たまにふと昔のことを思い出すことがある。
今日は駅まで歩いていたら、保育園のお散歩ワゴンに乗ったおチビが駄々をこねていた。
その泣き声がどうしようもなく、かわいい…ってなり、フラッシュバックしちゃって、うちのお子達もあんなで…私いつから泣き声にイライラしなくなったんだっけ…とか、色々思い出していた。
思い返せば「昔の私すげぇ」と思うことばかり、失敗ばかりでいろんなことがあったけど、結果的に今は「すげぇ」って尊敬している。
そんな私の思い出の中ですげぇと思ったのは、やはり幼稚園、小学校の役員をやった時。
卒対も幼稚園小学校と2回やったし、6年生の時(一番過酷な時)学年長もやった。
あとは広報委員とか家庭教育学級の委員長もやった。
…自分がASDだって知らない時代の私。すげぇ。
なかでもふと浮かんだのが、長女が幼稚園時代の卒対(卒業対策委員会)
今から20年以上昔の話だけど、この頃の卒対は卒業アルバムや幼稚園での思い出を集めたビデオの編集、謝恩会の企画、発注、記念品や花束や…もう全部母たちがやっていた。
これから卒業する主役なのにだ。
私は卒アルと謝恩会を担当していて、前日から何時間もかけて一人で会場を飾っていた。(他の人は他でやること山積だった)
もともとものづくりが好きなので、入り口を滝のようなテープで装飾したり、時計を太陽に見立ててオブジェを作ったり…と、思いつくままやっていたらジャングルみたいな会場になって子供達も大喜びで、それはそれは盛り上がった。
…で、私はこの時何にも知らないでやらかしていた…
この「資材」であるが、事務室の倉庫にあるストックから色紙やテープを使ってください。だけしかアナウンスが無く、私は素直に「使い放題」してしまっていた。
この「資材」のお値段…そしてそれをどの予算から出しているか…全然わかっていなかった。
むしろ宝の宝庫だ!くらい思って、色々勝手に使っていた。
これを…当時の教頭先生は見てみぬふりをしてくれて、一切咎めなかった…
思えば卒対の会計の時も、委員長は「残った分は園に寄付をしました」報告してくれたのだけど、この余った金額が万を超えていた。
大抵予算は使い切るので、「ん?」と、違和感を持ったことがあった。
当時、長女は言葉が遅くてよく職員室にいた。
そこで一番仲が良かったのが教頭先生で、長女が出産した時もお祝いしてくれたほど仲良しで付き合いが長い。
私自身はあまりお話ししたことがなかったのだけど…もしや…と、過って、突然涙が出てきた。
もしや、気づいていたのではないだろうか??と。
わたしがASDとかではなく、長女が発達の傾向があるな…と。
そうしたら血縁者の親もアウトである。
そういうことをもし、感じ取っていて好きにやらせてくれたのでは…?
…ということをやりかねない先生だったので、何の根拠もないのに涙が出てきてしまった。
私は肯定されていたのかもしれない。
当時の卒対の委員長さんも優しくて、わざとたくさん予算を余らせて、私が使った資材分を誰にも気づかれないようにそっとお返ししていた気がする。そもそもそういう人だ。
そう考えると妙に辻褄が合ってしまい…まさか…まさか…の段階なんだけど、涙が止まらなくなった…。
あの時…気づいていなかったのは、きっと私だけだったのかもしれない。
