只今絶賛休養中である。
何年ぶりだろうか、お熱が39度を超え…
こんな状態。↑
ここ2、3日は「1袋の鈴カステラ」で凌いでいた。
1周間前にくしゃみ鼻水から始まり38度の熱が出たのだが、市販の薬を服用したら1日で落ち着いた。
その後、薬もやめて5日間何もなく。
6日目にして喘息の兆候が出始めたので、器官拡張剤をもらって吸って…その夜に39度一気に上がった。
タイミング的にステロイドが原因かと思ったが、右目の下から奥歯に響く痛みがあり鼻水も多く、色づいていたので「副鼻腔炎」確定。
いわゆる「蓄膿症」ってやつで、アレルギー体質な私は子供の頃よくなっていた。
それこそ30年以上ぶり。おかえり、蓄膿症。
…しかしながら突然蓄膿症とは…たぶんアレルギー反応な気がする(想像)けど、熱まで出てしまい焦ったので、再び病院へ行き検査をした。
インフルとコロナの検査も陰性。
確かに体調を崩してから一週間。誰かにうつったらどうしようって思っていたけど、家族は皆元気だった。蓄膿症だったらうつらんわなぁ。
…良かった…私以外バカなわけではないんだ。(そこな)
今回も「お一人様」で通院…。
さすがに家事は旦那にお願いしたけど、不安だらけで逐一指示を送らないと気がすまなかった。人にやってもらっているのに凄いストレス。不安だらけで信用できない。
…これ、ASDの特性だった事実。
養生中、Netflixでグッド・ドクターを一気見していたのだが、自閉症の「よくない特性」がまるっきり私でズドーン…と、堕ちた。
そしてもうひとり浮かんだのが兵庫県の斎藤知事。
同じや。という「振り返り」をしてしまう私。
「人のこと見て我がふり直せ」はその通りだ。
私も「迷惑をかけてやろう」なんて気は全く無い。「正しい」と思うので実行するわけだが、それが現実的に相互してしまう場合もある。当事者でも気づかない。
これは誰しもあるのだろうが、ここに自閉症特有の「曲げるのが苦手」だったり「相手の気持が組めない」が突出してしまうと「ただの駄々っ子」になってしまう。
そうなった時、「周りがどう思うか、どう対処していたのか」これをドラマを通して学ぶことができた。
客観的に見ることで、自閉症である主人公の気持ちと併せて「周りがどう思うか」これがよくわかった。
一貫して言えるのは、やはりドラマなので「彼が恵まれた立場」であることは否めない。周りの彼への理解度が完璧なのだ。
だから彼は実力を発揮することができている。
こんなの「おはなし」だからできることなんだろう。
そういう「社会へのがっかり感」もあったけど、例えば自分の家族はどうだろう。
私の障害を理解しつつ、自然体だ。
反芻思考があるっていうのに「昔の彼女の話」をしてきた旦那には脱帽する。
その記憶は死ぬまで抜けないし、いつでも当時のままブチギレるの知ってるだろ。
そんな私に忖度なし…これは感謝すべきことなんだろうか。
今回、感謝すべきだと思ったのはあまりにも旦那が信用できず、いちいち病床から指示を送ってしまったことである。
例えば次男を迎えに行って、習い事へ送る際
「あなたは2人で自転車に乗ると一人で先に行ってしまうから、必ずママチャリで後ろに乗せて行って。横断歩道を斜めに渡らないで。ヘルメットを付けてあげて、降りたら暑いから帽子をかぶせてあげて。水分補給もさせて。自転車を止めて歩く際は子供を内側に歩かせて、必ず手を繋いで。横断歩道は絶対に一人で渡らせないで。階段を上がるときは必ず親が下にいて…」などなど。
あたり前のことだけど、私は今までワンオペで、いちいち気をつけてそうやってきた。
これを崩されるのが嫌だったし、何かあったら…と、気が気じゃなかった。
もう、熱でフラフラだけど「自分がやったほうがマシ」くらいストレス過多で余計発熱したくらい。
心配性の度が過ぎたわけだが、いちいち送られてくる長文メールに対し旦那は「了解」と常に返事をしてくれた。
でないと私の心が収まらず、メールの頻度が増加してしまうことを知っていたからだ。
こういう特性が私にはあって、知らないと「うるせーな!!」とキレる場面だと思う。
でも、悪気があるわけではなくむしろ逆で「絶対に成功して欲しい」と思うほど、心配性が発動してしまうのだ。ミスは許されない。
こういう事がとくに体調を崩していたり、精神的に疲れているほど顕著に出てしまう。
それを「理解してあしらえる」旦那にはやっぱり感謝だなぁ…と、反省しつつ…
「ごめん、障害だから一生治らない」と、付け加えるのだった。