ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

隠蔽

先日の神田さんと聖子さんの会見。

 

第一報ではどっかのクズ記者が、頭を下げるお二人に「今のお気持ちは?」と聞いている鬼畜な問いかけの声が入っていたのに、翌朝どこの局でもその声は消されていた。

 

第一報を見たあと、それでヤフーニュースが炎上したからだろうか。

 

あまりにも保身。稚拙な隠蔽。

自分たちの否は局を上げてもみ消し、他人の話題ではヨウジの隅をつつく。

 

更に許せないのは、一晩明けたら「この会見はお二人のご意向で…」という文言が軒並み付けられていた。

 

後付が過ぎないか??

 

お二人がスーパーアイドルと俳優さんだったとき、マスコミやファンは一挙手一投足、プライベートも関係なく押し寄せた。

 

時代だろうが、正直みんなまともじゃない。

 

でも、お二方はどんな時も真摯に対応した。一流の芸能人として歪んだ責務を全うし続けた。

 

それに甘んじていたのはテレビだろ。

 

そういう「風潮」にしたのも、それが同義だと追い詰めたのもテレビじゃないんですか?????本来それが常識だとか言うんですか??????

 

それを「だってお二人がどうしてもって言うから仕方なく…」

 

みたいに言いだしましたが、そもそも焼き場に報道陣が集まっていたから出てきたのでしょう???

 

 

焼き場は報道に値する場所ですかーーー??????

 

 

あまりにも…あまりにもではないか。

 

自分の家族が亡くなって、まだ温かい御遺骨を抱いて出た先にマスコミ。

 

 

それでも「隠れる選択肢もあったのにねぇ…」みたいな事言えるんですね???

 

 

お二人のご意向を映したまでがお仕事だとして、でも「これは…」という判断を持ち、放送しないという選択肢もあるだろうが。

 

プライベートはドラマじゃない。

ノンフィクションであり、超えてはいけない一線が誰しもある。

 

一生懸命「神田正輝」と「松田聖子」を「演じて」いるのが分かりません??

 

沙也加さんの問題は家族や大切な方だけの切実なもので、他人の興味本位で勝手に語られるものではない。

 

節度とか品位とか民意とか!!

 

モラルも失った集団が自分の実名隠した安全圏から、公共の電波で何でもかんでも発信しやがって「報道の自由」盾にして!

 

これがあなた方の「やりがい」で「生業」であるなら許さない。

一般人のSNSより無法地帯でたちが悪い。

 

人の生き死にには誰しも尊厳があって、そこを大切に考えるから様々なドキュメンタリーが作られて。

そういう他人の生き様を見て学ぶ。

 

でも、今回のは違うって何でわかんないんだろう。

 

何でバカばかりなんだろう。

 

沙也加さんの誕生から、神田さんが自身のお誕生日にその御遺骨を抱くまでを編集した各局の鬼畜さ。

 

 

これが今の日本のマスコミ・メディアです。

 

 

他人の事情や噂をうがった正義感で正当化する人種で、その決定権に誰も「NO」も言えず、言われたまま編集し、放送する犬なんです。

 

 

さすがに今回は職業ごと軽蔑する。

 

知り合いで居たら関わりたくない。

 

それこそ節操なく気に入らないことやネタも自身のSNSにあげてそう。と言うイメージが付いたから。

 

 

ズルイ。

 

 

 

 

あまりにもズルイ。

 

死ねマスコミ

神田沙也加さんの遺骨を抱き、会見をしていた神田さんと聖子さんを夕方のニュースで拝見して、目を疑った。

 

 

マスコミバカですか????

 

世に出して良いものと良くないものの判別は???

 

 

お二方の芸能に携わるプロフェッショナルとしての甚大な覚悟と佇まいに圧倒された。

とんでもない事だというのに。

 

 

これが日本の報道仕方の末路だとしたら、ぜひ今後マスコミの皆様もお子様や愛する方が亡くなられた際にご遺骨を抱いて会見をしてください。

 

カメラの前で頭を下げて。

 

 

 

わからないんですよね???

 

 

なら、やれ!!!!

 

世界中が好奇の目で待ってますから。

 

 

 

涙が止まらない。

心底テレビが憎い。

 

 

陰スタグラム

先日LASHがインスタグラムを辞めたニュースを見た。

 

若者に対する弊害への対処の一貫。

という感じのコンセプトで踏み切り、決断力と実行力に長けた上司がいるのかなとちょっとイメージが変わった。

 

…ただの臭い店と言うことから…。

 

もとい、実はそんなに嫌いではなくて、十年前くらいには緑色のスクラブマスクや化粧水の愛用者だった。

ああ見えて天然由来なので、肌が弱い自分には合っていたのだ。

 

とくに石鹸の匂いが好きで、ハニー何とかは常備していた。

お風呂がいい香りになるのだ。

 

バームが好きだったのだけど、取り扱いがなくなってからはいってない。

 

 

若者へのインスタグラムの弊害だが、分からないでも無い。

 

貧乏でも金持ちの一端をアピールできる。

ブスも音痴も修正できる。

 

所詮これらを寄せ集めた物しか発信していないような物なんだけど。

 

おばちゃんには発信している内容や顔が似たりよったりで、判別できない。

みんな同じ顔で同じ事をしているから特徴もない。

 

ヤマンバコギャルやパラパラとやってる事一緒。

 

こんな同調心理から除外された感を受けると、どうも嫉妬や僻みに陥りがちになるらしいが、それは本心か?

誰かのクローンになりたい?

 

これが汚れた私達世代であれば鼻で一蹴できそうなものの、10代やそれ以下、または精神年齢がアレな方たちには「自分事」なのだ。

 

これをバカみたい。現実見なよ。となだめる時代はもう辞めたい。

グローバル化がコロナ禍で蓋をされたが、個性を認める風潮に世界は動いている。

 

インターネットやSNS、リモートウンチャラに慣れ親しみ育った世代にはリアルの免疫が薄い。

周りはイエスマンばかりで、批判に弱い。

 

打たれ弱いくせに裏では空威張り。

NOが見えた途端にアカウントを消せばリセットできる。

 

この環境下でどう人間性を育むのだろう。

 

人生が脳内ゲームみたい。

リセットできる。アバターがいる。全肯定を囲み、安全圏から他人を罵る。

 

これらとリアルに付き合って行かねばならなくて、どこもかしこもビビってたり苛ついてるのがわかる。

 

住みにくい現実から逃避した世界で、おとぎ話のような虚栄を真に受けて勝手に劣等感をいだき自滅する。

 

 

…ピュアすぎる…。

 

 

安心しなよ。

現実はみんなブスでデブでメガネだ。

 

大半が貧乏アパートでフェラーリ乗ってるような生活してるよ。

 

出してる方も、見てる方も、もっと現実に目を向けて逃げずに自分を築いてほしい。

 

羨ましいっていう欲は果てしなくて、全知全能くらい何でもできるようになっても、人ってちょっとおかしくなる。

 

人と比べて劣等感を抱えるより、今の自分の幸せに感謝しようよ。

 

衣食住に恵まれ、仕事や学びの場に行けて。

道路も舗装されていて、街も清潔。銃弾も飛ばない。

 

極論そういう事。

 

 

 

劣等感ってあまりにも自己完結。

 

いったんスマホ置いてみなよ。

 

 

娼年

10年近く前、仕事終わりに一人で映画館へ行くのが趣味という男友達が、

「今日はヘルタースケルターを見に行くのを楽しみにしてたんだ。」と、話しかけてきた。

 

女優として沢尻エリカさんにさほど魅力を感じていなかったので、「へぇ、好きなの?」と聞いたら、「好きではないけど、脱ぐらしいじゃん。男なら見ておきたいよね。」エッヘン。

という感じでウキウキしていた。

 

…気になったので、私も一人で見た。

 

何というか蜷川ワールド全開すぎ。

沢尻エリカさんも「しばらくリリコが抜けなかった。」というほど…?のインパクトも無かった。

 

背景が派手すぎて頭に入ってこない。

「へぇ」と、外した。

 

リリコと言うか、最後まで「沢尻エリカってこんな人だろうな。」というイメージのままだった。

 

演技というか地を見た感じ。

 

綾野剛さんと寺島しのぶのさんラブシーン??あれ、なんだ?

ヘラヘラと締まりもなく終了。宝の無駄遣い。

 

せっかく「リリコ」というモンスターの様なキャラクターの、真の狂気や欲望、美への執着心や嫉妬、心の葛藤などの表現が映像美に侵食され、余りにも稀有で拍子抜けした映画だった。

 

冒頭の脱ぐシーンも、窪塚洋介さんとのラブシーンもいかに美しく抱かれるか、映像化するかが見えてしまい、女優として振り切れていない演技が中途半端で残念だった。

 

ただ、決してキレイとは言えない体型を差し替えずに撮った覚悟は見えた。

なにかの映画で裸体を差し替えていた大竹しのぶさんを思い出した…。

 

昔AVを見たとき、最終的に女優さんたちのスタイルの良さに感服した。体の線が凄い綺麗。

 

前の旦那に、みんないじってキレイにしてるんだろ。

っていわれたけど、そうだとしても羨ましいくらい整っていた。

 

相当プロ意識が強くないと自信を持ってさらけ出せないだろう。

 

男は行為としての欲望だけなんだろうけど、女性から見ると結構自分と重ねる。  

 

スットンキョウな声出してないかな。とか、二重顎で白目向いて無いかなとか。

一所懸命合わせながら、結構上の空で自分のことしか考えてない。

 

「美しく抱かれる」って女性として相手に不快感を与えない気遣いでもあり、マナーなのかなって思う所があるからだ。

 

ブスを抱かせるのは申し訳ないから。一番キレイな自分を見てほしい。と、下着にもこだわるわけだ。

 

それもこれも心から相手を思うがゆえの気遣いなのだが、きっと男性諸君にはミリも伝わってないんだろう…。

 

…女性は結果より経緯なのよ。

 

 

自分が歳を重ね、伴侶に恵まれ子供もできた。

 

清廉潔白であり、仏様のように煩悩に打ち勝つ精神を持ってこそ親。

 

とか思い込み、歳を取るたびに性への関心は罪ではないか。

とか、年齢で垂れた胸やお尻を出すことは相手に失礼であり、恥なのではないか。

嫌われやしないか。とか、色々悩みはじめた。

 

きっとそういうご家庭って多いと思う。

異性として見れない。家族は抱けない。きっとある。

 

でも誰にも言えない。

でも性欲は消えない。生き物だから。

 

だから携帯で不倫したり、アダルトコンテンツで満足したり横に逸れる。

 

それも場当たり的な回避策かも知れないけど、リアルには到底敵わない。

 

そんななか、イカゲーム見たさに契約したNETFLIXで、娼年を見つけた。

 

 

イカゲームは私的に面白くなかった…。

 

どちらかというと梨泰院クラスのイソの方が可愛げに溢れ面白かった。

 

 

もとい、「娼年」は、昔の友達が沢尻エリカさんが脱ぐのに興味を持った感覚と全く同じ好奇心。

 

松坂桃李さんが脱ぐ。に、期待して見た。

 

 

結論、下心ありきの自分が恥ずかしくなった。

 

 

内容的には陳腐で、また主人公の身の上も子無しのメルヘンが作った話だな。と、現実離れしていて官能小説の様だった。

 

女性には理由がある。

という何かは伝わるが、正直「なんでやねん」連発。

 

だがしかし要はそこではなく。

単純に役者として松坂桃李さんの覚悟が凄すぎて圧倒された。

 

正直、最初から最後までヤりまくっているのに私的にエロさを感じなかった。

 

松坂桃李という人の圧倒的な自然体が美しい。肉体も人当たりも。

あの中でいて透明。

 

行為そのものも、きっと松坂桃李さんでは無く「リョウ」を追求してる気がした。

知らんが。

 

…って、これが製作側が意図した見方なのか、単純に下心のまま喜ぶ作品なのかよくわからないけど、「この人凄いな」って凄く尊敬したし、松坂桃李と言う人を男としてではなく役者として好きになった。

 

完全に振り切っていた。格好いい。

 

以前「エイプリルフール」の公開時、「格好良くない役。悪い役もどんどんやりたい。」と言っていたのを覚えている。

 

松坂桃李さんは木村拓哉さんみたいに、「どの役も木村拓哉」ではなくなってきた。

 

アオハルばかりのキラキラ俳優を脱却した彼は、今後も残る気がする。

孤狼の血でも弾けてたし。応援したい一人。

 

 

娼年の内容はマニアックだけど、レスの夫婦はエンターテイメントとして一度一緒に見てみれば?って思う。

笑えるっちゃー笑える。

 

でもきっと自分の目の前にある壁に少し亀裂が入って、パートナーと近づく勇気はもらえるかもしれない。

 

受け止め方に男女差がかなり出ると思うけどさ。

 

女性としてキレイに抱かれたい。

ではなく背景も全て魅力で、歳や体型も嗜好とか理屈じゃなくて、人間って綺麗事じゃないんだ。と、私は何かが軽くなった。

 

歳をとった自分、体型が崩れた自分を引け目に思ったり、恥じるのではなく、お互いを認め合うって大切だ。

 

AV見て自分には魅力が無いしキレイじゃない…と、視覚的に落ち込むのは何とナンセンスなことだろう。アホか。

 

比較対象が裸のプロフェッショナルではないか…。

 

 

 

自分の頑固さをちょっと笑った。

 

本当の自分

今週のお題「叫びたい!」

お題に沿う。

 

今日、新庄監督の就任会見を見ていた。

 

登場時の服装でで動揺したが、出だしでフライングしていてちょっと引き込まれた。

「らしくて」良いなって。


素直に言えば50も間近でTPOも知らないのか。

とか、公式な場での質疑応答もお粗末で、子供のまま時だけ過ぎたんだな。

って残念な人に見える。

 

でもそれはそれとして、自分を貫く姿勢に全くブレがなく明るい。


非常識で嫌がらせしているわけでもなく、自己顕示欲が爆発的というか。

整形ってネガティブ要素も個性に変えてしまう。

 

きっとそれでも好かれているって、裏表がないからかな。

子供のまま時だけ過ぎたのではなく、赤ちゃんのまま時だけ過ぎたのかもと感じた。

 

彼に対しての嫌悪感は人それぞれだけど、敵対したり憎まれたりする次元にいない気がする。

 


ただ「いーなー」と思った。

 


色々な言動を見ていて薄々とわかると思うが、躁状態の彼ばかり見る。

ひょっとしたら何か持ってるかもしれない。

 

同じく何か持ってる身として、個性で済ます考え方も大事かなと思う。

 

何をしても「それは症状です」って言われるが、何でも名前を付けるんじゃねぇ!って思う。

 

確かにネガティブ要素が性格なら難しいが、症状であれば治せる。

だから告知されれば納得するが、正直「…で?」って感じなのだ。

 

そういう人、周りにもいるでしょ?って。

 

面倒くさくて付き合いにくいと「病気です」とか、自分が何かに挫折していると「病気です」とか言われると、それは病気に逃げていませんか?

と言いたくなる。


病気は免罪符では無い。

 

色んな事情でこうなりましたが、あなた方と同じ時系列で生きています。

理解できないことも個性として、妥協してくれませんか。

私も妥協します。

 

そうやってやり過ごし、お互いストレスなく過ごしたい。

 

人を全部わかってやらなくていいと思うし、全部教えなくていい。

長い人生で関わるその一瞬、何か繋がればきっとうまくやれるのでは。

 

そういう繊細な考えで「個性」を受け入れようとしているので、彼の奇行ぶりは清々しい。

 

まだ人の目を気にしてしまう自分としては、

 

「本当は新庄剛志になりたいのだ!!」

 

と、叫びたい。

 

 

 

いや、やっぱ今の無し。

 

 

斎藤茂太さん

月末から公私共に忙しく、併せてパーソナリティ障害を併発していたことが発覚。

もちろん治療はしていないので、現在進行系。

 

自分がよくわからなくなってきた。

 

20代後半よりアダルトチルドレンがベースとなり様々な診断を受けたが、だいたい乗り越えた。

 

ただ、PTSDだけはいくつになっても抜けねえな。と、悩んでいる。

 

真剣に話そうとすると涙が止まらず(楽しい会話でも、仕事でも)大きな音には相変わらず弱くて、花火大会とかクソ食らえだ。ディズニーであれ、顔が硬直してしまう。

 

とにかく顔に出るから、他人に指摘されていて気づく。

 

というかんじで症状を含めて自覚しているので、勝手に「治った!」と思っていた矢先で凹んだ。

 

良かれと思って詰め込んだ家族旅行…良かれと思って施錠確認を何回もしていた毎日…健康だと思って長居しているスパ…(違うか)そこで必死に洗い続ける私。「それは病気です」ってレッテル貼られると、「じゃあ本当の私は?」ってよくわからなくなる。

 

全てが自分の意志ではなく、見えない台本通りに考えている。

 

子どもにも、前より随分いいし自覚して治そうとしている意識があるなら大丈夫だよ。って言ってもらえ嬉しいのだが、そんな母でごめんなさい。私さえいなければ…ってまた始まる。

 

本気で自分のポンコツ加減が、他人の人生の足を引っ張っているようで面目ない。

 

かつてはその根源は父親だーー!!

と、怒りが溢れていたが、今は溶岩もしっかり固まり無に。

 

許すわけではないが、過去に囚われていたら今も無い。

とりあえず前に進むしか。

 

また、学習障害もパーソナリティ障害の一環ではとの説も浮上。

 

要は私ができないのは一部だけだ。

トム・クルーズみたいに字が読めないから、読んでもらって覚える方もいるが、私は頭に入らないから映像で記憶する。

 

でも、実際読めないわけでは無く「理解できない」が、本質で実のところ人の説明もわからないので、自分が一度勝手な解釈で咀嚼して、再度できてないところを指摘され覚える感じ。

 

つまりそこで「さっき説明したよね。聞いてないの?」とか言われることが多くて、対人関係も常に警戒心バリバリ。

地が完璧主義なので失敗は許されない矛盾も生じる。

 

疲れる。一人が楽。

 

対人関係が減り、コミュニケーション能力もスライム並みに。

 

負のスパイラルだ。

 

だから、意図してではないが起業は正解だったと思う。

全ての基準が自分の考えであり、関わる他人は取引相手か部下だ。

 

対等ではない分、気が楽になる。

余計な詮索も見栄も無いし。

 

でも、かつて病みきっていた頃。

シングルで強豪スポーツチームの保護者で役員掛け持ちして。

 

自分以外のことで翻弄してきた頃、ひたすら対人関係から回避しようと読んでいた自己啓発本があった。

 

もちろん流し読み。頭に入らず、自己満足。

 

そんな中出会った「斎藤茂太」さんの本。

 

三浦瑠麗さんが如く頭にすんなり入る文章で、何冊も何冊も買って両親にも送った。

何かを変えたくてもがいていた。

 

最近、10年ぶりくらいにモタさんの本を見つけ「新刊かな?」ってワクワクして読んでいた。

自分の生活や奥さんとの思い出がかいてあり、何だかほっこりした本だった。

 

でも、その時初めて本の帯を見て気づいた。

過去にも何度も見ていたはずなのに。

 

 

モタさんは2006年には亡くなっていた。

 

 

あんなに読んでいた(つもり)なのに気づかなかった。

認めたくなかったのかな。

 

モタさんの本は辛いときの支えで、自分を守るお守りでした。

 

 

なんだか辛い事がある時、お勧めな本です。

 

旦那、子育て4年生

先日ご来店されたお客様。

 

妊婦さんと、1歳前の赤ちゃんを連れたお母さんの3名さん。

お互い敬語を使っていたので、オフ会かなーと推察。

 

しばらく楽しく話をしていたが、食事が始まるとチビちゃんがグズって泣いてしまった。

 

立ってあやしながらなおも会話するも、更にグズグズに。

 

困ったお母さんは、子供用の椅子ごと壁際に持っていき、そこで上映していたアニメと対面させた。

 

お母さんは席に戻り、会話を再開。

ゆっくりご飯を食べ始めた。

 

 

チビちゃんは壁に向かって一人ポツンと映像を見ていた。

 

 

この様子を見た旦那がブチ切れた。

 

 

「ちょっと怒ってくる!」

 

いやまてまて…。

私は止めた。

 

すごく理解ができないことかもしれないけど、今は他にお客さんがいない。

子育てって複雑で、家族だけならできることも相手がいるとできない事がある。

 

もちろん「ダメなことだ」を、前提で言う。

 

例えば階段で遊ぶ子。

ダメしかない。危ないし迷惑だし、そもそも遊ぶところではない。

 

だから家族といるときは強く叱る。

 

でも、お友達親子が一緒だと状況がかわる。

 

「ジャンケンポン、パイナップル」とかお友達同士で始まってしまったとき。

「階段で遊ばない!」と、即座に言えるお母さんがどれだけいるか。

 

更にお友達が3人、4人と増えたとき、どれだけの方が即座に皆を注意できるか。

 

もちろんそれでも注意をする常識的な方もいる。

でも、通常時より確実に半減する。

 

なぜなら常識よりも「空気を乱したくない」が最優先になってしまうからだ。

 

自分が言わなくても、誰かが切り出すだろう。というKY待ち状態。

 

言ったら言ったで「自分のせいでこの輪が乱れた」という罪悪感も背負う。

前提でいうが、公共の場で団体で野放し状態の園児ほどマナーが悪いものはいない。

 

注意するべき親がヒヨルのを、子供もわかっているからだ。

 

で、とにかくその場を取り繕うために、本来は決してしないような非常識を「やらかす」ことってとっても多い。

 

だから、帰り際にこっそり「階段で遊んだら本当はダメなんだよ」って我が子に言う。

罪悪感でいっぱいだから。

 

つまり分かってやっている。

 

そんな事が子育てでは非常に多い。

 

自分だけなら言うけど、子どもが関わると守りに入ってしまう。

群れがちな女性ほど見て見ぬ振りをする。孤立を怖がる。

 

本題に戻るが、こういう独特で言葉で表しづらい状況が、子育てを一度解脱した私には理解できた。

 

このお母さんは本当に非常識なのか。

同席しているお友達に精一杯気を使っての間違いではないのか。

 

そんな状況が一切理解できない子育て4年生の旦那は、広い店内の端っこで壁を向いて一人でポツンと動画を見せられ座っている子供を見て、顔を真っ赤にしながら泣き出してしまった。

 

「子供があんまりだ…」と。

 

旦那が正しい。

 

でも、待てといった。

 

厨房ですすり泣いている旦那の気持ちがわかり、貰いそうになった。

 

実は旦那の両親は簡単に言うとネグレクトで、旦那は食事を作ってもらった記憶も無い。

幼稚園にも行けず、小学校で始めて団体行動に触れ、字もかけず数字もわかず教室で泣いていたそうだ。

 

…‥まさかの平成生まれの話だ…。

 

いろんな背景を知っていただけに、涙の深さが分かり心苦しかった。

 

とりあえず今は誰もいないから。

お母さんとお友達と話させて、食事を進めさせてあげよう。

 

と、なだめ、誰か来てもアレだったら行きなさい。と言った。

 

結果、私の思った通りだった。

 

他のお客様が来るやいなやチビちゃんを抱っこし、椅子も片付けた。

 

チビちゃんも端っこで抱っこして寝かせ、その後は他にもよく気を使ってお食事を楽しんでいた。

 

根が非常識な方ではなかった。

 

ただ、お友達との関係を大切にしつつ、子どもがグズって追い詰められてしまい、ちょっと手を抜いた形がアレだったのだろう。

 

この一瞬の手抜きでお母さんがどれだけガス抜きできるか。

 

理解できなくてもいい、でもこういうどうしようもない状況が子育てには絶対ある。

 

あのとき旦那が怒りに任せて注意したら…正しいことでお母さんを八方塞がりにしてしまう。

 

そして子育て0年生である妊婦さんのお友達との、大切な時間がギクシャクしてしまう。

 

全てを理解して対処するのは難しい。

実際、野放しで他人に迷惑しかかけない親もいる。

 

ただ、この人そうじゃない…って少しでも感じたら、ちょっと様子を見てほしい。

 

もちろん団体の幼児の野放しは怒鳴っていい…(涙)

 

 

伝え方が難しいけど、子育ては万能ではない。

 

見逃せと言っているわけじゃない。

注意してーって煽ってるわけでもない。

黙っててと静止しているわけでもない。

 

 

 

ただ、旦那に「あなたがこの状況がおかしいと思う人で良かったよ」と伝えた。