ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

プチパニック

先日、数日ほど孫を預かった。

 

一歳の孫と五歳の我が子(次男)。

 

関係性は甥と叔父だが、見た目は完全に兄弟。

 

そしてアラフォーばあばに、じいじ(現旦那)がアラサー。

 

令和番、都市伝説の様な家庭だ。

 

 

図書館とかプレイルームであれこれ話しかけられたが、いかんせん初対面には難度が高すぎる家族構成。

 

しかしながら改めて話を聞いてると、先人の主婦は自分の子育て体験談を度々絡めて来る。

 

「上が小学校に入ると楽なんだけどね~」とか「小学校の役員もちびちゃん連れだと大変よね~」とか。

 

‥すまぬがお主のお子より、長女は遥かに年上なのだ‥。

 

小学校での洗礼なんて、18年前に経験しておる‥。

 

今や次女も解脱した。(二十歳を迎えた)

 

適当にあしらっているのも面倒くさかったので、絡んでくる親に「この子は孫です」って言ったら急に日本語が通じなくなった。

 

‥嘘はついてない。

 

こうやって書くと自慢話?(落ち着いて読むとどこがだ?)みたいな微妙なニュアンスに受け取られがちだ。

 

私若いでしょー?みたいなアピール?

 

でも実際の現場は凄い虚しい。

どっち付かずというか。

 

だってアラフォーって別に若くない。

ばあばにしては若い方かもしれないけどね。

 

何十年子育てしてるんスか?

と、思われる恥ずかしさもあり。

 

人生が一歩進んで二歩下がるの炭鉱節の様だ。

 

今ならわかる…桃太郎のおばあさんの気持ちが…。

 

年齢差は死ぬまで縮まらないため、このまま一生ビックリされ続ける人生なのかとうんざりもする。

 

 

私はいつになったら崇高な大人になれるのだろう。

 

 

どの時代も「若いから」と許容され、嫌気もさしてる。

これも新たな「贅沢病」の一種なのだろうか。

 

人生100年時代。

 

世界では玄孫、来孫を越えて昆孫まで出会えたおばあちゃんがいるそうだ。

 

私も玄孫くらいなら見られるかなぁ。

 

これは幸せ以外の何物でもないな。

上手く行けば可能性もある恵まれた人生だ。

 

 

じゃあ、今のもどかしい状態も我慢かな‥。

 

 

孫を我が子だと思われ、質問されても親じゃないから分からない。

 

 

これが恥ずかしいんだよな。

プライドか(笑)