ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

島編のMAD

クマネコさんという方がYoutubeで出されている「ちいかわMAD」が大好きだ。

MADの新作は「島編」と呼ばれるお話の…全部なのだが(ネタバレまで)半年かけて掲載された長編を、1分半でまとめてしまう技術…本当に凄い。

 

この方の作品は「おジャ魔女どれみ」や「日常」のパロもそうだが、細部まで「ちいかわ愛」が染み渡っているため、コアなちいかわファンも納得。

 

この「島編」だが、話が深い。

(ここからはネタバレを含みます)

 

まず、島民2人が船で釣りをしている際に、近くで遊んでいた「人魚」と衝突して一人が死にかけてしまう。

この時、助かった方が大切な人を生かすために「人魚の仲間を食す」という禁断の選択をしてしまう。

「人魚」(セイレーン)を食べることで「永遠の命」を得られるからだ。

 

セイレーンの隙をつき、仲間の人魚を捕獲(しるこサンドで…)。

煮付けにされた人魚…瀕死の島民はこれを食べて助かるが、結局「一人で永遠に生きる」のではなく「二人で永遠に生きる」という道を双方選ばざるを得なくなる。

 

…ここで一旦胸が苦しい。

 

そのあと、仲間を食われたセイレーンが犯人探しとして「他の島民を襲って味噌漬けにして食い始める」。

「永遠の命を得た2人の島民」は恐ろしさのあまり身を潜めてしまう。

 

また、苦しい。

 

結果的に島に呼ばれた「ちいかわ」達がセイレーンの討伐を試み、他の島民たちを助け出すのだが、このエピソード中に「誰が犯人か」セイレーンにバレてしまう。

 

(犯人がわかったので)おとなしく引き下がるセイレーン。

 

一件落着…と、思いきや、ふとした瞬間に「ちいかわ」だけが「永遠の命を得た2人の秘密」を知ってしまう。

…最後まで「誰にも言わない」ちいちゃん…。すごく考える。

 

更に苦しい。

 

何も知らない仲間&島民達は「万事解決」と思いこみ、ちいかわ達は別れを惜しんで帰路につく。

 

その後「永遠の命を得た島民2人」も、ひっそり無人島へ向かい「2人だけの永遠」を覚悟し、2人だけの生活を始めようとしていた。

 

…終わり。

 

…の、あとに「その無人島へ向かうセイレーンの描写」がある。

ゾクッとくる感じで終わる。

 

永遠の命を得た2人を守ってくれるものはもういない。

 

セイレーンは仲間を捕食した犯人への報復を、

「体ぴったりの檻に入れて海深くに沈め、真っ暗な海の底で”永遠の命”を味わってもらう。」と、発言していた。

報復の度合いがサイコパスすぎる。

 

このストーリー「貴方だったらどうする」という問いかけが端々に感じられる。

 

不慮の事故、ツレの生死、禁断の行動、その報復、それら一連を気づきつつ「黙る」という選択。

 

…私はどれも我慢できる自信がない。

 

色んな思いがつまりすぎたお話なので、クマネコさんの動画だけで切なくて泣ける。

 

同じ状況は極論あり得ないと思うのだが、想像すると恐ろしいだけである。

同調

女性はとくに「同調」が多めな生き物だ。

元来「コミュニティーを守る」担当であったため、「輪を重んじる」習性は国を超えて同じだと思っている。

 

そんな「女性特有の習性」が、ASDである私にとっては非常にツラたん。

子供時代、女子グループに馴染めず「男子と遊んだほうがマシ」と遊び続けて、思春期頃「男好き」と烙印を押されがちな立ち位置ASD

 

男が好きなのではない…「女が嫌い」なのだ。

正確には「女子特有の習性が理解不能なので嫌い」。

 

例に漏れず、私も「同調」とかに吐き気がするタイプ。

例えば初対面で「ライン交換しません〜」と、手当り次第話しかけるやつ&それに慌てて入ろうとしてくるやつ、全員嫌いである。

 

その意図が「とりあえずあぶれたくない」という、どうでもいいものであるからだ。

烏合の衆に加盟するくらいなら、あぶれたって良いじゃないか。

 

「距離を詰めるなら相手を知り、順序立ててから…」なんていう、石橋を叩いて渡るようなマイルールがあるので、最近の人の「とりあえずビール」並の「とりあえずライン」みたいなノリにはついていけない。

なので、長年ボッチだったのだが。(結果が伴わない)

 

グループも嫌いだし、実のない話や雑談も苦手。

何でも「完結」させ無いと気がすまない。

 

…というのをだいぶ曲げて、今友人関係を保っている。

自分に無理しているようだけど、人間関係って「妥協」でしかないという落とし所があるのでなんとか払拭してはいる。

 

ただ、会話の端々で「…ん?」と思うことも多い。

今一番不快なのが「わかる〜」「私もだよ」この言葉。

女子が「囲み」に入ったときに「適当に」よく吐く言葉だ。

 

私は会話において「整合性を求める」節は合っても「同調」を求めない。

 

何でも字義通りに受け止める特性を自覚しているので、「…まてよ、きっと適当な”相槌”だよな」と考える。

考えてはいても引っかかる。「んなわけ無い」と。

 

振っておきながら何だけど「私のことをお前ごときがわかるものか」これが常に念頭にある。

…もとより友人関係破綻している。

 

例えばASDの話題になったとき「こういう特性はある」と言うと「わかる〜」「私もだよ」と、同調される。

 

私は定型発達障害者で、あなたは定型発達者。

絶対に違う。

 

この「絶対的に違う」とわかっていても、適当な相槌で発するので(たぶん)あんまり深く考えていないと思う。

 

でも、私はASD。そうは受け取らない。流せない。

私の言葉が足りないのかもしれないのだが、私と同じ特性であれば「お前も発達障害者だ。」と、返したくなる。

 

これも相手が対等に物事を捉えてくれた結果なのだろうか。

いや、「女子特有の同調習性」に沿って「反射的に答えている」ふうにしか感じない。

相手だってちょっと考えればわかるはずだ。絶対的な「違い」があることを。

 

この意図がよく読めずにいちいち不快になってしまう。

こうやって言葉尻を捕らえてしまうのもよくない特性なのだが、他人の真意を読み取るのは難しい。

 

そもそも軽いコミュニケーションに置いても「整合性」や「建設的であるか否か」を問うてしまうクセがある。

常に「効率重視」なため「意味のないことが嫌い」なのだ。

 

起承転結で言えば「起と結だけでいい」というのが正直なところ。

 

これを「コミュニケーションなのだから相手に足踏みを合わせることも必要」と、余計な部分を受け入れ「承と転も楽しむ」様にしているのだが、たまーに「激しい離人感」に襲われる。

 

そもそもが向いてない。

 

なので「人間関係って難しい…」と、堕ちてしまう。

堕ちたら疲れる→疲れることを避けたい→一人だと楽という答えは出ている→ボッチ。

 

どんなきっかけであれ、答えが「ボッチ」に落ち着いてしまうのだが。

友だちを作ってみた、その後

ママ友とおシャンなカフェとか行くようになったか…。

 

5年前まで友達ゼロ人で「…ト・モ・ダ・チ??」まで追い込まれていた私。

このままお子も成長し、旦那との老後「陸の孤島」と閉塞された空間しか浮かばなかったが、ASDが無理して他人と関わろうと努力(実験)していたら未来が開けた。

 

こうやって「繋がり、楽しむ」までは理解したが、依然として「繋がり続けるには?」という疑問が拭えない。

…私が連絡を怠ったら簡単に終わるんじゃねぇか…という危機感が抜けない…。

 

4年も努力して続けてきた関係をゼロにすると、「次」ってなったときに同じ関係に築き上げるまでまたそれなりの時間がかかる…面倒くさい…って思いもちょっと今の人達に失礼か。難しい。

 

ただ、誰かと繋がり続けないと「旦那とマンツー地獄」しか未来はない。

いや、未来に旦那がいる保証なんかない。

 

私は4人の子どもたちのうち誰かのところに転がり込むんだろうか。…絶対に嫌だ。

そうしたら、「完全ボッチ」か「シン・旦那」との2人暮らしなんだろうか。

何にせよ「人間関係が漠然としてしまう」感じがブラックホールのようで恐ろしい。

 

他人がどういう関係を求めているか不明なだけに、「グループならランチもいいけどサシは嫌だ」とか「ママ友は良いけど、子供連れは疲れる」(またはその逆)とか「実は面倒くさい人だった」とか、「平日は良いけど、休日は嫌」とかの加減がさっぱりわからない。

 

今残っている人たちはそんな思想も同じで、一緒にいて楽なのだが「誰が企画する」というところでいつもモヤる。

私が黙って「誘われ待ち」に入ると、誰も企画しない。

 

…正直、私ばかりはツラたん…。

 

最近は距離も近づいたので「誰か企画してー」と声を出してはいるが、難しいのかなぁ…。誰かがセッティングしないと終わっちゃうよ。

…終わんないかな?「そっちの実験」のほうが怖いな。

 

それで終わるなら「それだけの関係性」だった。

…というのも4年間で築けなかった結果みたいで癪だし。

 

4年で築けないなら、私はこの先永遠に「ボッチの烙印」を押されたようだ。

もういいお年なので頑張れない…。

 

友人関係って難しい。

独創性

旦那と「おじぃが一人でやっている洋食レストラン」へ行ってきた。

元「〇〇料理人」の肩書を持つおじぃの料理は美味かった。

だがしかし私達が入った後、立て続けに「3名」「4名」「予約の6名」が入店。

 

1対15でオーダー取って水出して料理出して…「全部」裁く。神業だった。

 

さて、漫画やアニメ、小説などで表現される登場人物って「曲者」が多い。

加えて「芸能界」も曲者が多い。

 

芸能界はかつての「見世物小屋」の発展なわけで、エンタメを築くには「人目を惹く」必要があるのだから「目立ってなんぼ」ではある。

何かしら「一般的」ではない者の集合体なのだから=曲者はあながち。

 

そもそも創作の分野では「作者の想像発祥」なストーリーに他人を惹き込ませないとならない。

そのためインパクトのある登場人物を設定し、エピソードを付随させたほうがダラダラ話は継続できる。エピソードが終結してもキャラは残るからだ。

継続していれば自然と人の目にも触れる。甲乙あれど「商い」は成り立つ。

 

キャラの位置づけでわかりやすい構図が「戦隊モノ」の「色と性格」分けだ。

 

例えば

赤・ヒーロー・主人公・真面目・リーダー

青・クール・ニヒル・赤と真逆・孤高の人

黄色・ムードメーカー・ドジでおっちょこちょい・お笑い担当

緑・健康的・スポーツ得意・影のリーダー

ピンク・いればいい・女子多し

白&黒・反乱因子・救世主・何でも担当

 

みたいなパターンってどこにでもある。

セーラームーンや今どきのゲームでも「女子の特徴」には法則がある。男子もあるか。

ウマ娘とか放置少女とかわかりやすい。

 

最近乱立する漫画はこういうキャラ付けが一辺倒で、何を見ても面白くない。

どの作者の漫画を見ても「キャラだけ一緒」と捉えてしまう。

 

この間、次男が「bling-bang-bang-born」(アレな)にハマり、見始めた「MASHLE」を一緒に見ていた。

ここからはアンチなので、好きな方は閉じてほしい。

 

この漫画は常々「ワンパンマンの…」「ハリー・ポッターの…」「ヒロアカの…」「鋼の…」とか、パクリ疑惑が出ているが「面白いよ」と言われ心して見たけど、パクリネタが「銀魂」ほど素直に受け止められず。

つまんねぇ漫画だな…と、がっかりした。

 

主題歌が岡崎体育さんやCreepy Nutsの曲で、かなり作中を意識した内容だっただけに、残念すぎた。良いもの作り上げてくれていたのに。

 

正直、年を取ると「年齢の壁」もあり、視点が「親(大人)目線」になってしまい、子どもが主人公だと共感すらしなくなった。

 

今、自分が最も共感して心を掴まれるものといえば…やはり「ちいかわ」である…。

あまりにも深闇すぎて、作者の深層心理を覗いているようでたまに寒イボが立つ。

 

アホ3匹の日常を見ている分には「ほっこり癒し系」なのだが、箇所箇所で「鬱要素」を盛り込む。…癖になる間合い。作者が独走するので、読者がたまに「えっ?えっ?」と困惑してしまう。

 

現在放送中の「ほめられリボン編」も、ちいかわがさらわれた時「えっ??」と朝からモヤモヤした人もいただろう。

ちいかわって「こんな漫画だったっけ?」という根底の覆し。あの感覚が豊富。

 

更に「私寄りな紐づけ方」である「奇怪な表現力」が多い。

最近で言えば「冷凍うどんで頸動脈を冷やし、涼を得る」という発想。

「他で見たことあるか?」と問いたい。

 

あれ、「畳む頃になっても世界観の真相あえて伏せそう。」…と、ふざけて言ったことが本当になりそうな拮抗した漫画。視点が独特すぎて常に想像の上を行く。

しかも一部読者を置いてきぼりにしても「決して振り返らない」潔さ。

カッケーだけだ。

 

今の漫画ってデスノート辺りからか、様々な伏線を張り「論理的」につじつまを合わせた話が多くなった。読者にネットでいちいち粗をつつかれるからだ。

昔のドラえもん映画みたいに「危険が危ない!」なんて未校閲なセリフ吐くことはまずないだろう。

 

でもそういう「粗さ」も私は結構好きで、「口で説明されるものが全て」ではなく、創作物なんか個々の読者が感じたままに楽しめば良いんじゃないかなと思う。

解釈の統一なんかいらないと思う派。

 

「ちいかわ」の好きなところはそういう「粗さ」もあって「やりっぱなし」だったり「虚を突いたり」何より「作者主導」で新作が発表されている。

 

このやり方って上手いと思う。

本人の気分次第ではあるが、実際読者を引き込んでいる。

かつての手塚治虫さんやトキワ荘みたいに、編集者にケツ叩かれながら執筆する時代ではないわけだ。

 

どこかで見たような絵に惑わされがちだけど、実は完全に「世界から作っている」ことが凄すぎる。

短絡的な話が多いが「伏線満載」としても有名だ。

 

アーティストでも感じるが、二番煎じではなく「ジャンル」を開拓できる作者って天才だと思う。

 

そういう人の作品は、言わずもがな面白い。

石◯構文

都知事選関連の話題を流し見していたのだが「石◯構文、私や。」と思った。

 

長くブログを読んでくださっている方はわかるだろうが、何度も書いてきた「私が旦那に対する話し方」ってこれだ。

…旦那、ご愁傷さまでした。

 

この人の発言の内容やニュアンス、判別つかない人には「善悪」でしか判断できないのだろうが、そういう問題ではないのだ。

世界線がまず違う。そう理解してもらえるとわかりやすい。

 

彼は質問に対し歯向かっているのではなく「相手の真意を問うているだけ(何聞きたいの?)」だ。更に「繰り返すことに意味合いをもたない」ので「非効率」と思った時点で相手をシャットアウトしてしまう。その扉は開かない。

 

争点に主軸を通さないと自分の中で相手の存在を落とせないし、自分の中で生きているので「共有」が苦手。「1から100まで」説明しないと気がすまない→理屈っぽい→一方的に論破しがち→相手ドン引き→ボッチ。こんな路線。

 

簡単に言うと「何の策略もないわからんちん」なのだ。意図的にはめようと喧嘩腰なのではなく「事実を機械的に述べているだけ」。それを相手がわからないことがわからない。相手からすると頭にくる。負のスパイラルでしかない。

 

「高学歴の発達障害者」ってこういう人が実に多い。医者も然り。

医者なんてDr.コトーのメンタルでやっていける方が少数派何だから、機械のように「隔離できるタイプ」の方が性に合っているのだろう。

 

テレビで質疑応答するライブ中継があったのだが、父親(おそらくASD)を見ているようだった。あれ、見せて感想を聞きたい。

表情が固定され、薄ら笑いを浮かべながら事の本質や流れをはぐらかして自分に持っていく。こういう人に私は育てられたのだ。まぁ私もだけど。

 

流石に私はASDの自覚があるので家族にソレはやらないが(旦那にはたまにやるが)とにかく「一生懸命理解しよう、伝えよう」として話しすぎてしまう。

 

あれがアスペなどだったとして、「だから発達障害者は!」みたいに上っ面取られたらキツイなー。

「だからできないんだよ」(許しての意味合いではなく、相手の心を落ち着かす意味合いでも)というニュアンスを「理解して」は難しいだろうな…。

 

…やはり本人の「無自覚」の弊害は大きい。

 

私は普通にサブウェイ頼めるけどなー。

納豆臭

最近、実生活が多忙すぎてブログにまで手が回らない。

 

…どころか、メールなどのチェックもままならず放置状態。

リアルが忙しいのは良いことだけど、気づいたらボッチになってそう。

さて、納豆の小話。

 

最近どんどん暑くなり、台所では「コバエ」に注意しないといけなくなった。

 

そもそも締め切っているのでゴキブリはおろか、蚊も出たことがないのだが、玄関の開閉は頻繁なのでコバエはどうしても避けられない。

 

我が家では「洗い物は当番制」であるため、主人と長男で回している。

この夏より次男も参加予定。

 

この二人、度々「排水口の生ゴミ」の回収を怠る。

長男に関しては「おそらく意図的に怠る」そのため、朝台所が生ゴミ臭かったり、コバエがちらほら…なんてこともある。

 

その度に鬼の形相で「昨日の当番どっちだーーー!!」と、朝からバトルわけだ。

最近になって「子どもの監督責任は大人にあります」と、旦那に注意し、ようやく「夕飯の後の生ゴミ回収」は解消したのだが、理解しがたい別の問題が起き始めた。

 

「納豆のパック捨てっぱなし事件」

 

筋トレを始めた旦那が、朝ご飯に納豆を食べるようになったのだが、このパックを台所のゴミ箱に捨てっぱなしで出勤するのだ。

 

燃えるゴミ用のゴミ箱には蓋がない。

「蓋がない→匂いが散乱→コバエ集まる→増える→∞」

 

「あのなぁ。」

 

私のお話が始まる。

そもそもだがなんで夕食後に洗い物をした際、生ゴミを回収しないことについてキレられた?

コバエだろ?

生ゴミを放おって置くと、臭いでコバエが集まって増えるのを懸念して厳重注意したんだろ??

 

じゃあ、朝納豆の容器をココ(燃えるゴミ用)に捨てて蓋をしなかったら…どうなるか考えたことはある?

夜中に生ゴミ晒しているのと同じなんだよ!!

朝から納豆晒していたら、帰宅する頃には居間中が納豆臭のうえ、絶好のコバエの餌食だってわかんねぇか!?

 

もう姉妹顕在時から何十年と「台所に臭いを残すなコバエが湧く!」と言い続けてきた私の言葉尻は強い。

 

旦那の一言

「…じゃあどうすればいいの??」

 

「てめぇで考えろ!!いくつだお前!!!!!」…という言葉を飲み込み。(偉い私)

 

「あなた自身が”どうやったら臭いが漏れずコバエが湧かないか”考えなさい。」

と、諭した。アホに物言うみたいで嫌だった。

 

彼なりに考えた結果、「燃えるゴミの袋を閉じます」というアホみたいな結論を出し、一旦集結した。

 

なんでこんな事がわからないかがわからない。

 

そして数日後、キレイに閉じられた燃えるゴミ袋の横で「食べ終わった納豆の茶碗」が、そのまま夕方まで放置されていた。

居間中が納豆臭に染まり、コバエがブンブン飛んでいた。

 

お前…。

 

ダメか??まだわかんねぇか????

 

キャッチボール

恐ろしくかわいいシャンプーとコンディショナー。

色違いでイエロー(うさぎ推しイラスト)もあったのだけど、実物はブルーのほうが段違いで可愛かった。

 

もう、効能とかどうでもいい。

 

さてASDはコミュニケーションが苦手なため、私も言葉のキャッチボールが苦手だ。

実際、質問されたことに対して複数のパターンが瞬時に浮かぶため、

「相手が望む答えがどれか」が全くわからなくなる。

 

わからないので「自分が感じた意見」を述べようとするが、「正確に伝えないと失礼だ」という意味フな縛りに遮られ、言葉に発すると「相当な変化球」となってしまう。

 

よく旦那にも言われるが「責められているように感じる」というもの。

モラハラじゃねぇか。

そんなつもりは毛頭ないのだが、ちょっとした団らんでも真剣に話そうとするので、

 

「あなたはこういう人物なのね。客観視というのは自分の思いや真意とはまるで別で、相手が頭の中で勝手に咀嚼した姿なわけで、責めているわけではないのだけどあなたは世間一般で言うとバカなのね。あ、今の”バカ”は卑下したわけじゃなくて、どちらかと言うと”単純、単細胞、短絡的”という種であって…」

 

という前置きから始まる。

自分なりに「この人を傷つけないように真相を伝えなければ」と、努力しすぎて「あなたバカなのね」と、直球投げている。

 

旦那は「バカ」なので、「あなたバカなのね」だけ拾って怒る。

 

そうすると「なんで怒ってるかわからない。よく考えて、私があなたに攻撃してなにか得がある?家族なんだよ。真実を述べているのだから、真摯に聞きなさい。あなたは職場でもお山の大将なんだから、違和感に対して素直に諭してくれる人なんかいないでしょ。」

 

…冷静に書き出すと、NGワードが随所に盛り込まれている。

とくに旦那にはこんな話し方になってしまう。

 

こんな話の流れになるきっかけは「コロチキが、筋トレで凄いマッチョになってさー」

みたいな「しょうもない話」だったりする。

 

結局この返答の真意は

「あなたみたいな人が(10数年の彼を見ての意見)そうやって結果だけ見て相手に倣おうとすること自体浅いんだよ。そんな人のことを検索しまくって喜んでいる暇があるなら行動しろ。」

 

と、奮起させることに落としたいわけだが前置きが長くなるし、その前置きが辛辣すぎて突っ込まれ、「伝えたいこと」が迷子になる。

 

要は「一緒にジム(フィットネス)に通いたい」のだが、そんな気持ち微塵も通じない。

うまく行かねぇなぁ…。で、ギスギス終わる。

 

過去に晴明神社で「背中合わせの最悪な相性」と、言われたまんまの会話。

 

でもある日の休日、旦那とキャッチボールをしていて気づいた。

私はいつも「旦那を撃ち抜くつもり」で、力いっぱい投げる。

 

一応ソフトボールの経験があるので100km以上は出るのだが、いかんせん35年近く前の話なので豪速球になればなるほどコントロールはよくない。

 

飛びすぎたり逸れすぎたりしながら、走り回る旦那を見て爆笑しているわけだ。(最悪だな)そんなキャッチボール。

でも旦那はいつも大きく弧を描いて私のもとにボールを落としてくれる。

私が走り回らなくて良いように。

 

…できん…。(涙)

 

彼は左利きなので、対面のキャッチボールは正直やりにくい。

やりにくいから、私に合わせてくれているのだ。

 

私は合わせたことなんかない…。

あわよくば撃墜できるかなくらい旦那を「的」としか思っていなかった。

 

旦那は年下なので「甘ったれめ」と思っていたが、甘んじていたのは私かもしれない。

 

…何やっても許されると思っているフシはある…。