ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

本当の自分

今週のお題「叫びたい!」

お題に沿う。

 

今日、新庄監督の就任会見を見ていた。

 

登場時の服装でで動揺したが、出だしでフライングしていてちょっと引き込まれた。

「らしくて」良いなって。


素直に言えば50も間近でTPOも知らないのか。

とか、公式な場での質疑応答もお粗末で、子供のまま時だけ過ぎたんだな。

って残念な人に見える。

 

でもそれはそれとして、自分を貫く姿勢に全くブレがなく明るい。


非常識で嫌がらせしているわけでもなく、自己顕示欲が爆発的というか。

整形ってネガティブ要素も個性に変えてしまう。

 

きっとそれでも好かれているって、裏表がないからかな。

子供のまま時だけ過ぎたのではなく、赤ちゃんのまま時だけ過ぎたのかもと感じた。

 

彼に対しての嫌悪感は人それぞれだけど、敵対したり憎まれたりする次元にいない気がする。

 


ただ「いーなー」と思った。

 


色々な言動を見ていて薄々とわかると思うが、躁状態の彼ばかり見る。

ひょっとしたら何か持ってるかもしれない。

 

同じく何か持ってる身として、個性で済ます考え方も大事かなと思う。

 

何をしても「それは症状です」って言われるが、何でも名前を付けるんじゃねぇ!って思う。

 

確かにネガティブ要素が性格なら難しいが、症状であれば治せる。

だから告知されれば納得するが、正直「…で?」って感じなのだ。

 

そういう人、周りにもいるでしょ?って。

 

面倒くさくて付き合いにくいと「病気です」とか、自分が何かに挫折していると「病気です」とか言われると、それは病気に逃げていませんか?

と言いたくなる。


病気は免罪符では無い。

 

色んな事情でこうなりましたが、あなた方と同じ時系列で生きています。

理解できないことも個性として、妥協してくれませんか。

私も妥協します。

 

そうやってやり過ごし、お互いストレスなく過ごしたい。

 

人を全部わかってやらなくていいと思うし、全部教えなくていい。

長い人生で関わるその一瞬、何か繋がればきっとうまくやれるのでは。

 

そういう繊細な考えで「個性」を受け入れようとしているので、彼の奇行ぶりは清々しい。

 

まだ人の目を気にしてしまう自分としては、

 

「本当は新庄剛志になりたいのだ!!」

 

と、叫びたい。

 

 

 

いや、やっぱ今の無し。