ただの主婦

子育て、日々の事、時事、思想、ただの持論

はじまり

実は20年近く前に子育てブログを公表していた。

子育てを始めると、あらゆる分野に人間の成長を客観視した自分の持論をぶちまけたくなった。当時の私には何もなかったからだ。まあ今も薄い人間だが。

 

これは正解なのだろうか、失敗か、多数派か少数派か。

 人類の起源より接し、作り上げたこの子は一般的に正しいのか?

これが親の永遠のテーマである。

 

ネットで考えを配信をするということは主に同調を求めるため。

生ぬるい仲良しごっこばかりだが、たまに一石を投じる異論が書かれると青天の霹靂だ。

 

なぜなら、「あってるの?」と、聞いている時点で8割がた「あってる」と、自分で確信しているからだ。

例えるなら「この服どっちがいい?」と、聞いている時点で自分の意志は決まっているのと同じ。

 

では、なぜ「どうよ?」と聞くの?

と、思うが、誰しも自分が少数派だと思うのには抵抗があるし、自分の考えは間違っていない。を確認したいだけなのではないかと。

実際「いいね」の世界的普及が物申している。

 

きっと私もそんな感じで自己主張したい欲求もあり再開したが、いかんせんビビりで傷つきやすい。そのためただ書きなぐるブログは性に合っている。

 

「一方的」なんて心地いいやり方だろう。ヤフーニュースのコメント欄のようだ。

 

余談だが、幼児には「容赦なき選別」が存在し、集団の中での弱者は自然のおきてにより排除される。という残酷な試練がよくある。「いいね」どころか、四六時中どこかで素直に炎上する。

 

が、大人みたいに知恵をもって「陥れよう」ではない。野生の習慣とでもいうか。

悪気は無いので親がこまめに協調性を叩き込み、気長に軌道修正するしかないのだが、それを理解できない親同士だと非常にこの時期辛い。

 

「心外、心配、面倒、しんどい」の四重奏だ。

 

小学生になると浅知恵もつき、かつ聞き分ける能力も未熟。

親歴10年そこそこでは人間力が低く、親も子どもを乗りこなすのも難しい。

たまに足元をすくわれる。そして親歴10年の親達との絡みもどんどん架橋に入るのだ。

 

かぶった仮面が厚くなり、うっかりPTAに出ようものなら集中砲火の戦場に丸裸で立たされているかのような砲撃を方々から食らう。出なくても食らう。

 

が、これを潜り抜けると親は一皮剥け、瀬戸内寂聴さんのような悟りが一瞬見えてくるのもこの時期。精神と肉体が分離されるのだ。

 

子どもは育ち、中学生になると同調心理や集団トイレなど、「同じである」が主体に。経験が浅いほどピュアに出る。

毎日おそろいの制服に、朝礼や集団行動。個性を徹底的につぶされているのに「こういうものだ」と、割り切れる柔軟な精神力。親が離婚してもネタにできる対応力。

なのに親に関してはちょっと子育てと向かい合いすぎて、現実逃避したくなるのがこの時期。井の中の蛙が大海を求めて解き放たれ、パートが増える。

 

この小中学生での自分の立ち位置や振る舞いって、大人になっても基盤だと思う。

そこにアレンジの加わる女子高生はモンスターだ。何だか表現のしづらい「正義感」を纏い、始終アイドリングストップしているのだ。さわらぬ神に祟りなし。

 

親の存在はこの時点で子どもに飲み込まれ、海の藻屑となる。

そう、悟りの境地だ。

 

子育てをしてきてとりあえず一区切りついた。

こんな自分の意見、思想を発信したい思考は、自分の存在意義や証を誇示したいに過ぎない。

あれから20年経ち、理想をより具体的に表現できる世界となったなあと感じる。

 

誇張した生活レベルやアイデンティティの過激な主張が、インスタグラムという「半仮想現実」により普及し、もはやアバターと化した実体無き自分の存在を世に知らしめるのがステータスという状態。

 

いや、いいと思う。ブスがブスのまま我慢して生きる世界は終わった。

 

理想の自分を追求し、SNS上で演じられるのであれば、欲求だけは満たされる。

その時のリアルがどうとか、電源が切れたらギチギチの脳みそと天塩にもかけられない器がガランと残る想像もしてないだろうし。

 

せっせと終わりのない欲望に振り回され、他人の芝生を監視し、嫉妬し、自分の感情を叩き込んでやったっていいと思う。

 

だってそれが「表現の自由」だろう。

得てして美しい夢物語だけではないものだ。

 

しかし、そうしたはけ口がSNSなどであるのなら、リアルな自己表現、闘争心を現代人はどう培うのだろう。

何もないところから何かを生み出す能力は、戦後復興時代の方たちよりもとんでもなく退化してはいないだろうか。

 

確かに「今の子」って聞き分けが良く、空気が読め、NOは控えめ。衝突を避ける風潮。始終何かにビビって生きている。

 

まず、出来上がったもののアレンジばかりで創作意欲はないなと、映画やドラマを見ても分かる。まるで老舗の3代目みたいな自由さ。

 

娯楽はその時代の縮図であるので、不景気、混とんとしていればお笑いやバラエティーがもてはやされ、潤ってくると地獄が見たくなる。

これが根本的な「人間」という生物の本質であると思う。

 

20年経ち、私はいろいろなものに触れ経験し、酸いも甘いも感じてきた。

 

結果、スマホを持たない人間になり果てた。

たまピッチを卒業して以来、ずっとガラケーだ・・。これが答えだ。

 

持論だが、知らなくていいことは知らなくていいと思う。

 

LINEが発達し、親同士のコミュニケーションにも欠かせなくなった。

ひとりでは死んでしまう「うさぎさん」は結構多く、群れないと生きていけない「ひつじさん」もスマホに必死。

 

私はひとりで気楽の「おおかみさん」なので、リアルでは単独行動ばかり。

重要なときだけ連絡が来て、他を共有したりどうでもいい議論も知らないので、時が過ぎ一通り全員の化けの皮が剥がれたところで「うさぎさん」にまとわりつかれ、結果「ひつじさん」まみれになる人生だった。

 

客観視しては、「おつ」と、心の中で思っていた。

 

台風が過ぎれば「ひつじさん」たちはリーダー的な「牧羊犬」に引っ張られ、瞬く間に消え去り、また私は一匹狼。そんなことの繰り返し子育て人生だ。

 

ひとりっ子の私には20代、大学生、中学生、幼稚園の四人姉妹兄弟の子ども達がいる。

 

長女はもうすぐ出産。次男は幼稚園児で「おじさん」だ。

20年以上子育てをし、今でも子育て真っ最中。そしてババになる。

 

そんな私はただの主婦である。