三浦瑠麗さんが大好きである。
はじめて見かけたのは、去年か一昨年か・・?
「とくダネ」に出演されている姿を見て、そのファッションに驚いたのがきっかけだ。
奇抜というか海外セレブのようなハイセンスで、アイドルのような何というか。
とにかくどういうお立場の方かわからなかった。
私は無趣味だが、30代はファッションが好きで安い服をたくさん買って楽しんでいた。
でも年と共にTPOというか、バカだからきちんとしたい。と、変に思うようになり、黒や灰色の服装に変わった。
もう年相応でないと恥ずかしい。と感じていた。本心ではないけど。
でも三浦さんは堂々とブランド服を着こなして、年よりは若い格好もしている。
自信をもって自分を主張出来ているし、質疑応答も知的で目を見てきちんと話す。
とにかく凄く格好いい。
私は多少学習障害があり、ある一定の事ができない。
まあ、これだけ文章が書けるなら十分なのだが、「勉強」が恐ろしく苦手である。
では、どう物事を理解するかというと、写真の様に目で見て全体を映像で覚えるという感じ。
なので、記憶したものはかなり詳細に絵で描き起こせる。
これを文字として読むと、途中で混乱してよくわからなくなる。表現が難しいが。
更に、人の口頭説明が理解できない。授業などで先生が黒板の前に立ち「これはこうです」と、説明している姿がすでに理解できないのだ。
何がなんで???と、皆さん不思議だろうが、そうなんだからとしか言いようがない。
一度本気で悩んで、カウンセリングを受けていた時、私は育った過程でアダルトチルドレンとか色々合併していて、とくに離人感、現実感消失症が強いと診断された。
何でも名前があるもんだ。
詳細は控えるけど、簡単に言うと「苦手意識」の塊なのだ。
だからたまに文章がおかしくても勘弁してほしいのだが。と、伏線。
でも勉強をしていない(正確にはできない)のにもかかわらず、そこそこの言い回しや語録、熟語や慣用句などを記憶している。
学校のテストはいくら頑張っても理解できず、赤点ばかりだったのに、子どもと一緒にノー勉で受けた漢検3級は余裕で合格だった。
運転免許も講習では相変わらず意味不明で、地蔵の様に座っていただけだったが、仮免、本試験合わせて満点と奇跡の1問間違えで所長に褒められた。
思い起こせばこれらも無意識に教科書を丸暗記していた。
歴史や物の名前や起源、テレビで見たものなどに関して子どもに何か聞かれればさらっと答えられる。年表全体がバッと浮かぶ。そういう感覚が自分でも不思議だ。
いつ覚えたんだろう?どこから引き出された記憶なんだろう??って。たぶんテレビっぽいのだが。
だから図に乗って「そろそろ資格勉強できるだろう」と、スキルアップを計ったら、ユーキャンの教科書でさえ呪文のように理解できなくて、挫折した・・。読めない・・。
丸暗記も自由自在にできるわけではないようで、やる気スイッチがコントロール不能。自分でやろうとしても全くできない。なぜだ。
できる子なのか、できない子なのか、自分がよくわからない・・。
こんな私が久々に理解できたのが、とても聞きやすい三浦さんの声のトーンや口調での説明。
考え方がもとより好きなのだが、言い回しや波長も合うのか、なぜか言っている事がすっと耳に入る。理解できるし、眠くない!
と、嬉しくて、出ている番組を見ては共感して喜んでいた。
たまたまアナザースカイで私生活を拝見したとき、テレビの中の話だが少しオフの顔を見れたようで、家族の考え方や夫との関係、子どもへの接し方や精査された趣味嗜好。
とにかく洗練されていて、所作や身から出る品の良さにあこがれた。
素敵な人だな・・応援したいなぁと思い検索したら、嫌なものしか出てこなかった・・。
凄く愕然とした。周りにだ。
全世界の人間はインターネットを介すると、欲望やモラル、常識や品位など、ぶっ壊されるのだろうか??
それとも、自分以外は悪魔なのだろうか?
著名人は何をされても黙るしかない世界を作っているのは誰なんだ?
あまりにも・・ではないだろうか。真実なんだろうか?涙が出て仕方なかった。
とはいえ、勝手に共感し、ファンレターまで書いて、勝手にググっていらん情報を知ってしまい、一方的に私が傷ついて泣いてるってかなりキモいが・・。
私も生きているだけで非難されたり、ネタにされたことがある。
離婚、再婚もそうだが(いずれ語る)息子を抱っこして歩いていただけで、すれ違いざまに「今の人は子供を抱っこして!!」と、怒鳴られたこともあった。
家にいるだけで隣のアパートのばあさんに絡まれて、日常的にドアを蹴っ飛ばされたり車を汚されたり。
本当に何もしていないし、知らない人。
仕返しも考えたが同じ土俵に立ちたくなくて、できなかった。
やればよかった・・。ちくしょうめ。
散々嫌がらせを受け、結論逃げるように引っ越したのだが、警察から聞いた向こうの言い分としては、私が若くて自分の気のある爺さん(70代くらい)を誘惑するから。
という、キモくて信じられない妄想だった。
しかもババアに親族はいなく、責任も取れないのでやられ損。がまん。
私は当時シングルで、昼も夜もお弁当屋さんやコンビニで働き、子ども達だけで留守番することも多かった。
市にも警察にも助けを求めたが、きっと歳で病気だから鍵かけて。
・・と、窘められただけだった。
だから何だよ!!
あの時は生活圏が限界まで追い詰められた。
訳が分からず、なんで自分ばっかり!とか、離婚した罰なんだ。
と、傷つきすぎてなぜか受け入れるしかなかった。
結局、私が引っ越した後は別の近所の娘にターゲットを変え、自宅の玄関にまで入ってきたそうで不法侵入で捕まった。誰でも良いのだろう・・。
こうやって病気?で、手あたり次第に人を攻撃してくる人もいるが、SNSや仲間内でのディスりあいって、思い込みや陥れよう、よりも「ネタになるから」だけではないだろうか。
要は「知ってるー?」と聞いた相手が「なになに?」とか、「おもしろい!」と、食いつくことが快感なだけ。
そのネタになった相手が実在するとか、みじんも考えていない。想像できない。
だから平気で面白いと思ったこと、ネタになることを一方的に拡散し続けるのだろう。
なんでそこに人間の心があることがわからないのだろう。
なんでそれが世界中の不特定多数にばらまかれていることを気付かないのだろう。
自分がターゲットになっても同じことができるのだろうか。
架空の話で盛り上がってろよ。アキバみたいに!
最近どこかのスポーツ選手も言っていた。
自分の所業を話題にしたり、論議することは表現の自由だから構いません。
しかし、現実はそこに生身の人間がいるということを、どうか認識してください。
僕は鉄でできているわけでなく、しっかりと心が傷ついています。
シンプルで分かりやすい訴えだと思う。悲しい。・・ネタになる人だったけど・・。
変な正義感というと、韓国の#暴tooなども。
加害者や犯罪者にはいかなる方法でも陥れて構わない風潮。
例えば私が被害者だとして、復讐の衝動は抑えられないだろう。根暗だし。
現に何かの被害者だった方の手記でも「人を憎む気持ちが消えないことがつらい」と書かれていたように、時が経って解決するものではない。
むしろぶり返していつでも怒れる。
微々たることだが、私も一方的にやられてきたことを我慢していただけなので、今でもその相手を見た瞬間に当時の怒りが噴出し、殴りかかれる。
あの時やっておけば・・と、何かにつけて後悔しているのも事実。
相手のきっかけは「ネタ」や「病気」など突発的だったり、一方的なものかもしれないが、「復讐」は永遠にそいつだけに向けられる恨みだ。
だからこれは「当事者同士」の話なのだ。
この話を知った誰かが「じゃあ私も嫌い。」とか「犯罪じゃん。成敗しなくちゃ。」とかいう共感、正義感、いらなくないか?部外者にとってはただの仮想現実。
こういう考えが交錯してしまうのがSNSで、この多勢に無勢が言論の自由とされているならば、当事者たちはただ外野どもの言葉の集中砲火を、立ちっぱなしで浴びるだけではないか。
ああいえばこういうだろうし。
昔からの言葉で「夫婦喧嘩は犬も食わない」があるだろう。大なり小なり、もめ事ってそうだろ。他人は黙ってろって。
当事者しか真実はわからず、そこからはい出そうと必死になっているのにもかかわらず追い打ちをかけ、拡散し、過去を責め続けるのが許されるなら、その全員が新たな加害者で犯罪者だ。
なぜ他人の過去や失敗が、すぐにわかってしまうような無法地帯になってしまったのだろうか。しかも著名人なら実名である。
誰が掲載を許可した???どんな神がネットにはいるのだ?
膨大過ぎて管理しきれません。で、済まされるならインターネット辞めちまえ。
自分だっていやな過去や失敗がたくさんあるでしょう?
そこから学び、乗り越えたりして前を向くのじゃないの?
もし加害者であるなら、生涯忘れずひたすら反省し、死ぬまで十字架を背負うのは本人で、あとからそれを知った部外者が「あいつは犯罪者だから何をしてもいい」は間違っている。
それならば、なぜ法律は存在するのだろう。
私は頭が良くないからうまく表現できないが、好きだと思った人をただ好きでいたい。
それだって自由だ。
知らなくていいことは知らせなくていい。
一体何様だ?お前らの過去も実名で上げてやろうか??
・・ってなるじゃん・・。負の堂々巡り。
私は同じ土俵に立ちたくない。だからなんでも知りたくない。
嫌な部分を知ってしまい、むやみに人を憎みたくない。もっと人って生身でいい。
かんたんに煩悩や欲望をSNSに叩き込まないで欲しい。
世界中の人にもっと悩んで、うじうじして、乗り越える強さを学んでほしい。
「人生は不当なものだ。」スネイプも言っていた。がまん。
みんな納得いかないことばかり。みんな弱い。みんな自分を認めてほしい。
みんな子どもの時と一緒だから。そういう気持ちを思い出してほしい。
せめて私は、同じ土俵には立ちたくない。
学べない分、悲しさを感じる。
好きは好きでよかったのに。
何かわかんないものから邪魔された気がして、私の一方的な嬉しい想いも彼女には負担なのではないかと思って・・初めてのファンレターを捨てた。