自分がガラケーしか持たないアナログな人間だからか、最近のスマホユーザーの知識の広さには脱帽だ。
みんなより、ものを知らないなーってちょっと恥ずかしいこともある。
だからここで語っているのも、さほど情報社会から侵食されていない無知な私の本心ばかりだ。
まあ、個人のブログなんてそんなもんだろう。
そりゃ周りの殆どが、町中でも疑問を解消できるツールを常備しているのだから、場数を踏んでいる分みんな無敵だ。
ただ、その膨大な情報量の中から何基準で正解を導き出し、己の解釈とするか。
みんな疲れないのかなーとも思う。
知らぬが仏。
ともいうが、いらん入れ知恵は人生において負担だ。
「コロナはただの風邪」とか言うのも、SNS時代でなければこんな大勢が遠隔操作で洗脳されることはなかっただろう。
もちろん、未知のウィルスであるが故に否定はしない。真相は不明だ。
それでも考え、導き出した理屈を覆しなよ!では無いのだが、そもそも「未知」が未知のまま不安要素となり蔓延するから変な理屈も登場してしまう。
そしてSNSとかあるから、何かしら納得すると丸め込まれちゃう。
天然痘の時だって、どうせみんな後から知ったのだろうけど、鼻腔に吹き込んだワクチンは感染者のカサブタだ。
これが現代だったら、Yahooニュース大荒れではないか。
確かにこの情報は後からではなく先に知りたい…。
あとから「カサブタでしたー」とか言われたら、ワクチン云々より「病は気から」を信じてしまう。
でも実はこうやって知らず知らずのうちに、臨床実験という名のモルモットにされ続け、人類は進化をしてきたのかもしれない。
今はそれが一般市民レベルでもタイムリーでわかるから、わからんちんな持論も混同しちゃうのだろう。
今後もデマと真実がYahooニュースでミックスされて、オイルショック以上にパニックがおきそう。
地震とか窮地のとき。
関西の地震のときの「ライオン逃げました」は、ピュアだからうっすら信じてしまった。
これから緩和措置の実証実験として、いくつかの県がモルモットになる。
各国でも収束していないのにも関わらず、ナイトクラブや大きなスポーツイベントを開催し、エビデンスを集めてる。
これって感染を容認すると言うか、公的にワクチン接種した人なら多少の犠牲(感染)は切り捨てます。
っていう、どうしようもなさが露呈する。
もちろん人体実験なくして結果は得られないのはわかる。
でも私がもしそのモルモットだとしたら…やっぱり怖い。
ってことは、疫学的に役たたずであろうとも、入場制限が緩和されたイベントに行くべきではないと思った。
もし行ったとして、あとから「やっぱりダメでした~」と、いう可能性がゼロではないから。
こういう保身的な考えを持ってしまったのも、SNSの影響なんだろう。
言い方悪いが、人間が猿を統率したほうが問題は早期に解決する。
猿が知恵の実を得てはいけないのだ。
何かそうやって、自分のガラケーは正しいみたいに理屈をこねてみる。
本当に怖いのは遠隔で洗脳された、オウムみたいな新興宗教とかテロリストだ。
国境無きSNSのソーシャルディスタンスはいつ保てるんだろう。