安部元首相の襲撃から、問題提起が加害者の家庭事情になり、今では宗教問題が物議を呼んでいる。
もちろん二つは別問題である。
こうだからこうなった。
こんな恩情染みた事で許されるわけはない。
これは世も周知の事実である。
ただ、きっかけは何にせよ宗教問題についての再認識は必要だと思った。
結局、外野がざわつかないと、宗教の世界観はワンマンショーとなってしまう。
オウムみたいに神の啓示で何でもありだ。
元統一協会も、合同結婚式から話題が逸れたことで、鎮火したのかと思っていたが、再燃。
元信者の語る内部の腐敗もえげつない。
そもそも宗教によってはカルト集団並みの共存を要求される。
何かに助けを求めたくて、救済を願うのに、更に高みを目指させたり、更なる不幸がやってきますと半ば脅したりするぶん厄介だ。
以前、宗教にドはまりした芸能人の再起までを再現したVTRを拝見したが、あまりの巧妙さに驚いた。
○○役など、各所にストーリーと配役を設定し、ターゲットをとにかく孤立させる。
しかも、それはあくまでも自分の意思だと洗脳。
もうオレオレ詐欺の可愛いことといったら‥。
もちろん様々な新興宗教があり、ひとくくりにしてはいけない。
でも、取り上げられる新興宗教の大多数が同じようなやり口というか。
結局洗脳と金か。
が、大多数で変なイメージは拭えない。
実は我が家も小金持ちだったため、バブルが崩壊した頃、両親が宗教にハマってしまった。いいカモだ。
私は小学生くらいで、毎週布教所に連れていかれていた。
両親がハマっていたのは、いわゆる「手かざし」の宗教で、手をかざして「気」を送り健康を得るというSF宗教だった。
二人ともうん十万の純金(だと言い張る)の紋章を首から下げていた。
挙げ句の果てには、デカイピラミッドの枠組み(?)テントの梁みたいなやつを買ってきて、中心に水を置いて「浄化」し始めた。
この装置に置かれた水は腐らないらしい。
野菜やジュース、水も布教所で購入していて、お布施を渡していたのも見た。
結局数年で目が覚めたようで、ある時期からパタリと行かなくなった。
それも怖いが。
自分も成長していたので、あれ?何かおかしい?でも何がだ??って、疑問は出てきた。
まさに映画の「星の子」状態。
幼稚園のとき、寺の住職の子どもが何人かいた。
家が神社じゃなくて、寺。って結構レアなんだけど、そんな環境で当たり前に過ごした。
だから、小学校の同級生の家がある新興宗教の布教所であったことに違和感がなかった。
でもこの子の家が「関東支部」くらいな拠点で、とにかくデカイ。
毎回物々交換?や、バザー、大広間ではお祈りして、何かを一枚ずつ食べさせられる。
オブラートみたいな何か?
ここに行くと同級生や他の学校の子がいて、キッズスペースで自由に遊べた。
だから度々遊びに行っていたのだけど、実はやっぱりアカン新興宗教の支部だった‥。
あとから知った時のショック。
もう、あっという間に信者になるんだ私。
と、呆然とした。
また中学の時の親友はガチ勢で「勉強会に行こう!」と言われて、図書館感覚で参戦したら布教所だった‥。
教科書通りの勧誘に中2が単独潜入。
説法のあと座談会があり、一般人が中2の私だけで、大人たちから質問の集中砲火を浴びた。
しかしそこは中2、自分は論破したくらいに思っていたけど、実のところ嫌われるまで屁理屈ゴネた。
その子は妹さんが病弱で、家族で信仰されていた。
そして親になり、回りに創価学会がいやに多いなとビクビクしていたら、これもデカイ支部が近くにあった。
意外とアムウェイや電気治療器や、マルチ商法にはまる知人もいて、誰とつるめば良いのかと路頭に迷った。危ねぇ‥。
結論、ビビりな無信仰な私だが、幼稚園と中高が生粋の仏教学校だったため、知識だけは豊富にあるし般若心経なら唱えられる。
こう書くと、自分の人生のなかにも様々な新興宗教がからんで来ている。
ここで信仰に揺れなかったのは、天の邪鬼で、信念が揺らがない残念な性格と家族のお陰だと思う。(両親は知らんが)
私の場合の宗教って、あまりにも生活圏にナチュラルに入り込んでくるので、今じゃ警戒心しかない。
だから何かにつけてビビってしまい、この間「呪詛」をちょっと見ただけで今も水晶が手放せないのだ。
天然石の効果を信じてしまうのも、宗教みたいなものなのだろうか‥。
ダイヤよりギべオン欲しいんだけど。
何にせよ、意外と私はチョロいのかもなと自分でも思う。