広島原爆被災者である方のお話を聞いていた。
阪神・淡路大震災、東日本大震災などの被災者のお話もそうだが、平和ボケした私達にとっては壮絶すぎて、リアリティの範疇を超えていた。
小さい頃、児童館で「はだしのゲン」を読んだことがあるのだが、やはり現実味はなく「お話し」として読んでいた。
そこには「未知なものに対する好奇心」もあり、純真に上辺だけを流し読みしていた。
でもこれは、好きでゾンビ映画を見ている心境と大差ないんだなと。
リアリティが欠如しているからだ。
今でさえ様々な表現で過去の記憶を映像化したり、繋げる努力はなされているが「当事者の現実」には到底及ばない。
なぜなら私達は今「安全圏よりそれを俯瞰しているから」である。
この凄惨な事実を現実として受け止めるには、その時その場へ行くしか無い。
不可能である。
ただ、その「どうしようもない経験」をくぐって来た人物と自分が「同じ時系列に存在している」これが真実なわけだ。
以前、90歳を超えるおばあちゃんと自店で知り合った。
その頃は次男をおんぶしながら仕事をしていたため、この平成の世に不似合いな私達に興味があってか、始終気にかけてくれて文通が始まるほど親しくなった。
私達は生活に困っているわけでもなく、お店は副業だった。
ただ、本業だけでは学びもないので「苦労は買ってでもしろ」というスタンスもあり、起業にチャレンジしていた。
しかし現実は待機児童がとても多く、次男の預け先は2年間見つからなかった。
なので赤ちゃんおんぶして働いてわけだが、これが「苦労人」っぽく見えてしまう。
そんな私達を目の当たりにしたお年寄りが、手土産持参やお金を包んでくれて「頑張っていて偉いね」と励ましてくれるようになった。
…嬉しさもあり、また、なにか「騙しているような」後ろめたさもあった。
人によっては…上取られてるなー…みたいな感じも。とても複雑な思い。
それ故、はっきり断ったり説明をする事もあったが、所詮「店員とお客」の関係性。
なかなかわかり合うこともできず、勘違いされることも多く、そういう意味で正直お年寄りは苦手だった。…悪い人は誰もいないのに「苦手」凄く苦しかった。
知り合いにいうとこれも「やっかみ」ネタになるのか「丸っともらっちゃえば?相手もそれで良いんでしょ」と、人間性を問う返答の人もいて、精神的につらい時期ではあった。
そのおばあちゃんもご高齢で、戦争を体験した一人だった。
夏場になると文通の内容が「戦時中の苦しかった頃」のお話になりがち。
このお話はとっても大切なんだと最初は真摯に受け止めていたが、私自身も平和な世でありながら機能不完全家族であり、裕福であるのに苦しんでいた。
この「真逆の苦しみ」がなかなか人に共感されづらく、「裕福だけど苦しんだ」ではなく「苦しんだけど裕福」とか、字義通り真逆に受け止められることが多い。
暴力を受けても「…それくらい我慢したら?」みたいな言い方。
ここには「自分の状況と比べると生活水準的に羨ましいから」とか、私情が入るわけだが、実際内部事情なんで家が良いとか悪いとかの問題じゃない。
さらに言えば相手の上を取ろうとか、私にそういう算段はできない。
単純に真実を言っているだけなのだが、仕方がない。
相手も相手なりに悪気はないのかもしれない。他人の考えなんかわからない。みんな同じだ。
自分の中の辛い記憶って「所詮当事者じゃないとわからないんだな」と、凄く悲しくなったこともあった。
この「私情」って「所詮自分中心」であるうちは何事にしても無意識についてくる。
それは私も同じで、どんなに苦しいお話をされても「想像の範疇を超えない」ため、完全な共感はできないし、苦しい思い出を聞く度に私も「あの頃に戻ってしまう」ため、「今苦しい状態」に陥りがちで悩んでしまった。
たまに共感性を感じ、「理解できます」と返すと「平和な世の貴方がたには絶対にわからない」と、相手を傷つけてしまう。身も蓋もない。
…わかろうとしたんだけどな…と、相手の意図がわからなくなり落ち込む。
こういう事を通し、相手の心を知るとは凄く難しいんだなと学んだし、自身も「なにか胸に支えているうちは聞いてはならないこともある」と感じた思い出がある。
そもそもだが、50歳以上年の離れた他人の会話が成り立つなんて奇跡だ。
誰が悪いわけでもないのに「両者の心がえぐられる」。
戦争であれ、災害であれ、障害であれ、虐待であれ。
自分を壊されるほどの「なにか」を経験した人との厚い壁は絶対に崩れない。
この世の中には「そういう人もいるんだな」という覚悟も必要で、例えばそれを共有するときは「必ず自分とは分割して捉える事」も大切だと思った。
女子のする「共感、同調」など事実の前では何の意味も持たない。
「歴史」として頭に刻む。
それが次の世代にバトンを渡す、私達の宿命なのかなと。
こんな思い出もあり、当時「友達0人計画」は着実と進んでしまっていたのだった。