ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

人生の暇つぶし

毎日ルーティン通りにこなしていると、このままずっと成長しないのではないかと錯覚する。

 

いい年になり、趣味という趣味もなく。

学ぶ意欲も興味が失せ始めて停滞気味。

 

自分は何が好きで、何になりたいのか路頭に迷っている気がする。

 

前に書いた通り、反面教師は沢山いる。

 

でもそれって奢りというか、こうなりたくない。の前に「嫌いだから」こうなりたくない。が、見え隠れしているようであざとい。

 

今日もちっとしたことでイライラ。

 

某所のこどもの日フェスティバルで子供を遊ばせていたとき。

いくつかゲームを周り、次のゲームで後ろを向いて無駄話中の受付に「一回できますか?」と、訪ねたところ。

 

「セレモニー中はゲームできないんですよねー。他がバンバンやってるけど。」

 

…知らんがな。

 

私に当てつけられても、ただの客で出店ルールなんか知らんし。

 

はぁ…と、萎えてしまった。

 

 

こういうエピソードを「どうよ?私に否があります?皆さん。」

と、さも同調してほしいかのように語るのもさもしい。

 

自分、小せえ。と思う。でも嫌だったの。

 

で、こういう対応を他人に平気でできる人の心理を考えて見る。

 

まず正義感が強く、レールを外れない強さがあり、それを正当化し相手に押し付けて嫌がられても引かないメンタリティーの持ち主だ。

 

これで孤立しないのが羨ましいというか、自分全開で出せる勇気に感服というか、もう嫌いだから嫌味しか出ないな私。

 

警官にでもなって、この世の膿を根絶やしにしてくれ。以上。

 

で、自分って結局幽体離脱でもしなければ俯瞰視できないし、良かれと思って地雷踏んでないかよく考える。

 

反面教師だってそれが学びといえばそうだが、コミュニケーションの分野では実践に叶うものはない。

脳内ロールプレイングなんて無に等しい。

 

今自分は何をすればよいのか、結構路頭に迷っている。

 

空き時間のどう森…寝る前のネトフリやhulu…何か…延々と海外ドラマ見てますが、何か意味があるのだろうか…?

 

働いていても襲ってくる虚無。

 

遊んだあとの喪失感。

 

全てが死ぬまでの暇つぶしだから虚しくなるのだろうか。

 

 

夜寝るときに、自分が何れ消える日が来ると恐ろしくなることがある。

体が震えて、動悸がする。

これも症状の一環なわけだけど、皆んな平気なのかな?ってちょっと不思議。

 

言葉では楽観的でも絶対死ぬ。

 

皆んな自分が主人公になりがちだけど、実は誰かの死をかばう役割を果たすためだけに生きてきたのかもしれないし、一瞬で犬死にする終わり方かもしれない。

 

死を迎える事をビビるより今を楽しめって言うけど、後悔って何に対してのもの?

結局自分が納得して死ぬのであれば、それは自殺しかないのでは。

 

こう考えると、苦しくない?

って思うだろうけどそれこそ現実見えてる?って返したい。

 

今、こうして文字を書くこと、死について悶々とすること、自分を高めようと意識しても上り詰めても必ず終わりがある。

 

私は子どもたちとの別れが一番つらい。

 

自分がもっと年を取り、ヨボヨボまで生きたとして、今寝たら明日起きないかもしれない。

 

この恐怖に耐えられるほどの人間性ができているのか。

四十路じゃまだまだ理解できない。

 

って言って、明日死ぬかも。も、ゼロではない。

 

 

所詮人生って全てが死に待ちの暇つぶしなのかなって虚しく思った。

ゲームしながら命のカウントダウンを削って、現実逃避したり。

 

 

一度しか無いのにな。