ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

メンタリスト

さっきバイキングを見ていて、彼の話題を目にした。

 

しまじろうやりながらだったので、あんまり内容は見ていなかったけど、不適切発言においてコメンテーターがヤンや言って、結局謝罪して・・みたいな。

 

差別発言っていうけど、彼のいうことは誰もが心の底で思っている黒いことでもある。

 

まあ、それを口に出すか出さないか。

公の電波で主張することなのか。

と、言う人としてのモラルの話しで、それはよくないと私も思う。

 

でも、昔から(今も)差別ってアホほどあり、今になり情報を共有できるから負の考えを抹殺しよう!という変な風潮になっているが、これらの主張を個々がどう受け止め、どう解釈するかが学びだと思う。

 

排除で差別はなくならない。

 

そもそも動物的に言えば自然界での弱者は死だ。

すごいシビア。

 

で、そこに文明をもつちょっと知能の高い私たちが協調性をもってみんなで過ごすには、様々なものに気を使わないといけない。

 

でないと人間界が破城するからだ。

 

でも、良いこともあれば悪いこともある。

これをどう解釈して調和をとるか、日々考えないと迂闊に発言もできない。

 

だから今の時代、オープンにはきれいごとを並べ、裏で本音をぶちまけるという薄汚い風潮が横行するのだろう。

匿名だったり、気心の知れる薄っぺらい仲間たちとの「いいね」で安心する。

 

薄い。薄すぎる。

 

炎上し、討論し、失敗して学んでいる人のほうが取り繕うスキル100の人間よりよっぽど人間味がある。

 

でも、自分の何気ない発言がどこかの誰かをテロのように傷つけてしまうこともある。

 

それがネットやメディアの怖さで、見なきゃよかったし、発信しなきゃいいのに。

は、事実あって難しい。

 

でも、なんでもかんでも不適切。

っていうと、闇に葬られた何かの感情が、消えずにどこかで横行しているようで、それこそ誰とも話せなくなってしまう。

 

不適切に対し、謝罪を求めるのではなく、それはどうかな・・嫌な思いの人もいるんですけど。って、言う方法もある気がするのだ。

 

だって、今回の生活保護の件。

本当に大変な方もいる。でも、不正受給もいる。

 

これを支えているのが税金・・だとしたら、「嫌です」の発言は真実で嘘でも攻撃でもない。

 

こういう本質に気付くのが大切で、言葉尻取って「おまえこう言ってただろ」とかいう攻め方はナンセンスでそれこそ不愉快。

 

じゃあ、その正義ぶった発言で傷つく人はいないと??

いたら、お前謝罪しろよ??って永久に続く。

 

 

だから彼が謝ったのもパフォーマンスなんだろうなって心底思う。

 

 

 

それこそメンタリストだから。