎外感は大人になってもまあまあ残る。

 

偏った教育は、ある分野に特化して一本化すれば有効的だが、得てして天才バカを育てることにもなりかねない。

プロスポーツでもいえる。

 

東大出ているけど使えないヤツとか、野球終わったら薬に走るとか、実家を継ぐことしか世間に戻れない・・みたいな。

 

それこそ個性といわれる今なので、どう生かすかも思案のしどころだが、柔軟な思考を培う時に教育を詰め込むのはどうかな・・って考えてしまった。

 

でもそう思ったとして、これが現実なんで、今どうするか。である。

 

で、実は流れに沿い小学校のお受験を視野に入れて動いていた。

得たものを生かしたいと思ったからだ。

 

でも、いろんなところを見て親の考え方の違いや、私立小学校の至れり尽くせりが子どものため・・というか、会社経営重視での実績を望んでいること。

子どもがこの先世間に出たときどう出るか。実る保証はない。

 

すごく覚悟のいることだなと痛感した。

 

それを一般庶民の我が子に照らし合わせたとき、そのハイソな人生がちょっと「かわいそう」と思ってしまった。

 

身の程を知る。って大切だ。

 

良い教育の橋かけは親だ。でも、やるのは子供だ。

子どもはこれを望んだのだろうか。敷かれたレールをただ走っているだけではないか。

うっせーわの歌詞みたいな人生ではないのだろうか・・。

 

色々悩んで、ある時次男に聞いてみた。

 

 

 

「ぼくは遊びたいんだ」

 

 

よし。

 

遊ぼう。それがいい。

 

 

だから来月、お受験コースを辞めることにした。

 

 

やる気が出ない(ASDだと知らなかった時代の症状丸出しブログ)

今週のお題「やる気が出ない」

 

お題に沿う。

 

今の私が失ったものといえば、ダイエット欲だ。

 

昨年の緊急事態宣言時にダイエットに目覚め、筋トレと酵素ファスティングで合計30日以上の断食をして16kg痩せた。

 

目標を達成した後の虚無が渦巻く今日この頃。

結婚式の後の結婚生活のような。

 

 

半年くらい経つけど、さほどリバウンドはしていないし、食欲もポップコーン以外は大丈夫。

 

そもそも揚げ物やハンバーグ、ラーメンなどは年のせいかさほど食べたくない。

でも、毎日豆乳と豆腐で暮らせるほど大豆製品が好きで、腹いっぱい食べてしまうクセはある。

偏食は偏食。

 

でも若干増えた原因はギャレットポップコーン2ガロンだろう・・。

11日に届いたのに、気付いたら無くなっていた。

 

3日とか・・。

 

ババでも今日も暑かったし薄着になるとお肉が気になる。

周りは年々私に興味を無くして行くというのに。

 

自分のためにもダイエットしたいな・・って思うんだけど、前よりだらしない。

 

ダイエット慣れしてしまったのか、やる気が出ない。

もはや、緊急事態宣言慣れしてしまった人の気持ちが分かる。

 

心理的にいうと拘束され自由を奪われ続けると、従順になった後、無になる。

 

 

今日も買い物をしていたら、閉まったツアー会社の前のパンフレットを夫婦が見ていて、夫が「あーー旅行行きてーー!!」と、叫んでいた。

 

旅行欲を抑制している夫はステージ2だ。

 

でも、妻は「・・なんかもう行くのも面倒くさいんだよね・・」

 

妻はステージ3だ。

終わった。

 

そして解脱をして無になる・・。さらば旅行欲。

 

このように。私自身も何かに影響されやすい。

自我があるよ!!頑固一徹だよ!!って思っているけど、たぶん催眠術にはすぐかかる。

 

それに気づいた瞬間があった。

父親に「お前は統合失調症だから、病院へ行け!」と、吐き捨てられた時だ。

 

 

酷い話でしょ。

もっと酷いのよ。言わないけど。

 

 

もともとPTSDが誰かさんのせいであるので、実生活でも「私は頭がおかしいのではないか???」と、何かにつけ思っていた。学習障害もだ。

 

何と知らないまま大人になっていたのだ。

 

就学前のテストでIQ110超えていて、学校に母が呼ばれていたけど、当時は学習障害に気付かなかったのかな・・謎。微妙にすごい私。

 

 

なんか変。

 

 

が、個性ではないレベル。

 

でも、もちろん統合失調症ではない。

実の統合失調症の親戚がいるので、煽ってきてやがるんだろうが。

 

で、20代後半くらいの時、自らガチ精神科へ行った。

様々な検査をしてもらい、小冊子くらいの問題をやった。

 

結果、色々見つかったけど要は錯乱するほどの精神障害ではなく、幼児期の経験によるトラウマというか、PTSDとか軽度学習障害とか発見された。

 

もう、雑に言えば気持ちの問題。

 

アダルトチルドレンという部類でカウンセリングも受け、内に押さえ込んでいた幼児期の記憶を催眠療法で引き出したら身の毛もよだつ事が・・と、ちょびっと聞いた。

 

全部聞いたら崩壊するから。

だから小さい頃の私は封印したんだもんね。ひとりでよく頑張った。

 

元気なババにもどうでもいい過去とか色々あるのだが、それはそれとして、そんなことをうっすら知った後の1年間、カウンセリングに通いながら私はなぜか毎日銭湯に通ったのだ。

 

 

しかも、半パネェ入っていた。

毎日6時間。

 

 

自分でも奇行だなーとか思ったけど、後から聞いたら強迫性障害という、鬱になる一歩手前の行動ね。って先生に言われた。

 

 

 

私は父に遠隔操作されているのだろうか・・・。

 

 

 

自分の意志だと思っていたので、これには唖然とした。

 

今は治ったけど、毎日お迎え時にいい匂いでホカホカ湯気が出ていたので、さぞかしみんな「お前浮気してきたな」と、思われていたことだろう・・。違うか・・。

 

無意識なのだが、何かに沿って私は行動していた。

こうしたらこうなります。の、見本のような・・。

 

変なルーティーンやこだわりもうっすら残っていて、以前は絶対バイト前は2時間前から風呂に入り1時間前には到着していないと仕事ができなかった。

 

説明はできない!!

とにかく1時間前から周りを把握しないと動けないのだ。

 

なので、仕事が長続きしなかった。

離婚してからだ。窮地に追いやられてやっと克服した感じ。

今はできる子。きっと。

 

でも、今でもそうなのは物の場所が変わるとパニくる。

この間語った助手席然り。

 

自分のテリトリーは物が1cmずれていても「あああーー!!(怒)」ってなるのに、興味のないところには埃が溜まっている・・。

 

デスクの上は物が順序だって自分ルールの定位置に置かれている・・。

 

ボールペンや手帳が机のふちと平行でないといかんのだ・・。

ミニタオルとコーヒーも鉄則。指紋とかありえない。

 

これはただのB型症候群だろうか。

 

自分が「ヨシ」とした基準値にないと元に戻すまで次ができない。

やはりこだわりが強いのかも。

 

ただ、私が救われているのは自覚があって自己分析できているからだそうだ。

これが波状するとマズい。

 

 

・・みんな私を大切にしてください・・。

 

 

そんな洗脳されやすい私は簡単に宗教に走ると思いきや、友達が家族ごと入会した宗教に連れていかれても、池袋で勧誘されファーストフード屋で2人に囲まれこんこんと説法されても、挙句の果てに両親が布教所通い始めても・・ちーん・・。

 

私は私でいた。たぶん。

 

ママ友がアムウェイ進めてきたときも、聖教新聞も断れた!!!

 

幼稚園と中学校が熱心な仏教学校だったので変な言い回しも多いし、何かにつけて感謝の心を持とう。

とか、変な自論も多いが、きっと色々あった私の結論はコレだ。

 

 

 

・・もう自分しか信じない・・。

 

 

 

だからきっともう2ガロン、ギャレットポップコーンのシカゴMIXを食べればやる気も出ると思う。

 

今はポップコーンぎれなのだ。

 

 

明日からやろう・・筋トレとダイエット。

 

 

人生そんなんでいいと思うよ。マジで。

政治の話し

政治の話しは食卓でもするなと親に言われた。

 

選挙権が持てると、親でも政党や考えの違いでもめるから。

と、いう理由らしい。

 

確かにうちも「にわか政治知識」で、日本国民として・・というより、イチ視聴者として・・という浅知識でレベルの低い話し合いはよくする。バカだから。

 

そんなレベルでも、与野党で支持政党が変わるともめる。

 

巨人阪神戦くらいもめたこともあった。

 

 だから理屈は分かる。

 そんな私達夫婦も今は同じ意見。

 

 今のニュースや国会答弁を見ていると、

「枝野さんってあんなに意地悪だったっけ・・・???」と、疑問に思う。

 

東日本大震災の時の官房長官時代の指示や対応が凄く適切で、責任感があり統率力のある方だなって素直に思った。

 

立憲民主党も最初は嫌いじゃなかったのだけど、国民の命がかかっている有事に人の揚げ足取ってばかりではないか???

 

確かに菅さんはちょっと迷走気味。

でも、追い詰めたのあなた達じゃない?と、思ってしまう。

 

菅総理はAIじゃないけど。

 

 

蓮舫のいじわるな答弁も今、本当に見たくない。

そのヤフーニュースに取り上げられまくるワードも今、笑えない。

 

 

国民に寄り添うなら、それだけ探した粗を指摘しただけで終わらせずに、だからどうしたらよくなるのかを一緒に考えたらどうだろう。

丸投げですか??

 

平和なときは監査も必要だけど、今いる???

 

ヤジも無責任で答弁がニコ動みたいですが!!

 

私みたいにワイドショーレベルの人間が知ってる情報で見てても、菅さんは叩かれながらも邁進している。

 

 

でも、野党って口だけじゃない??コロナ対策でなんかした???

 

マスクしてアルコールで手を消毒してるくらいじゃね?

 

 

人のふり見て我がふり直せって今の野党じゃない?

 

 

国民が様々な困難を我慢して耐え忍んでいるときに、公共の電波使って言いたい放題。

 

 

 

うっせーわ!

 

 

次男には、国会答弁がおじいちゃんイジメにしか見えてませんが。

 

 

みんな不安で、政治も迷走し、各地方知事たちが必死に現場を捉えて、医療従事者さん達が国民を支えてくれている。

 

こういう状況で立ち向かおうと努力している人に対して罵詈雑言を吐く輩たちの神経が知れない。

 

 

それでも菅さんは逃げてない。

 

 

色々おかしいのは島国で狭い世界でのしがらみや忖度が、足かせになっていたことが露呈されたからだろう。

 

うまい汁を吸ってるやつを一掃できる絶好の機会かもしれない。

 

 

で、まず一歩だ。

そこから脱しようと今の菅政権は十分藻掻いて、ちょっぴり歯向かって尽力を尽くしていると思う。今レベルで。

 

だって、与党ってみんなが選んだ政党でしょ?

 

 

野党は選ばれてないんだよ!!

じゃますんな!

 

国会答弁が公開処刑ではならない。

コロナの怒りの矛先は菅総理ではない。中国だ‥。

 

日本が諸外国と比べてできていないのは、ベルトコンベアーがぶっ壊れているからだ。

白の巨塔みたいな派閥とかさ。

 

肝心な時に政策を共有できない、意思疎通ができない。

強制的な法の改正も河野さんや橋本さん中心に行ってほしい。

 

そして前時代的な日本に、オードリー・タン氏が欲しい・・。

 

 

歴史をさかのぼれば財閥だって解体してきた。

今こそGHQ再結成だ。

 

 

今、緊急事態であり、変化の時であるなら、政党や県境や全てのものを超越して、見えない壁に異論を唱える時ではないのだろうか。

 

大阪府知事さんも、越境での医療を開拓している。

府知事の仕事ではない。

 

 あんなに頑張ってる人は震災の時の枝野さん以来見たことが無い。

ポピドンヨードも許す。

 

ただ、道知事もしかりだけど顔がいいだけで全国放送になるのか・・と。

 

 

山梨モデルが効果的だとされ、全国に広がりつつあるが、山梨県知事・・誰。

 

 

もとい、一方で医療がひっ迫し、一方では有り余っていては意味ないのだ。

ウィルスに国境はない。命にもそうであってほしい。

 

 

 

 

国境なき医師団がいるのに、県境もまたげねぇのか。

 

 

 

医療も国民の自粛も政治も一体となることが、この国は絶対できるはず。

 

天皇陛下万歳」の時代を思い出してほしい。

一丸となれる国民性は誰にでも血として受け継がれている。

 

ののしり合いは辞めよう。

 

窮地こそ地が出る。

 

 

 

願う先は世界中が同じ「元の世界」だ。

 

 

 

一時休戦!!!