わくわく動物ランドとかムツゴロウさんをよく見ていた。
なので、真の意味合いの印象が強く人に使われるとちょっと抵抗がある言葉。
マウンティング女子。
これって私そのものでは・・と、思いつつ、思い当たる人もたくさん。
でも、この定義って誰にでも当てはまらない??
そもそも承認欲求ってあっていいと思う。
これを避けていたら、個人を尊重するものすべてを否定しているような・・。
要は押し付けが嫌なだけで、個人が「私はこうなんです」ってアピールしようが何だろうが勝手では。
だからインスタが流行っているのだし。
分野ごとに承認、非承認と対応を分けるのも差別では。
イコールなんでも良い。
ではないのだけど、空気を読め。ということなのだろう。
私も理屈っぽいし、自分には自信がない。
だから、自分の存在意義を誇示しようと必死にもがいている。
でも、みんなそうだと思ったけどな。みんな完璧な人生歩んでる?
そもそも子どもが親にかまってほしくてする行動は全てマウンティングだ。
「見て見てーー」「すごいでしょーー」とか。
意図しているわけではないが、気を引きたい。
かまってほしい。「すごいね!」って言われたい。が、満面に出る。
良いと思う。
もちろん、友達にされると嫉妬もあるし余計なイライラが付加されて全部いやだーーって思いがちだけど、そう思う相手ってそもそも嫌いじゃない?
みんな違ってみんないい。AC-だ。
認め合う文化も出来たらきっといいんだろうな。
大きな心があれば・・。
今の私はきっと無理だ。ロンと一緒で感情がコップ一杯分だから。
マウントされて嫌な思いをするのは嫌だけど、だからと言って自分の知識や自慢をしてはいけないわけではない。
誰でも自慢したい。認めてほしいし、いいねが欲しいから自己掲示欲全開でツイートしたりするわけだ。
どちらかというと、いいねの馴れ合いのほうが私は嫌いだが、相手がぶっこんで来たら私はその上をいく。
でも飽きたら辞める。
きっとそれくらいでいい。
マウンティングする人は承認欲求が強くて、自分に自信がないという。
される人はどうだろう。
される人も嫌悪感を抱くのであれば、自信がないのでは。
何か実績を誇示すると負に向くのではなく、お互い高めあうようなポジティブな環境がちょっとほしい。
トリエンナーレのような。
何回か行っているのだが、現代アートはいわばマウント嵐だ。
みんながしっかり自己表現して、来場者がみんなでその功績を称える。
実際そこにはすべてがあって、人という生き物が想像しうる良いもの、嫌なもの、存在するもの、しないもの。歴史に沿った展示、自分よがりの忖度なしの世界。
これらをみんなが理解しようとして、評価する。
こんな世界であればいいなと思う。
実力を実力として平然とひけらかせる世の中に。
きっとそれが「価値ある人生」である。
でも、これもマウンティングですな。うひひ。