言わずと知れず流行っているこのAdoさんの「うっせーわ」。
賛否両論であろうこの歌詞の内容に、コロナ禍のフラストレーションをぶつけるが如く皆さん食いついている。
大人はいいんじゃない?って思う。飛沫まみれになってカラオケで歌いたい。
鬼滅といい、きっと今だからバズる。混とんとした「我慢の時期」だから。
こういった風潮を先読みしたワードは、出したもん勝ちだ。
前者でも問題になったが、これを子どもに見せる親の心境は何ぞや。
解脱組の私でもわからない・・流行りに乗っているとしか。
もしくはYouTubeに子育て頼りすぎて自然と覚えたか、上の子が歌っていて覚えてしまったとか。クラスメイトから感染したとか。
「うんこ」で爆笑する心理と似ているのか、うっすら「これはダメだろう」と、自覚があるうえで子ども達はネタにする。
ダメ、辞めなさい!は、いいから、やりなさい!なのだ。
純粋に育てようとしても、様々な情報が入ってくる。
これを排除するのではなく、共存することが大切なんだと心理カウンセラーが語っていた。
・・前に書いた「公園の遊具」と、同じことなんだろう。
存在することを認知し、どう回避するか。
そうやって自分にとって必要かそうでないかを定めていくのだ。
なので、排除だけが良いものではない。
と、するとこの曲が今求められている風潮は、否定するものではないのかもしれない。
文言に違和感はあるだろうが、老若男女腹の底で押さえている言葉を吐き出しているにすぎない。
かつて「バカにしないでよー」とか「あなたが~噛んだ~小指が痛い~」と、歌っていたまる子がお母さんに怒られているのと同じだろう。
キスシーンでチャンネルを変えるのも然り。
何だか子どもには後ろめたいというか、知ってほしくない現実に気軽に触れられると気まずい。悪いことばかりではないはずなのに。
人間がゼロから育つ過程では、精神も順序だって成長する。
それが未熟なうちに、面白がってしまう。ということは、親にとっても「この先大丈夫かしら」の悩みの種だ。
自分に照らし合わせると大体答えは出るのだろうが、結論大して問題はない。
記憶とは往々にして出来事と紐づけて脳裏に焼き付けられる。
つまり、「うっせーわ!」と言われてリンチに合っていたら死んでも忘れない負の遺産だが、聞いたり歌ったところで一過性である。というのは分かっていることだ。
要は、これを口に出すスリル感や周りの反応が濃ければ濃いほど脳裏に刻まれ、記憶したり、行く行くは癖になっていくのだろう。
だから、言い出したら「やめたほうがいいよ~」と、やんわり対応すれば、本人わかっているのだから、飽きていずれやめる。
これを「誰が歌っていたの?どこで覚えたの?汚い言葉は辞めなさい!!」と、追い詰めてはいけない。焼き付いちゃうから。
子育てもそうだったように・・。
とはいえだ。
自分の子どもが突然「うっせーわ」と歌い出すとビビる。
うちの次男はまだ歌わないが、鬼滅のCMを見るたびに「全集中だ!」と言い出した時は驚いた。
「鬼滅」とは言わないから、どこで知ってどう絵と紐づいているのかは謎だ。
鬼滅は次女が夜な夜な見ていたのと、長男にまさかの「ママ、映画見に行こうよ」と言われ、2人で見に行ったので、私もおおむね話は知っている。
母として見ると、まあまあのトラウマだった。
子どもが死ぬのは作り話でも嫌だ・・し、余談だが子育てしていると、「子どもがいる人が作った話」と「子供を知らない人が作った話」が、すぐ分かる。
「さわやか三組」みたいな・・ニュアンスが分かりやすいだろう。
表現の仕方、ストーリー構成が明らかに違う。
見終わった後「・・死に際にママが出てきたら笑っちゃうだろ?」と、どうでもいい話しかできなかった。
で、この話を知ったうえで好きな幼児や小学生ってちょっと・・とは思う。
情緒が未完成だからだ。
人として成熟している人間は、同調もあり、また「これはお話だ」と切り分けられるが、子どもは思った以上に純粋で、スポンジのように直に何でも吸い込む。
表現や映像からしても、キャラの境遇や成長が分からず、善悪の真意が理解できない時期に見せる作品ではない。
悪者→首を切り落としていい→正義。が、インプットされてしまう怖さは親としてわかってほしい。だからR指定なんだが。
昨今、大人も「悪いことをしたら制裁」がブームなようで、不倫したり脱税したりあおり運転した奴には「何をしてもいいんだ」という穿った正義が蔓延しているようだ。
炎上も同じ。
外野は黙れと言いたい。
でもこういうのも、紐づけされて育った倫理観の延長ではないのか。
何事も過程があり、正しいか、正しくないかの極論ではない。
外野は口出しするものではない。というリアルを想像する能力が未発達な人が多すぎる。
言葉で人を殺せる時代って、容認してはいけない。
これから非接触やリモートで、どんどん対コミュニケーションが希薄な時代がやってくるだろう。
自分や相手を「生身」と認識し辛くなる環境って、承認欲求や自己掲示欲が爆発し、アイデンティティーが崩壊するんじゃないかって思う。
人間ってそんな強くない。前も言ったけど何事も全部を知らなくていいし、全部を知ってもらわなくてもいい。
自分以外は他人なんだから。
盆踊りやパラパラ好きな日本人に、これを言っても伝わりづらそうだが・・。
鬼滅に戻るが、キャラの奇抜さや技の格好良さだけで好きになるなら、戦隊ものや仮面ライダーを見なさい・・。と、思う。
あれもまあまあアングラだけど。
つまり幼くして鬼滅などに詳しい子は、ただの親の嗜好なんだろう。
いろんなものと共存した考え方を語っていてなんだが、年齢を超えて共有する作品は他にも山ほどある気が。物事は順序だっていないと基礎から崩れる。ジェンガみたいに。
親子で楽しんでいるつもりでも、子どもの心理状態は絵に出たり、親の監視下から逃れたとき行動にも出る。
みんながみんな子供に「あくま」ちゃんって命名したくて問題視されるほど、倫理観がズレているわけでもなかろう。
人ん家の事だけどさ。
こういう事にオープンすぎるご家庭がいたとして、その子どもが親のいないところでどういう行動をとっていて、それを見た他の人間がどう思うか。
そうして、そんな我が子が知らないところでどう扱われているか。
そこまで予測して行動した方が、子育てはきっといい。
善悪はこの先の育つ過程で、死ぬほど身に染みて学べる。
そんな穿った視点も個性よ!と、言い切るのならアナ雪みたいな迫害は覚悟した方がいい。
自分たちが表面だけの付き合いで、裏ではぼろ糞言われるターゲット役になることを。
何でもかんでも「表現の自由」で払拭されると、全体的な秩序やモラルが崩れ、世界が住みにくくなる。
そうすると、そのフラストレーションがインターネットで蔓延する。堂々巡り。
何だか今は、そうい風潮だよねって話。