ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

素直になるということ

ブログだから素直に記しているだけなのだが、このままの自分を理解してもらおう。

が、違うことくらいわかる。

 

そもそもリアルではかなり考えて発しているつもり。

なぜなら、思考がこんなだから…。

 

ASDADHDなど、自閉スペクトラムが脳の病である意味が凄くわかる。

何かが欠落しているから、わからないのだ。

 

対人関係において、妥協と惰性が不可欠は前回書いたが、頭のなかは自由なので実は荒んでいる。

ここはブログだから、誰しも口には出さない頭のなかを、モロ書いてみる。

こんな思考で他人と付き合って「わかり合おう」とか、そんな期待はもうない。

だから凄く色々自分を曲げて「普通」とは何ぞやを探求するがごとく我慢するようにしている。

 

もちろん、他人を利用する意図は毛頭ない。

ただ、正直選別はしている。

昔も「アッシー、メッシー」あったよね。という素直な意味で。

 

例えば酒癖悪い人と呑みたくないから、誘わない。

推しキャラが違うから誘わない。

誰しもあると思う。

 

結果的「都合よく選んで」いるわけだ。

 

人を選んで気を使って、かなり考えてから行動する。最も正解に近い行動は…と。

こういう微妙なニュアンスでの付き合い方がASDはとくに苦手。

 

本音とリアルの狭間でさまよってしまう。

結果、人間関係が苦手。

だから私は「苦手ならば」と、逆算してみている。

 

自分には残念ながら自虐的でもあり、高圧的な思考もある。

何事も全体を見ようとするから、核心をつくわりには結論にたどり着くまで遠回りしすぎる。

RADWIMPSの歌詞のように…。

 

他人が私を理解するのは難しいし、私も人の真意がわかりづらい。

すぐ真に受けちゃうし。

 

京都府民の様な他人行儀で、社交辞令が横行する地に降り立ったが最後、ガラスのハートは粉々になる。

あの民生…ASDには酷だ。

 

「じゃあどうするか」だ。

 

予測して事前に対策を練る。

簡単に言うといったん隔たりを作る。

 

一旦立ち止まることで発言を吟味するのだ。

 

文字で書くと、面倒くさそうだし疲れない?って感じだけど、馴れると苦ではない。

むしろ地雷を踏んだあとの後始末より、はるかに楽だ。

 

おまけに他人の評価としても悪くない。

これだけ多方面から考えているのだから、良しも悪しも虚をつく事がないからだ。

 

つまり他人からの印象は悪くないんだろうが、実は腹の底が黒いというか。

どうしても思考が細かくて理屈っぽい。

だから、常に人に疑問をもって付き合ってしまう。

難しく、難しく、完璧な付き合いを模索してしまう。

 

結果的に慕ってくれる人が増えたが、止めの悪思考。

 

慕われるのが鬱陶しい。

すごいだろ。

 

こんなに考えて構築して出来上がったものが嫌いとか。

自分もちょっと引く。

 

ここまで来ると、これが真意なのは確かだけど、自分が何をしたいかとか、ASDだからなのかは最早わからない。

 

創造からの破壊思考とか。

精神的に一歳くらいなのかもしれない。

 

とにもかくにも頭を使う。

 

将来的に認知症にはなりづらそうだけど、他の何かがたくさん出てきそうだ…。

 

ただ、自分が診断される以前から「自己防衛」として行っていたルーティンや気遣い、常にメモを取る習慣などは、奇しくもASDの回避策として例にあげられていたものばかりだった。

 

つまりだ、自分が何者か知らないうちに、自分の取説を自然と行っていた。

 

だから今、「ASDは治らないから、こう取り組みましょう」とか、病院でレベル1から習うわけだが、「何年も前から実行してます」みたいな案件ばかりでためにならない。

 

ASDの私は人類の5%と言われたが、その説明書はすでにあり、対策もある。

個性のあるオリジナルな私はそこにはなく、逆に言えば「人類の5%は私」なのだ。

 

ASDってクローン人間みたい。

今さら知ると、ちょっと虚しいのだ。