ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

子持ち様

近所のスーパーにて、2週間で3回買ったちいかわのキーホルダー。

3回ともこれ↓が出た…。

強くなりたい。

 

さて「子持ち様」。

「親ガチャ」のとき同様、嫌なワードが作られたなって思う。

更に嫌なのが、「女性が女性を叩いている風潮」である。

 

本当に女性って同性嫌いだな。

 

これ、「子持ちにどこまで求める?」という倫理観にも発展しそうな問題だ。

同等の立場ではないのに同じスペックを要求するのは違うだろう。

「子ありvs子無し」と直結せず、こういう不満は会社に言ってほしい。

 

逆に言えば「子ありの生活知ってる?」と聞きたい。

子ありは子なしの生活を体験済みだが、子無しは子ありを「未体験で叩く」。

 

お子さんがいないご家庭も事情は色々。

お子さんがいるご家庭も事情は色々。

これを一緒くたに扱わないと「差別」とか言われる世界で「うまく統率しよう」としなくてもいいと思う。

 

お互い立場が違う同士が、同じ目的を持つ仕事をしているのだから「お互い良いところをリスペクトし合う」しか落とし所はない。

 

これを妥協できないのであれば、もはや「どこに行っても無理」なので起業だ。

 

そもそも「自分の思い通りに行かない」ひずみであるわけだが、事の発端は「子供の熱」という第三者にあるわけだ。

 

お子さんがいない方でも「ご高齢の両親が倒れた」とか、「親戚に不幸があった」とか、小池知事で言えば「愛犬が死んだ」とか…。

休む口実はいくらでもあるはずだ。

そこをフェアに捉えることは出来ないんだろうか。

 

そもそも「休む」って「そういうこと」だし「それが頻繁に起こる人物」というのは、「子あり、子無し」関係なく「休みたい人」なんだろう。

 

子ありの欠席で憤る気持ちもわかるが、大抵成長すれば「数年で落ち着く。」

そこからカバー側に回るのは「子ありも同等」世話になった分、仕事で返してもらえば良い。

 

ちなみに私のお友達は某所の役所勤めなのだが、そこの問題は毎年4、5、6月に頻発する「診断書持参での突然の長期休暇」だそうだ。

 

「心の病」という診断書は「書いて」と頼めば概ね通る。

これを利用して、「座席を開けずに長期休暇に突入する輩」が毎年出るそうだ。

 

席を開けてくれれば「人材は補填できる」ので、勝手にすればよいのだが「公務員は席にしがみつく」そうで、なかなか譲らない。

その結果、残った人材で穴を埋めないといけないそうだ。

 

…という事例もある。

そして子持ち様という事例もある。

 

例えば100の企業があるとして、「いくつがこのような事例に当てはまるのか?」考えてみる。

現実的には「いくつか」ではないだろうか。

 

こうやってYahooニュースなどで焦点を当てると「どこもかしこも子ありに被害を被る」と錯覚しがちだが、「そういうこともある」でも「そうでないことのほうが多い」であれば流せと言いたい。

 

変な言葉を作って流行させて、真面目に死ぬほど努力をして生きなければならない立場の人を苦しめるな。

 

物事は大抵「うまくいかない」。

うまくやりたいなら「一人でやれ」。

 

私が旦那によく言う言葉。

花が綺麗な季節

花を見に行きたくて、旦那と出かけてきた。

20連勤(半休除く)の旦那がようやく丸一日休めたのに、1日で20000歩も歩いた。

 

私は写真が撮りたくて、ちいかわのぬいぐるみを5体も持参した…。恥も偲ぶ。

 

いつもは車移動なのだが、運転がだるいので電車移動。

案の定、通勤ラッシュにぶち当たりたどり着く前に疲れ果ててしまった。

通勤通学してる人のエネルギーって凄い…。

…休憩。

大きな公園に着くとサツキやネモフィラやポピー、シーズンオフだったチューリップがギリギリ満開。凄く綺麗だった。

 

花が見たいとか…年を取ったね。と、話しながら散策した。

 

昼ご飯はこんなレストランで…↓

ピザを食べた。

屋内に張られたテント内なのだけど、私もキャンプをするなら「人口芝生」の上でエアコンの効いた場所にテントを張りたい…と、自堕落に話していた。

 

実際キャンプって虫も多いし、天候に左右されるし、テントの管理も面倒だし「野営」くらい割り切らないとやっていけない…。

 

私は外が好きなのでそこまでは我慢できるとして、何が一番嫌かというとやはり「人」シーズン絶頂期の密集したキャンプ場での野宿なんか地獄でしか無い。

 

布一枚向こうで酒を飲んで騒がれたり。

そもそも「虫の足音」でも起きてしまうのに「近くに人がいる」なんて気になって眠れやしない。

 

更に「自分達以外のバーベキューなどの匂いも嫌い」である。一人がいい。

真っ暗な森の中、一人で黙々と「焚き火」したい…。

 

山買うか…。

模倣

旦那が珍しくランチタイムにランチに誘ってきた。浮気でもしたんだろうか。

私のマスト。玉ねぎサラダ。

 

Volksで待ち合わせだったのだが、10分前に着いたのでとっとと頼んで一人で食べていた。

基本、私は「絶対に待たない」。

 

これは「B型だから」なのか「一人っ子だから」なのか「自閉スペクトラムだから」なのか「性格だから」なのか「旦那だから」なのか、どれだ。全部か?

スープバーで「牛すじのスープ」があったので、いただいた。

 

…肉デカッ!!!

スープバーで過去イチの大きさ。ブラボー。

 

ランチの一回転目での入店だったので補充したてなのか、かき混ぜたらお肉がゴロゴロ浮き出てきた。

 

…「カチカチ山」の「ババァ汁」が浮かんだ…。(それな)

 

似たような描写が瞬時に浮かんでしまう…クソ…ASD…。

ちなみに同時に浮かんだのが「溺れる魚」で自爆してゴミバケツに回収される肉塊。

…良い風に言えば、「それほどお肉がゴロゴロ入っている」ということで…。

 

旦那にも勧めたが、「ババァ汁みたいだよねッ」とか無邪気に言えなかった。

大人になった私。以前ならババァが隣りにいても言ってた。

 

午前中暇だったので、一人でキックボクシングへ行っていた。

私がやっているのは「フィットネス」なので、音楽に合わせて30分単位でサンドバッグをしばく。

 

他の会員は大体インストラクターが教えてくれる「レッスン」で集まるので、フリーで来る人は凄く少ない。

今日もグループレッスン前から1時間半。1人か2人かの状態で練習していた。

 

私にとってはとてもいい環境。

自我が開放され、サンドバッグに打ち込むたんびに全力でウサを晴らしたくて、小さく「死ねッ!死ねッ!」と呟いていた。

…どう捉えていただいても結構です。(ピシャリ)

 

私はしっかりスポーツをやったのが、中学1年生の時にやっていたソフトボールぶり。

あれから30年何もしていなかったなんて…恐ろしい。

 

体力も筋力も無かったのだが、丸一ヶ月週2で1回1時間半くらい練習していたら少し体が軽くなってきた。

筋力がついたのかも。

 

最初はキックボクシングなんかテレビでも見ないので、棒立ちでパンチやキックをしていたのだが、先週から「バウンス」というその場で小さく跳ねる動きが自然とできるようになった。(ボクサーがアイドリングしている状態)

 

サウンドバックに打ち込むスピードも早くなって、足や腰を回して打ち込めるようになったので音が半端ない。

 

更に少し慣れてくると「インストラクターの癖」がわかってきて、真似できるようになった。(いらん)

 

意識してみて感じたが、そもそも昔から「見様見真似ですぐにできる」タイプだった。

それは、「模倣が得意」であったからだと気づいた。

 

一人で練習しているときはリズムもつかめずあたふたするのだけど、隣にインストラクターが来た途端にそのまま「マネ」できる自分がいた。

 

そうか、運動神経が良いとか悪いじゃなくて「マネがうまいのか」。

確かに私は「情報処理能力」が秀でているので、合点がいく。

目から入った情報を体で再現することにも長けていたのか。

 

ということはだ…よく野球選手のバッティングや投球を真似する芸があるが、あれできるかもしれない。

 

…やらんが。

ちいかわ「出汁編」

ちいかわの漫画。

新作の「出汁編(仮)」が連載中なのだが、非常に心が痛くなる…。

人生で一度は全人類が経験したんじゃないかという「やらかし」なのだが、どう表していいかわからない感情になる。

 

単純な絵と最小限の表現で、ツッコミどころがあるんだか無いんだか微妙な「共感性」を描いてくるので、自分的に「ぐぅの音が出ない」感じ。心が苦しい。

 

今の話は出汁を抱えた「うさぎ」がいなかったら、ただの「生き地獄編」だ。

 

キャラが可愛くて子供向けのグッズが多いから錯覚しがちだが、よく考えたらちいかわ…青年漫画なんだよな。

つまらんことでも学ぶ

今日は法事だったので、久々に親族が集まった。

…とはいえ、2家族…。

親族とは法事の時に会うくらいで話もしない。

というか、年賀状すら来たり来なかったりなので「お互い取り付く島もない」状態。

今日もお教を読んでもらって、各自お昼を食べて解散。

 

全員必要性のないまま終わる。

長女がわざわざ新幹線で参戦してくれたので、今年に入って三度目の東京駅へ送った。

 

もちろん家族総出で「ちいかわ」を外から眺めに行く(入店は予約制なので)。

ちいかわランド…正月頃には全く興味がなく「素通り」。

春には次女も加わり「旧店舗」へ赴き、今では「新店舗」を指を加えて見ている立場。

 

東京ばな奈とコラボのちいかわさえ完売で買えず。新商品は「見てるだけ」。

システムを知らないので「なんで入らないのー!?」とダダる次男。

 

「いつか抽選に当たると良いね…」と、地元に帰ってドンキへ行ったら、サイトでは瞬殺された「ぽてたまシリーズ」のぬいぐるみが棚いっぱいに売っていた。

 

10分もかからず売り切れたちいかわのお友達「ちいカブちゃん」も20個くらいあった。しかも端数が1〜2円安かった。

購入に個数制限はない…「転売し放題だ!!!」という懸念を感じつつ。

 

「…いっぱいありすぎてありがたみがない…↓」と、次女と私の購買意欲が失せてしまって手ぶらで帰ってきた。

 

欲しいのは「何のためだ!」

ちょっと冷静に自分と向き合えた気がした。

ある日の昼下がり

おやつにスモア。

この「小麦胚芽のクラッカー」との相性がいいのでおすすめ。

 

さっき見ていた「徹子の部屋」でキンプリの永瀬廉がゲストなのだが、これはどちらの公開処刑なんだろうか。

 

徹子の部屋は「芸人殺し」として有名だ。

 

しかしながら今回の永瀬廉さんもなかなか手ごわい…。

65歳差の相手に対し、話し方に忖度なしなのが強すぎる。

 

ふたりとも相手に全然合わせないんだな…。ブラボーだよ。

デジタルタトゥー

久々に「今日のモーニング」を上げてみる。毎日どっかしらで食べてはいる。

今日は別のところへ行こうと思ったのだけど、モーニングがあるのに9時オープン…。

モーニング辞めてしまえ。

 

なので、仕方なく駐車場もあってWi-Fi完備の「モーニングワースト1」Denny'sへ。

フレンチトースト&シーザーサラダ。ドリンクバー付き682円。

値段を考慮したら悪くないのだが、サラダは画像に写っている量が「全て」だと思ってほしい。

 

さて、先日ちいかわの公式Xを見ていたら同じポストがやたら続くので見ると「しょうもない事案」が拡散されていた。

拡散に加担してしまうのは嫌なので、詳細は避けるが「個人同士のちょっとした諍い」がXを介して世界中に拡散されてしまっている。というもの。

 

あのX独特の「同じ文言に猫とかしょうもない画像を付けて拡散する」手法は何だ?昔の「2ちゃんねる」みたいなアホのお作法なんだろうか。

 

あれ、面白がってやってるが犯罪行為に加担している認識は無いんだろうか。

無いのか。

訴えられたら数珠つなぎに個人特定されて、晒されるリスクはあると思うのだが。

 

で、その「しょうもない事案」だが、誰しも経験するような些細な諍いである。

例えば私でいうとマックでのあるあるなのだが、最初に「持ち帰りでお願いします」「はい」から始まり、注文、会計後「店内ご利用ですか?」と聞かれる。

 

…おい。

 

こんな程度の事案。毎日誰にでもありそう。

 

これが動画に記録されてしまいXで拡散され、どっかの誰かが「面白おかしく編集」してしまい、更に拡散するという負のスパイラルとなっていた。

 

更にいうと「拡散したほうが元は被害者」みたいな関係性だったのに、事を大きくしたせいで「被害者のほうが大分加害者」にすり替わっている。

 

元ネタが「被害者投稿」だったのが災いして、「擁護という仮面を被った遠隔射撃」が勃発し「変な正義感」から「加害者を畳み込む」形に発展してしまい、最終的に「住所、家族構成から職場まで」ネットに丸ごと上げられていた。

 

これは「制裁」なんだろうか。

ただの「嫌がらせ」なのではないだろうか。

 

ことの発端が加害者側にあることを良いことに「同じくらい苦しめ」とか「自分は正しいですよね?ねぇみんな!?」みたいな感情で、「ただの憂さ晴らし」がとんでもねぇ規模に発展していることに被害者は気づかないのか。

今部屋の隅で丸まってビビる番はお前だぞ。と言いたい。

 

拡散されてしまった加害者は、しょうもない事で「デジタルタトゥー」という烙印を押されてしまった。

 

誰しもスマホを持つ時代。

近所や友人、職場の仲間。果ては家族に親族。

どこまでに知られているかなんて、事情聴取していかないとわからないレベルである。

 

つまり「通りすがる人全員自分の所業を知っているかも知れない恐怖」に、死んでも晒されるのだ。一族全員。

永遠に人を疑っていかないとならない。

 

この仕打ち、あまりにも甚大ではないだろうか。

ここまで想像して上げたんだろうか。否だろう。

 

最近になりようやく前澤友作さんが「なりすまし」を提訴し始め、Googleでの口コミ被害とか「匿名であるが故の犯罪」に焦点が当てられてきたが、誰しも持つ「心の闇」をインターネットに書き込んでしまう恐ろしさ、ってもっと実感したほうが良いと思う。

人だって殺せる行為なのだ。

 

今回の加害者もこの事案で生きづらくなって、もっと大きなことに走ってしまうかもしれないし、全く関係ない誰かに危害を加えられるかもしれない。

そうした場合、被害者であった輩が「指示役」の加害者だ。

 

というか、動画を上げた時点で既に「加害者」だ。

傷はどんどん悪化する。

 

やる側が問題なわけだが、やられる側としてもこんな「しょうもないこと」すら「拡散を想定」して、社会をやり過ごさないといけないなんてどうかしている。

 

「堪え性の無さ」ってこういうところに出てしまう。

やられたほうが「堪える羽目になる」とか、何だそれ。

 

「非接触文化」も相成って、この先こういう「遠隔射撃」みたいな輩がマジョリティになればなるほどビビってしまい、身近なコミュニケーションが希薄になっていくのではないだろうか。

 

一周回って「それ」って心が楽になっているんだろうか?