ただの主婦

子育て、日々の事、時事、思想、ただの持論

Q.親とは

A.子どもを支える黒子である。

 

金も出すし、食事も出す。

生活環境も整えるし、イベントも忘れない。

バカみたいなPTAや、意味不明のただ働きに全力で取り組む。

そして何かあれば徹底的に子どもを守る。

 

ざっと。

 

これで「親だから当たり前でしょ。」とか言われたらどうよ。子ども諸君。

まあ、親だからできるんだけどね。

 

4人も男女を育て、ガラケー時代からスマホ時代の親付き合いも経験している。

20年間子どもが切れず、孫も生まれ、またリスタート。

離婚、シングル、再婚、介護に起業。

 

まだまだ人生修行中だが、何かを相談されればそこそこ具体的にアドバイスできる程度には、スキルアップしている。

 

本日は休日恒例、次男と2人で探検隊へ行ってきた。

行ったことのない公園へ行くだけの話なんだが。

 

余談だが、一度目の緊急事態宣言の頃の公園は、遊具もまとめられビニールシートがかかっていた。しかし二度目の今はどこもオープンで利用者も多い。

これは子供たちのフラストレーションに配慮したのだろうか?

 

一度目なんか、運動部の小学生が3人で河川敷をランニングしていただけで通報され、その上市内学校の緊急メールで一斉配信されていたが・・。

 

例に漏れず我が家もコロナ禍で精神を破壊された2人を抱えた経験があるので、(コロナと我が家と - ただの主婦)今回ばかりは世論が何と言っても行きますよ。公園!(と、道の駅)

 

しかしながら遊具はまあまあの人だかりだったので、とある隣接施設の屋上にある人工庭園へ行ってみた。

25mプールほどの広さの芝生広場と、植え込みとベンチが数台あるだけの広場だった。

 

お子さん連れが一組と、女子高生しかいなかったので、芝生でゴロゴロ遊ばせていたら話しかけられた。

 

いつも公園へ行くと、不愉快になる親子連れと3回に1回くらいは遭遇し、毎回旦那にキレている。

 

例えば滑り台の割り込みをしたり、押したりを頻繁にする子がいたとして。

どう見ても幼児なのに親がいない。

周りを見渡すとスマホをやりながらベンチに座る大人が一人。

これか?と思い、チラ見する。

何度目かに「犯行とチラ見とベンチの大人のリアクション」がシンクロし、「やはりこいつか」と、わかる瞬間が来る。

わかったからにはじっと見る。我が子に注意しながらじっと見る。

犯行。

「危ないから押さないでね~」と、声大きめに注意。再びチラ見。

 

一瞬目が合うも、すかさずスマホに目を落とした!

 

てめぇこの野郎・・・

 

せいぜいこの程度の事件だが、誰しもイラっとする「公園あるある」だと思う。

しかも帰り際にスマホ画面が見えたりして、それがポケモンgoとかパズドラだと、LINEより腹立たしい。

 

また「おいくつですかぁ?」と、コミュニケーションを取ってくる人も嫌いじゃないけど身構えてしまう。

 

私はちょっと浮世離れしていて依存症気味なので、夢中で話始めると何でもかんでも自分を理解してもらいたい衝動が抑えられず、1~100まで説明してしまうからだ。

 

恐らく私とサシで1時間話し合えば、生い立ちから世帯年収まで吐露してしまうだろう。

 

しかしごくたまに切れ良く流せたり、絶妙な合いの手や、始終褒めてくるタイプの人物と出会う。

後者は気を付けろ、とよく聞くし、実際過去にもろくなやつがいなかったけど、このタイプって聞き上手で相手を引き出す力に長けている。

私は人の話を聞かないし、他人を褒められないので心底凄いと思う。

 

そしてこの度話しかけてきた方は苦手な後者だったわけだが、途中で形勢逆転をしたため、私よりも向こうが食いついてきた。

 

その方はアラフィフくらいで次男と同じ年頃の男の子と遊んでいた。

始終子どもに気を使っていて「○○君、こうよ?」「○○君、いーい?」と、接し方が丁寧で他人行儀だった。

 

過去一度、平日の午前中、公園で黒人と白人の男女がおソロのポロシャツを着て、そこそこ成長した中国人の男の子と3人で遊んでいたのを見かけた。

帰宅後「あれは金の匂いがする」と、旦那にいじわるそうに語ったことがあった。

恐らく、専属の保育士だろう。

 

これもそのたぐいかなとも思ったが、今日は祝日。

もしかしたら近所にある施設の子かな?と、思ったら前者だった。

 

祝日にこの制度を利用してまで働くとは、頑張る親なんだな、と思った。

 

案の定「おいくつですか?」から始まる。美容院で言う「これからお出かけですか?」みたいな。

幸い同じ学年だったので、すぐに子どもも打ち解け遊び始めた。

 

最初はどうでもよい会話だったのだが、先生の性分というのか、ベテラン子育てラーの血が騒いだのか、先輩面して子育てを語ってきた。

 

うんうん。一期一会だから聞くけどさ。

解脱した私にとって、他人の子育て論はエピローグだ。

 

「そうですねー。」と、適当に相槌を打っているだけの状態になり始めたとき、その空気を察したのか「お子さんしっかりしていますねー。」と、褒め攻撃にシフトチェンジしてきた。

 

私もその誉め言葉を2、3発受けたところで「まあ姉がいるので」と、ポロリ。

1つ個人情報をこぼしてしまった。はめられた。

ものの5分で私から個人情報を吐かせるほど、拷問が上手い。というか私がちょろい。

くそぅ。私はこの2人の関係が「先生と園児」までしか知らない・・。

 

「女の子がいるといいですねー。一緒におままごとして遊んでくれたり言葉使いも優しくなるし。」

おっと。次男の年齢から、姉=小学生くらいだと推察してきた。

 

いや現実、同居中の姉は次女だけで、次女は卒業式前のギリJK。

長女は次男が生まれたころには家を出ていて、血縁以外接点もない。

 

そしてJKは自分のことで精いっぱい。言葉遣いに関しては目も当てられない!

 

ってところまで全て説明したい衝動に駆られてしまった。

違うんです・・もう話しかけないでください。しゃべっちゃうから。

 

「2人も育てて偉いわーうちも2人必死で育てて・・」

と、どうしようもない会話が続きそうだったので「・・4人目なんです・・」と、再びポロリしてしまった。

 

「え・・・」時が止まった。

 

ここで親あるある。

年ではない。子どもの数、年齢で決まる上下関係。

 

しかし相手も「4人お子さんがいるんですねー日本に貢献していて偉い!」

攻撃がやまない。

 

これは全て小学生くらいな口調である。違う。小学生はうちにはいない。

「うちも2人ですがバタバタでした。毎日大変よねー偉いわー。」まだいうか。何基準の偉いだ。

 

このまま泳がせていてもよいが、子ども達はとんでもなく相性が良く、平面だけで延々遊べてしまっている。

これは楽だ。遊ばせたい!そして帰って寝てほしい!

 

この欲望に駆られ、ついに私は出し惜しんでいた切り札を切ってしまった。

「上の子はもう大きいので・・」ままよ!話よ長引け!

 

「じゃあお母さんのお手伝いとか・・」と、続けてきそうな先生だったが、勘が鋭かった。「・・上の子・・おいくつ?」と、ATフィールド全開でド直球投げてきた。

 

「もう家を出て結婚してます。」

 

「・・・!」形勢逆転だ。

保育園の先生という経験値が消え去る瞬間である。

 

戦いはラスボスと、スライムから最終形態のラスボスへと変化した私との再戦へと縺れ込む。

 

子育てのアドバイスは最早いらない。そう、私は解脱している!転スラなのだよ!

日本中探しても少数派であろう私の正体をよくぞ引き出した!うははははははー!

 

「では・・」と、勝ち逃げ(?)したかったが、この形勢逆転後、なぜか私が先生のお子さんたちの悩みや、先生自身が受けた保護者同士のもめごとを30分くらい相談される羽目になった。

 

しかも急に敬語になった。

くそぅ。先生の皮を脱ぎおった。

 

昔なら「わかるー。私もこういうことされてさー。」と、すぐ同調し、いかに自分が不幸なのかを競うような展開になりがちだった。年寄りの大病自慢のように。

 

でもどうせ一期一会だしいいやと思って、嫌いな奴の実名あげて「標的は誰にでも回りますよ。それでみんな均衡を保っているんですから。」と、わりと考えて答えた。

 

ら、思った以上に悩んでいたらしく、「そうー?そうですよね・・でも・・ううん、そうだったのかな・・」と、クライアントそっちのけで意識が当時にタイムスリップしてしまった。

 

「でも、そういう嫌な経験があると人間力が上がりますよ。」と、独特に励ました。

 

ら、「そう?本当にそう思います?上がった感じします?」

 

重いわ。追い込まないでくれ。

 

まあそんな感じで1時間くらい立ち話をしながら子ども達を見ていた。

2人とも初対面の上、何にもない芝生広場で1時間は遊びつづけ、「帰るよー」と言ったらヤダって返された。子どもって凄いなーと思った。

私だったら着いた瞬間、踵を返して家に帰る。

 

帰りは案の定寝てくれて助かったが、そのかわりさっきの出来事が走馬灯のようにグルグルしてしまい、ある過去を思い出した。

 

以前、長女と次女が幼稚園の時に年齢がかぶった姉妹がいた。

2人とも地の顔が笑顔のようで、いつもニコニコしていて礼儀正しく頭が良かった。

 

お母さんは元幼稚園の先生だった。

 

みんなそれを知ってか知らずか、経験者づらが気に入らないのか、保護者からは距離を置かれるタイプだった。

私は他人がどう言おうと「私が嫌いなら嫌い。」というスタンスなので、普通に接したが、他人からの愚痴もよく聞いた。

 

でもそのお母さんは私より年齢が10歳くらい上だったためか、普通に話していても確かにアドバイスが多いな。とかは、思っていた。

 

そんな時「元先生って聞くと子育てのエキスパートみたいに思うでしょ?」と、話しかけて来たことがあった。

 

「うん。」正直そう思った。私は現在進行形で宇宙人を2人も抱えていたため、そうとしか思わなかった。

きっとなんでも予測して、最善の対処ができるんだろうなぁって。備えもできそうだし。

 

「でもね。集団と自分の子じゃ全然違うのよ。よく言うの。先生程、自分の子育てが下手だって。」寂しそうに笑っていた。

 

この言葉と語ったときの声と顔は、15年経った今でも忘れない。というか、一生脳裏に刻まれた。

 

彼女はこれから3年後、自宅のお風呂場で亡くなった。

酒飲んで転んで・・そのまま事故死だったそうだが、発見したのは下の子だった。

 

次女と同級生の下の子は、当時小学3年生。母を発見した次の日には、平然と学校へ登校した。

 

先生たちは面食らい、「大丈夫?まだ来なくていいのよ?」と、言ったそうだが、

「あ、大丈夫です。」と、笑顔で答え、それからも学校には休まず来ていた。

 

・・あれから大人はみんな黙った。

 

 

「先生」って酷だと思った。

 

清廉潔白、全知全能でミスをも(失言も)許されないイメージがあり、何か周りから見張られ続け、私生活は隠して先生という威厳を持ち、相手と日々接する。(例外はいる)

 

だから保護者側で出会っても鉄のような人間だと思われがち。

実際、議論もうまく説得力もあり流れを持っていかれる。

物怖じなく前に出て話せる。PTAも事実上一人でこなせ、応用スキルもある。

まるで覆面リサーチが、素人の保護者に紛れて侵入しているようで、担任も若干ビビりがち。

 

・・元先生はカミングアウトしてはいけない・・。

 

でも、私が言うが「先生は人だ」きっと傷ついて悩んでいたのかもしれない。

 

今日話しかけられた先生との会話で、何かが分かった気がしたのだった。

 

今まで誰かに言うのも憚れるプライドというか、近所で広まったら崩れてしまいそうな自分の存在価値とか、オンとオフの狭間で誰にも弱みを見せられず、問題は全て抱え込んでいたのかもしれない。

 

それを、何の接点もなく、予期せず先輩に転生した私に、この先生は思わずぶつけてしまったのかもしれない。

 

・・重いとか思ってすいませんでした。

・・でも、今じゃなかったの・・。

 

親だって先生と同じだよ。

そう伝えたい。

 

・・特にそれが1mmも伝わらない次女に・・・。

オリンピックと女性差別

呪われた東京オリンピックとはよく言うもので、よくぞまあ何度もしくる。

これこそ平将門の呪いかな。とか、もはや見えない力としか言いようがない。

 

それはそうとして、確実に人為的な女性差別発言で崩れる組織のもろさには「暇なんかい」と、突っ込みたくなる。

例えば私が失言に対して世界を震撼させるほどの「これは」と、いう破壊力がある人物を上げるとすれば、それは天皇陛下しかいない・・。

 

全てにおいてフェアであるオリンピック思想の軌道修正に、選手たちが翻弄されているのがなぜ分かりませんか。世界の着眼点が井戸端会議レベル。今じゃない。

 

何が悲しくて大会前後にこの手のくだらんコメントを方々のアスリートさんに頂くのだか、それこそ数字主義なその頭の悪さに気づいて欲しい。

 

そもそも世論にビビり、ジェンダーレスを意識しすぎて逆に特別視してはいないだろうか。自然体でいいんじゃない?と。差別という言葉で差別している。

 

例えばアメリカみたいな多国籍や、ワンピースみたいな獣人や、アナ雪みたいな個性なんかを認め合い、互いに手を取り合いいずれは地球を囲む構想とか、自然界においては不自然界極まりない。普通は弱肉強食のピラミッド。

 

男だから、女だからは最早肉体の話で輪廻転生でさえ運だし、実際あるかどうかもわからんし。どうにもならない。

女性が家事。で怒るのなら、力仕事は男性。ゴミ捨てはパパの仕事。などという言葉には誰も突っ込まないのか。いや、正直どうでもいいが。

 

何を言いたいかというと、適材適所で良くないか。

いくら男女平等でも、肉体的に男性有利な作業もあるし、脳幹の太さを見ても女性の方がマルチタスクに長けている。

 

この論争、余りにもエキサイトしすぎると、男女分けたスポーツが混合になり、優劣付けず並んでゴールし、帰りには参加記念の金メダルを全選手だけではなく、ボラにも配られる究極の平等オリンピック時代が来るのではないだろうか。

 

それに気になるのは女性蔑視や差別発言には即レスのわりに、男性蔑視への論争はあまり拝見しない。

女性側に立つ輩が多数な時点でそれはレディーファーストという差別ではないのか?

いや、都合のいいことは違うのか?

これが「文化だから」で済まされたら、日本の男性を立て女性は一歩下がる所作も日本の成り立ちで継がれた文化ではないのか。とか言い始めたこの論争に終わりはあるのか?

もうジェントルマンはドアなんか開けなくていいから、女性も気を遣ったらどうか。

 

何だか具体的に怒ってばかりで、本質がどこなのかその線引きがふんわり不透明すぎ。

 

もはや個人の温度差で判断されているだけではないのか。それこそ女性的な怒りの表現のようだが・・笑わない24時間みたいにケツバットで済ましませんか。

 

それよりも確定申告の時期なので「主婦は職業ですか?」論争をもっと激化して欲しい。

 

最近男女間を意識したのか、職業欄に「専業主婦・主夫」という表記を見かけるが正直笑止。

この右の「職業」と称したヒモに堂々と丸を付けられる先進的な男性はどの面下げて存在するのだろう。

そしてこの表記こそいつまでスルーされていくのだろう。看護婦も看護師になったのに。

 

出産を経験しているため、この件の男の無力さは痛感している。

背中をさすってあげる、手を握ってあげる、呼吸法を・・バカめ!

 

それこそ平等を誇示したいのなら、こっちは産むから働いてくれ。男女分担だ分担。

何でもかんでも大陸に倣わず、島国の文化にも敬意は持てないのだろうか。

うちはうち。よそはよそ。

 

そもそも分母が違うのに、グローバル化な思想を適したとして出産率がどうなるか想像つかないのだろうか。今や日本人は絶滅危惧種に片足突っ込んだと海外メディアに言われているのに気付かないのかな。

 

そもそも女性が家を守り、男性は狩猟民族であると位置づけられたのは、生物学的に分担された役割であり、オスのタツノオトシゴ皇帝ペンギンが卵を温めているからと言って、それを「イクメン」とか言い出したバカはどこから湧いて出たのだろうか。

 

突っ込みどころはそこではなく、白人至上主義やアパルトヘイトなどと相互した表現や考え方の再構築ではないのだろうか。

 

もう言葉尻とらえては残さず突っ込んで、寄ってたかって付け焼刃の正義をかざすの辞めようや。視野が狭い。

 

○○抗議活動はみんなで手をかざして記念撮影したり、一日白い服着たり、パフォーマンスチックに「やった感」出してる程度で、バケツチャレンジ程話題性にも欠けた。

 

困ったときはジャスティンビーバーにツイートしてもらえばいいのに。

 

性で悩む人、障害を持つ人、持病で苦しむ人などのモヤモヤは、みんな同じではないだろうか。「完全体」という者への憧れというか。

かくゆう私は生まれつき左目がよく見えない。こう書くと完全体の皆さんからの訴追が手のひらを返したように和らぐ気がして、それこそ特別視だと感じるのだが、実際そうで。

 

左側の感覚が右よりも研ぎ澄まされている感があり、反射神経には自信がある。

落ちそうなものは落ちる前に取れるし、キャッチボールが得意だ。ちょっと心眼が開かれたような特別感がある。

超未熟児だったため、細かく言うともう少し色々面倒があるのだが、だから何。

 

これを周りからフォローされ続けていたら、私は周りに依存し一生自立できずに不完全さを呪い、卑屈に陥る。そしてメディアに憚る差別用語に歯をむき出し、気が済むまで訴追するだろう。だって私は守られているんだもん。不満を噴出することに尽力できるのだ。

 

で、良いわけないが、こんな感じじゃない?今。ニュアンスわかるかな。

 

私が昔、心底感動したことがあった。

長女が幼稚園生の頃。クラスのA君には身体的な障害があり、手足の関節が曲がったまま固定器具を付けて生活をしていた。

 

担任の先生はずっと同じ。

この子を特別視せず、給食が遅くても待たずに次のお遊戯に行ってしまったり、工作でも片付けも一切手を貸さなかった。

 

私は当時、最初の子どもの初めての幼稚園で、ことの真意がわからないほど人間力は低かった。

そしてこれはこの担任の手抜きだと、見かけるたびにイラっとして納得がいかなかった。

 

A君は誰もいなくなった教室で一人給食を食べたり、ひとりで階段を上ったり。

「困った人がいたらみんなで助けてあげましょう!」ではないのか?定規の通りに習ったフレーズで正当化し、理解はできなかった。

 

そして年長、運動会でのクラスリレーの練習の時に事件が勃発。

長女のクラスはA君の番で周回遅れの大差が付き、大敗を連発してしまったのだ。

もう絶対勝てない・・。

 

そう思った幼児の言葉は辛辣で、平気で障害のせいにもするし排除志向の子どもも当然いたらしい。

 

そんな中、ついに先生がクラスの子に一石を投じた。

 

「じゃあ作戦をたてよう」

 

そこでみんなの空気が変わったそうだ。

現状は変えられない。普通じゃ絶対かなわない。A君も込みで勝つ方法は何かないか?

 

もう、クイズ大会だ。みんなの思考が変わった。

 

結果、足の速い子でA君を挟む順番に決まり、本番。

第一走者、第二、第三とアンカーレベルの俊足が走りぬき、普通は遅い子が最初に・・という常識を塗り替えた。

そしてA君。予想通りどんどん抜かれて最初の大差が無くなっていった。でもA君は足を引きずりながらも転ばずに最後まで走った。

 

しかしA君が次の走者にバトンを渡す頃には最下位になり、ここまでか・・という何とも言えない空気が流れたのを覚えている。

溜息というか・・大人ってどうしてこう・・台無しにしがちなんだろう。まだ終わってないのに!

 

その時A君の次の走者がとんでもない俊足を見せた。というか、A君をなめてかかった他のクラスが、クラスの鈍足をA君の順番にぶつけてきていたのだ。

 

「うおっ・・」少しづつ沸き立つ会場。どんどん追いつく。そしてアンカー!

 

最後の走者でなんと長女のクラスは、たった一歩ほどの僅差で逆転勝利を収めた。

散々負け続けたこのクラスはこれが初勝利だったそうだ。

 

この出来事の後、担任が後日談で詳細を教えてくれた。

 

そうか。こういうことか。

自分がいかに無知で浅い人間だと気付いた。

 

実はもっともっと根深いところでA君と担任は繋がっていた。

だって、その間親が一切出てこなかったのだから。

 

その当事者たちはきちんと理解し合い、担任もA君から目をそらしたのではなく、他の子どもたちにも「差別」を植え付けず、柔軟な思考で共存を学ばせた。

 

この場合の「優しさ」とは強要するものでも、自分の一方的な尺度でもない。

本人にやらせること、乗り越えさせること、達成感を自分でつかみ取ること。

 

すなわち「自信」これで無敵になれるのだ。

 

 

後日談だがこの8年後、長男の在園中に担任のお子さんにも障害があることを初めて知ったのだった。

 

ということだ。

 

外野がぬかすの辞めようぜ。

 

コロナと我が家と

お題「#この1年の変化

今時の時事といえばコロナとオリンピック。

例に漏れず言いたいことはあるけれど、世間に飛び交う膨大な意見交換と類似し、結局自分の言葉など陳腐になるのが目に見えているというか。


また、時事ネタと向かい合うと自分の無力さや勉強不足に直面する。

それは周りも同じで、知識不足の発言を見るとイラっとする。

簡単に言うと、頭が悪いのに語るな。みたいな。

だから私はただの主婦なのだが、こういう表現は差別的ではある。

ただ、主婦とは狭い存在意義の中で答えもない問題を山ほど抱えて、わけのわからんルーティーンをマルチタスク全開でこなすアスリートだ。

外界から遮断されているのではなく、競走馬のように前しか見えない。

そのくせ歳だけはしっかり重ねるのだ。見た目相応に学びが無くても仕方ないじゃない。と、叫びたい。


自分磨きでスキルアップしたり、旦那の留守中にランチできる有閑マダムは全主婦人口の頂点に君臨するVIPなのだ。ドラマやワイドショーやバラエティー番組で見るハイソな主婦は幻だ。

現実はそうなりたいとあがき、日々インスタに励む。


さて、そんな主婦多数派の私がコロナ禍を体験し、うっすら気付いた人間の本質と自然界の選別。

昨年の今頃、私は真剣に家族に語ったことがあった。

この病がもし、無症状の若者に相当数蔓延していて、これを媒介にしてそこらじゅうのご年配や弱者にうつしていたら?

増えすぎた人類に対する自然界からの選別ではないか?

医療が発達し、不自然に人が長寿になり増える。
地球や自然界にとって人間は病原体でしかないため、地球規模の治療が始まったのでは?と。

聞かされた家族の頭にハテナマークが見えるほど宗教ちっくな仮説だが、私はれっきとした無宗教である。

ただ前にも記した通り、ひとり子育てを終了し、解脱している。

ときたま人気のなくなった世界で、ロックダウンした町の道路をワニが横切ったり、山から動物が降りてきたとかいう海外ニュースを見るたびに、なにかを確信していた。

2000年頃にテロや事故で飛行機が立て続けに落ちたり行方不明になったときも同じことを考えていた。地球規模での口べらしが始まったのではと。

次は自然災害ではないかと思い、地球規模の報復に備えサバイバル家族を見たりした。

コロナで見えた人の本質は、いい部分も悪い部分もあるが、一貫していえることはそれがその人物の「本性」であること。窮地に陥り化けの皮が剥がれた姿。

例えば村八分のような差別、隣組みのような見張り合い。
そして予期せぬ助け合いや人のために生きると決めた人々。真実の感謝。

まさに戦時中さながらの心理状態で、世界中が多方面から見えない壁で押さえつけられ、世界中が一触即発な状況だ。

 

そんな中、鼻に付く集団も口裏を合わせたように湧き出てくる。

安全な家の中からぬくぬくとテレビやネットばかり見ているヤツほどよく吠えるよな。

フラストレーションは変な正義感で無理くり理由付けされ、言葉の散弾銃は無差別に発射される。

 

なんだ「マスク警察」って。ばか。


リアルから逃避し現実離れをすると、映画の主人公のように安全圏が確立してしまい、不老不死の無敵になる。

 

どの面下げて平然と正義をかざし、浅い自分の意見を通すために無差別攻撃するのだろう。リアルで討論できないくせに、自暴自棄になると他人を巻き込み道連れにしたがる。

 

その言葉の攻撃を受けている相手はAIではない。

心があり、感情があり、リアルと直面している赤の他人。その名も生身の人間だ。

そして毎日のように代わり映えのない話題を繋ぎ紡ぐテレビ業界の忍耐強さ。

 

こればっかり見ていたら世論の殆どはテレビ通りなのではないかと、洗脳された会話になってしまう。

「~だってよ~?テレビでやってたもの。」という恐ろしい口癖。

あまりにも話題がマンネリ化したのか、感染者数が急激に増えたり、地震が起きたり、地獄が起きるたびに司会者が意気揚々と多弁になる姿に腹が立った。

クラスター情報は公開処刑ですか?事後報告に何の意味があるのだろう。もう手遅れだよ。豊洲の報道はしないのですか?

 

飲食店では飛沫感染の恐れ。でも時短で営業OK。お店は感染対策を必死にアピール。実際きちんとやっている。でもそこに訪れるお客さんをわざわざ取材し、「今日はどうしてここに来たのですか?」お客さんもしどろもどろ・・。

 

逆に問う「今日はどうしてここに来たのですか?」製作サイドには意志がある人間はいないのか。やれと言われたからやりました。は、ただの遠隔殺人だ。

 

もともとテレビは夜のニュースしか見ない生活だったのだが、ここ最近昼から見ることも多く、民法のやってることはギリ迷惑ユーチューバーだな。と、今更気付いてがっかりした。

結論みんな自分だと思う。

かくゆう私は逃げ出したい症候群が発症し、たまに県内の道の駅を周遊しては夕飯を爆買いし、地域に貢献(建前)していた。

それに比べ、他県で暮らす長女はネットスーパーを利用し、堅実に自粛。地がインドアなので大して苦もなく。

下の二人も最初の緊急事態宣言のときはまじめ一貫。

ベランダにさえ一歩も出ず、YouTubeとフォートナイトだけで一ヶ月過ごしきったため、学校が再開した夏頃には立派な不登校になり果てた。

 

長男は定時に家を出れる割には電車から降りられずぐるぐる周回し、駅については吐き。駅のトイレに何時間も籠城。そしてようやくたどり着いた校門を通りすぎてそのまま失踪。次女は毎日昼頃登校し、タピオカ片手に帰宅を最後に部屋に引きこもった。

 

‥そして私と共に二人とも二ヶ月間カウンセリングの刑に服した。

実は二人ともとあるスポーツの主力選手であったのに、コロナで大会はつぶれ、試合もなくなり、あげくの果てに校内でも感染者が出たため、部活動事態が中止になった。完全に八方塞がり。

コロナは他人事ではなく、間接的でもしっかり子供たちの心に傷を付けていた。

このときばかりは必死に学校とカウンセリングと(道の駅と)本人たちの架け橋になり、学校に頭を下げ下げ母は走り回った。

選手として二人ともそれなりにできるが、もちろんプロには程遠く。

しかし次女は全国大会常連の強豪校のスタメンを、7年間努力だけで死守していた。

朝3時間、放課後3時間、休日12時間と欠かさず練習に励んでいる姿は本当に立派だった。

 

それに比べ、そもそもなんでもできるタイプの才能の塊で、ろくに努力をしない長男は後ろからどんどん抜かれて挫折した。


・・こんな二人からスポーツを取り上げたらバカしか残らず。

 

そのカスカスの抜け殻になってしまった二人を抱え奔走していたが、やがて二人とも憑き物が落ちたようにもとに戻り、ケロリと学校に行きだした。除霊に成功したのだ。

 

それからしばらくして再び緊急事態宣言が出たときは私がトラウマで、放っておいたら死んでしまうのでは?と、本気で心配したものだった。

 

とりあえず思春期の二人とどう関わるかを毎日考え、付かず離れず。

一番下の次男をダシに「~ごっこを開催します!」と、縁日や駄菓子屋さん。各コンビニ弁当やスイーツを買いあさり、コンビニごっこなどをして家族総出で遊んだ。

 

家中にパズルやカードゲーム。すごろくにジェンガなどのパーティーゲームを買いそろえ、一歩も外に出ずいかにみんなで楽しむかを今も模索している。

 

コロナ禍で「家族のきずなが深くなった」とりあえず我が家はそっち方面だった。

オッズではコロナ禍離婚が優勢だったのだが、ただただ今の幸せに感謝しかない。

まだ終わってないけど。

 

世の中にはプロにはなれない程度だが、ガチでスポーツをしている子供たちはたくさんいる。

その多くが純粋に必死に取り組んでいる子どもたちばかりで、その親たちも嫉妬ややっかみ。子ども基準の謎の上下関係に翻弄されながら、身を粉にしながら我が子を支えている。

 

こういう子どもたちへのダメージも本当に大きく、世代交代を迎えた今、ふんわり引退を促されメール一通で強制終了。

 

甲子園が無くなり、インハイが消え、心のよりどころを奪われ、なお後輩から色紙で「ありがとうございました。続けてね。」と言われる辛さ。

 

あなたならどう、声を掛けますか?

 

そりゃオリンピックよりも背負うものがなく、浅いかもしれない。

スポンサーはジジーとババ―だけだし。

しかし比にならないくらいの競技人口がひっそり耐えているのだよ。と、伝えたい。

 

・・オリンピック辞めちゃえよ。

 

結局話題はそこに通づる。

 

 

はじまり

実は20年近く前に子育てブログを公表していた。

子育てを始めると、あらゆる分野に人間の成長を客観視した自分の持論をぶちまけたくなった。当時の私には何もなかったからだ。まあ今も薄い人間だが。

 

これは正解なのだろうか、失敗か、多数派か少数派か。

 人類の起源より接し、作り上げたこの子は一般的に正しいのか?

これが親の永遠のテーマである。

 

ネットで考えを配信をするということは主に同調を求めるため。

生ぬるい仲良しごっこばかりだが、たまに一石を投じる異論が書かれると青天の霹靂だ。

 

なぜなら、「あってるの?」と、聞いている時点で8割がた「あってる」と、自分で確信しているからだ。

例えるなら「この服どっちがいい?」と、聞いている時点で自分の意志は決まっているのと同じ。

 

では、なぜ「どうよ?」と聞くの?

と、思うが、誰しも自分が少数派だと思うのには抵抗があるし、自分の考えは間違っていない。を確認したいだけなのではないかと。

実際「いいね」の世界的普及が物申している。

 

きっと私もそんな感じで自己主張したい欲求もあり再開したが、いかんせんビビりで傷つきやすい。そのためただ書きなぐるブログは性に合っている。

 

「一方的」なんて心地いいやり方だろう。ヤフーニュースのコメント欄のようだ。

 

余談だが、幼児には「容赦なき選別」が存在し、集団の中での弱者は自然のおきてにより排除される。という残酷な試練がよくある。「いいね」どころか、四六時中どこかで素直に炎上する。

 

が、大人みたいに知恵をもって「陥れよう」ではない。野生の習慣とでもいうか。

悪気は無いので親がこまめに協調性を叩き込み、気長に軌道修正するしかないのだが、それを理解できない親同士だと非常にこの時期辛い。

 

「心外、心配、面倒、しんどい」の四重奏だ。

 

小学生になると浅知恵もつき、かつ聞き分ける能力も未熟。

親歴10年そこそこでは人間力が低く、親も子どもを乗りこなすのも難しい。

たまに足元をすくわれる。そして親歴10年の親達との絡みもどんどん架橋に入るのだ。

 

かぶった仮面が厚くなり、うっかりPTAに出ようものなら集中砲火の戦場に丸裸で立たされているかのような砲撃を方々から食らう。出なくても食らう。

 

が、これを潜り抜けると親は一皮剥け、瀬戸内寂聴さんのような悟りが一瞬見えてくるのもこの時期。精神と肉体が分離されるのだ。

 

子どもは育ち、中学生になると同調心理や集団トイレなど、「同じである」が主体に。経験が浅いほどピュアに出る。

毎日おそろいの制服に、朝礼や集団行動。個性を徹底的につぶされているのに「こういうものだ」と、割り切れる柔軟な精神力。親が離婚してもネタにできる対応力。

なのに親に関してはちょっと子育てと向かい合いすぎて、現実逃避したくなるのがこの時期。井の中の蛙が大海を求めて解き放たれ、パートが増える。

 

この小中学生での自分の立ち位置や振る舞いって、大人になっても基盤だと思う。

そこにアレンジの加わる女子高生はモンスターだ。何だか表現のしづらい「正義感」を纏い、始終アイドリングストップしているのだ。さわらぬ神に祟りなし。

 

親の存在はこの時点で子どもに飲み込まれ、海の藻屑となる。

そう、悟りの境地だ。

 

子育てをしてきてとりあえず一区切りついた。

こんな自分の意見、思想を発信したい思考は、自分の存在意義や証を誇示したいに過ぎない。

あれから20年経ち、理想をより具体的に表現できる世界となったなあと感じる。

 

誇張した生活レベルやアイデンティティの過激な主張が、インスタグラムという「半仮想現実」により普及し、もはやアバターと化した実体無き自分の存在を世に知らしめるのがステータスという状態。

 

いや、いいと思う。ブスがブスのまま我慢して生きる世界は終わった。

 

理想の自分を追求し、SNS上で演じられるのであれば、欲求だけは満たされる。

その時のリアルがどうとか、電源が切れたらギチギチの脳みそと天塩にもかけられない器がガランと残る想像もしてないだろうし。

 

せっせと終わりのない欲望に振り回され、他人の芝生を監視し、嫉妬し、自分の感情を叩き込んでやったっていいと思う。

 

だってそれが「表現の自由」だろう。

得てして美しい夢物語だけではないものだ。

 

しかし、そうしたはけ口がSNSなどであるのなら、リアルな自己表現、闘争心を現代人はどう培うのだろう。

何もないところから何かを生み出す能力は、戦後復興時代の方たちよりもとんでもなく退化してはいないだろうか。

 

確かに「今の子」って聞き分けが良く、空気が読め、NOは控えめ。衝突を避ける風潮。始終何かにビビって生きている。

 

まず、出来上がったもののアレンジばかりで創作意欲はないなと、映画やドラマを見ても分かる。まるで老舗の3代目みたいな自由さ。

 

娯楽はその時代の縮図であるので、不景気、混とんとしていればお笑いやバラエティーがもてはやされ、潤ってくると地獄が見たくなる。

これが根本的な「人間」という生物の本質であると思う。

 

20年経ち、私はいろいろなものに触れ経験し、酸いも甘いも感じてきた。

 

結果、スマホを持たない人間になり果てた。

たまピッチを卒業して以来、ずっとガラケーだ・・。これが答えだ。

 

持論だが、知らなくていいことは知らなくていいと思う。

 

LINEが発達し、親同士のコミュニケーションにも欠かせなくなった。

ひとりでは死んでしまう「うさぎさん」は結構多く、群れないと生きていけない「ひつじさん」もスマホに必死。

 

私はひとりで気楽の「おおかみさん」なので、リアルでは単独行動ばかり。

重要なときだけ連絡が来て、他を共有したりどうでもいい議論も知らないので、時が過ぎ一通り全員の化けの皮が剥がれたところで「うさぎさん」にまとわりつかれ、結果「ひつじさん」まみれになる人生だった。

 

客観視しては、「おつ」と、心の中で思っていた。

 

台風が過ぎれば「ひつじさん」たちはリーダー的な「牧羊犬」に引っ張られ、瞬く間に消え去り、また私は一匹狼。そんなことの繰り返し子育て人生だ。

 

ひとりっ子の私には20代、大学生、中学生、幼稚園の四人姉妹兄弟の子ども達がいる。

 

長女はもうすぐ出産。次男は幼稚園児で「おじさん」だ。

20年以上子育てをし、今でも子育て真っ最中。そしてババになる。

 

そんな私はただの主婦である。