私は都会のど真ん中の商業ビルの最上階で18年間育った。
最上階が自宅で、下は全部オフィスや飲食店のテナントさんだった。
私の小学校は子供が少なすぎて潰れた。
公園や児童館はあるものの、当時小学生だった私の行動範囲はバカだった。
10歳くらいの時、親に怒られ家出して一人で竹芝桟橋できったねぇ海のゴミを見ていた。
自転車を持ってないので、友だちと遊ぶために東京タワーや三田まで歩き。
…移動は春夏秋冬赤いビーサンだ…。
塾へ行くのに歩きで皇居を横断し、一人で大手町の将門の首塚でお参りしていた。
書き出したらきりがないが、様々な箇所でビルの隙間を通り、迷路のように進むのが私の遊びだった。
親の仕事上、特殊な環境下だったのでもちろん近所に人が住んでいない。
小学校も公立なのに電車通学とか、車で通う子が多かった。
また、スーパーとか図書館とかお寺や神社などに住んでる子もいた。
他に美容室、はんこ屋、お茶屋、寿司屋、とんかつ屋、そば屋、石屋、ラーメン屋、レコード屋、小料理屋、パン屋などなど。
ざっと思い出しただけでも様々な自営業の同級生がいる。
…6年間30人ひとクラスでこの割合は結構凄い…。
っていう環境で育ったためか「一人暮らしをするならこんな部屋」みたいな憧れのイメージが荒れていた。
「押し入れの上段」
ドラえもんか。
とにかく隔離されたい。
人は愚か家族からも分けてほしい。
なんならシェルターでもいい。
とにかくボッチを求めた。
そんな私が初めてひとり立ちした先は、シェアルームだった。
…隔離どころか他人と同じ部屋だった。
二段ベッドの上だけが自分の世界で、実際は実家にいるより落ち着いた。
でも放浪癖があり、私は殆ど家に居なかった。
前の旦那と住んだのも物置みたいな2Kの家。
決め手は洗濯機が室内に置ける事だった。
そのあとは築40年以上の、傾いた一軒家。
10年近く住んでいたら、脱衣所の床や押し入れの床が腐って抜け、風呂場のドアが外れた。
風呂には便所虫やダンゴムシがよく紛れ込んでいた…。
でも、子どもたちが騒いでも気を使わないし、学校に近いし裏は公園だし。
あんまり苦だとは思わなかった。むしろ自由気ままに暮らしていた。
それからは離婚したり再婚したりで、単発で4.5回引っ越し、アパートやキレイなマンションも住んでみた。
これら全て、同じ最寄り駅での話だ…行動範囲は小さい。
今は割と新しい借家。
結論、一生賃貸でいいや。って思った。
マンションに住んだのは、同級生家族が大きなマンションの一室を購入していて、カッコイイなーって思ったので、賃貸で入ってみた。
何か「セレブぶる」事ができたけど、結局子育てをしていると下の階や隣に気を使うし、駐輪場の至るところでもめてるのが嫌になって引っ越した。
何より分譲マンションは地震のときのギスギス感ハンパなかった。
立体駐車場をいつ修理するか、エレベーターの修理になぜ1階が関与するのかとか、どこの排水管がぶっ壊れたのかひと部屋ずつ業者が入ったり…根本的に小さな世界が出来上がっているので面倒くさそうだった。
これが老朽化したら…と、考えると恐ろしい。
今の借家を選んだのもコロナになったから。
集合住宅で子育てしながらの自粛生活はキツかったので、借家の庭付き一戸建てに引っ越した。
賃貸だと固定資産税も無いし、困ったことも修理もみんな大家任せですごい楽。
隣人に外れたら引っ越せるし。
何より良いのは、引っ越すたびに大量の家具やモノを捨てれる。
家中のものが精査されてスッカラカンになるのがたまらない。
なので、借家で自粛生活。何して遊ぼう?
って子どもたちと考えた結果、テレビしかない居間でスイカ割りとかサッカーして過ごしていた。
隣接した小さな居間はジムで、庭にはプールを広げた。
たぶん私にとっての「住む」とは、居心地とかデザインでは無く「使い勝手」なのだ。
その時自分がおかれた状況に沿う家であれば、新旧問わないし、集合住宅でも戸建てでもどうでもいい。
ということはだ。
「押し入れの上段」を夢見ていたときの私の心理状態はかなりヤバかったのか…。
たぶん最終的にミニバン改造して各地の道の駅で寝泊まりしているか、バックパッカーだろうな。
温泉回れればいいや。