先日息子と公園へ行ったら、たまたま息子を知ってる女の子にあった。
一緒に遊び始めたので、勇気を出して自分から話しかけてみた。
私から話しかけるのは非常にレアだ。
幼稚園の話や習い事について一通り話したあと、帰ろう。
という流れになったのだが、二人とも楽しいらしく一向に帰る気配がない。
二人で公園内を走り廻っていたのだが、付いて回っていた私達を女の子が一瞬追い越したかと思うと、前から走ってきた小学生の乗った自転車と正面衝突してしまった。
息子は私の後ろにいたので大丈夫だったのだが、ぶつかる瞬間スローのようにどうぶつかってどう転んだかを記憶していた。
とっさの時どうしようもないなら、せめて頭を打っていないか、手や足を折るほどの衝撃だったか、すごい集中力で覚えようとする自分がいた。
多分、この世の中の親は全員そうするだろう。
目をそらしてはならない。
それを痛感したのは、次女がひきつけを頻繁に起こすようになったときだった。
熱性痙攣というものがあるのだが、大体が一生に一度、赤ちゃんのときに起こして終わる。
ただ、稀に何度も痙攣を起こすタイプの子がいて、これが次女だった。
脳波を調べたり、救急で運ばれたりで、5歳までに収まらなければてんかんの疑いが強いと言われた。
てんかんを持つ知り合いを知っていたので、旅行や運転もできなくなったり様々な制限が付くことを知っていた。
結論、合計7回の痙攣を起こしたが、大丈夫だった。
子供が痙攣を起こしたとき、親は観察をしないといけない。
突然手足を強張らせ、目をひん剥いて泡を吹いて固まり小刻みに震える娘をただ見ていることしかできない。
次女の特徴は熱が40度を超えた瞬間始まる。
子供なんかあっという間に高熱になるので、だるそうだね大丈夫?を、すっ飛ばしていきなり倒れる。
キツかったのは長男が元気に熱っぽかったので、薬を貰いに行こう。と、自転車で移動していたときに痙攣を起こしたときだった。
長男が乗っていたのは、14年前の自転車の前イス。
手足が伸びちゃって狭い前のイスに引っかかって抜けなくなり、道端で立ったまま収まるのを待つ感じになってしまった。
次女が後ろに乗り、長女が歩いていた。
痙攣中で道端で固まっていたとき、長女の友達が話しかけてきた。
「何しているの?」と。
長女は答えた。
「今痙攣中なんだ。」
···平和か。
友達は「ふーん」と言って行ってしまった。
この状況、一人っ子の親なら信じられないだろう。
···そう、こうやって親は何か大切なものがぶっ壊れていく。冷静を保つために。
普通の痙攣なら1分以内に終わる。
本来は横にして気道を確保。動かしてはいけない。
手足の硬直を見て、黒目が右か左かを確認する。
見ている方の反対の脳が原因となるからだ。
そしてひたすら時計を見る。
1分超えたら救急車だ。
痙攣している子どもの姿は親としてもこの世の地獄で、痙攣では死なないと言われていても、苦しそうな顔をただ見ていることは本当に辛い。
でも、そうやって腹をくくる事を経験していたので、それから様々な病気や怪我があったけど、それなりに正解を導くことができた。
母は強しである。
本当の窮地でも冷静である自信はない。
でも、状況を把握しなくちゃとしようとする自分は、やはり母なんだと実感した。
女の子は横倒しになった自転車の下敷きになっただけで、当たってはいなかった。
でも、転んだ自分の上に自転車が乗っかって、すごく怖くてびっくりしたと思う。
瞬時に泣いたので、安心した。
その自転車の横で、小学生の男の子が「いててて···」と言っていたけど、無視して力付くで女の子の上に乗る自転車をどかした。
ついででごめんね。大丈夫?とは言ったけど。
男の子だって不意打ち食らったわけだ。
交通事故ならこんな温情ないが。
その瞬間、固まっていた女の子のお母さんが駆け寄り、第一声が
「何しているの!!危ないでしょう!!勝手に行ったらだめだと言ったじゃない!」
そして男の子や私にひたすら謝り始めた。
女の子は大声で泣いていた。
何だかすごく悲しくなった。
そんな時はめいいっぱい子どもを抱きしめて良いんだよ。
って思った。
そして謝るなら子供に謝ろう。
ママも気づいてあげなくてごめんね。痛かったね。って。
きっと私も長女や次女のときなら、子供より周りに気を使うだろう。
だって凄く一生懸命だったから。
···今は一生懸命でないというわけではなく。
その女の子のお母さんもきっと真面目で、我が子を一番に抱きしめたかったのに、うちの子のせいで男の子を加害者にしてしまった。
とか、泣き声で回りがみんな見ている!とか、余計な雑念に対して瞬時に最大限の気を遣ったのだろう。
もちろん、大変なことになる可能性がある事だ。叱っていい。
かなり強めに叱っていい。
でも、今、この時聞けるか、インプットできるか、そんな事より今、それが必要か。
つくづく子育てって難しいなって思う。
正解がない。
思い返したり、客観的にならないとわからない。
でも、「あの時」には絶対に戻れない。
私も目の前出来事にどう言っていいかわからなかった。
大丈夫?痛かったね。
と声をかけるのが精一杯。
大丈夫なわけがない。
あとは、私が大丈夫?大丈夫?ってそばにいても、相手は私に気を遣ってしまうと思い、早めに離れた。
お子さんに集中しなくてはならない時だ。
当たり前だけど何もできず、何もしてないのに罪悪感があり、どうしようもない気分が渦を巻いていた。
去り際、すっかり忘れられていた我が子が、路肩の花をつんで、女の子に差し出した。
···大正解を見せつけられた様で、隠れて泣いてしまった。
まだ心配でならないが···。