ただの主婦

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テレビジョン

最近ニュースでは悲しい事件や事故、戦争の話ばかりでいたたまれない。

 

この「ニュース(報道、メディア)」て、結局何のためにあるんだ???

 

て、考える。

そもそもは井戸端会議の発展だろう。

 

かわら版などの注意喚起からの好奇心の穴埋。

 

最近では注意喚起では収まらず、SNSが発展し、見ず知らず同士の意見交換が活発化されたため、ただでさえ「テレビの中の出来事」だった感覚に、勝手な同調や罵詈雑言、果ては考察まで加わり、事実とは湾曲した視点でリアルが「エンターテイメント化」している気がする。

 

これって狂気の沙汰だ。

 

以前、デモ行進が「ファッション化」してないか?

と、問題提起したことがある。

 

要は「参加しました」の史実が重要で「やった感出したいだけ」という事実。

写経なしの御朱印のような。

 

あたかも加担した風で、SNSに載せたいだけとか、ただのストレス発散の場でした。というオチ。

 

よく言う「歌ってみた」動画とやってること変わらない。みたいな。

世界のデモ行進ガチ勢はひとりひとりが死にものぐるいだ。

 

こういう本質を知らずに、お祭り好きのへずまりゅうが量産されたところで問題は何も進展しない。

ガヤが騒いだだけだ。雑魚。

 

基だが、その進展を知りたいのは関係者さん達だけであり、その傷をえぐるように毎日代わり映えの市内風景の中「私達は全力で心配しています」顔で日本中に適当なことを喋っているリポーターに問いたい。

 

それでも番組の最後はお天気お姉さんに繋がるんですよ。って。

 

つまり、次から次へトピックスが上がり、司会者も情緒不安定な人間がごとく喜怒哀楽でその場を凌ぐ。

 

誰も本気じゃない。

ただ他人の興味を惹きそうな話題をかき集め、公開処刑に処するだけのお仕事。

 

これを当たり前のように我々は見て、「怖いわねー可愛そうねー、ほらっご飯ちゃんと食べなさい!」って日常に挟んで適当にコメントして流し見るだけの他人事。

 

そうやって他人の不幸を見ながら食卓を囲んだり、今日は見つかったかなー?程度の興味本位でYahooニュースを開く。

 

…虚しい。

 

これって今の時代、本当に必要なのだろうか???

 

自分や家族がなにかに巻き込まれたとして、どっかのアホウがスマホで動画投稿して、全国に放送されて、どこの馬の骨とも知らぬコメンテーターに惨事を好き勝手言われたら、私は自分の全てが崩壊すると思う。

 

それこそ関係者への恨みつらみどころではない。

トラックに爆弾詰めて局に突っ込むくらいの実行力も得るだろう。

 

だって放送されたら隠すものはない。

 

不慮の事故であったり、行方不明の方の安否を全国放送したり、ネットで共有するのやめませんか…。我々は何も手助けできないんです。

 

ご当人の意志が反映されるのであれば必要かもしれないけど…。

 

今どきのテレビジョンは、もっとエンターテイメントに力を入れたり、情報誌のような物であってほしい。

 

ただの負の好奇心を煽るものや、昔からやってるから変わらず放送するけど。みたいな趣旨で馬鹿の一つ覚えを続けるなら辞めましょう。

 

視野を広げてみよう。

見ているものも所詮自分。

 

そんな番組の司会者だって蔑まれる。

よくコロコロ仕切れるよな。って人間性疑われる。

 

こんな些細な怒りが連鎖しうる社会になったと、それこそアンテナ張って気づいてほしい。

 

 

今現在脅威なのは数だ。