私は無趣味だ。
何か「推し」が欲しい。と、ハマるものを探していた。
何年か前に「鬼滅の刃」が大流行したとき、私と同年代くらいのお母さんが子どもと一緒にハマっていて驚いたことがあった。
子育てをしている時「母親」という「大人の偶像」を目指して、「私も大人にならなくては!」とあがいていた頃があったからだ。
どこかのブログで書いたが、私はお酒を一滴も飲まない。
宝石やブランド物など高額なものも興味ない。
これを買うくらいなら、2000円、3000円の服を常に買い替えたりリサイクルをして着たほうが「変化」を楽しめると思っている。
その代わり、立ち振舞や、話し方、ファッションや身だしなみ(TPO)は「大人として」特に意識をして気をつけていた。
つまり、お酒も飲めずブランド物も興味のない子供っぽい自分を払拭したくて、勝手に「大人の縛り」を自身に課していた。
しかし近年、自身が発達障害だと知って、押さえつけていた「子供っぽさ」が私にとっての「自然」であることに気づいた。だからキャラクターものに目が行くのか!
気づいちゃったら常識が変わった。
「大人も漫画を好きでいいんだ!!」自由なんだ!
コレだ。
なにか自分の中で、「漫画は大人が見ないもの」みたいにルールを作り倣っていた節がある。
別に漫画は嫌いじゃない。(動物は嫌いだと確信したが。)
だから鬼滅の刃を好きな大人は、大人になりきれていないわけじゃなくて、素直な自分でいるだけなんだ!と、逆に羨ましく思った。
さあ、漫画解禁である。
早速鬼滅の刃を読んだ。
…全然おもしろくない…
全く共感できないし、話も絵も好きじゃない。
「子どもが親の気になって描いた親子愛」が、凄く露骨にわかって違和感もあった。
この作者お子さんいないな。ってすぐわかる。
結局、長男からブルーピリオドとか推しの子とか最近の漫画を借りて見たけど、「う〜ん…面白いが…」面白くない…。
今も薬屋のひとりごとを借りているけど、「う〜ん…」子供の頃のような情熱が持てず。
せっかく「漫画見るぞ〜」と、童心に帰ろうとしたのに特にハマらなかった。
余談だが、推しの子のお話の中で相手をイミテーションしてしまう俳優がいて、彼女が相手を分析するシーン。
あれ、定型発達障害でやりがちな考え方だと思った。
間髪入れずに突き詰めると言うか、一つ一つイメージするのではなく、あんな感じで全体像が一気に浮かぶ。
そこから適切な表現を抜粋して発言していると想像してほしい。
(無論、旦那には全部浴びせる。)
話は戻るが、そんな中で徐々に気になり始めた作品が。ゲゲゲの鬼太郎。
正直、アニメは殆ど見ていない。面白くないから。
しいて言えば自分が小さい時に見ていた第三期は好きだけど。
鬼太郎の何に惹かれたかと言うと、水木しげるさんの人生観と彼の描く妖怪である。
そして結構シビアな原作も好きだ。
笑ゥせぇるすまんとか初代の白黒ミッキーなども嫌いじゃないので、ナンセンス物が好きなのかもしれない。
余談だが、初代ミッキーは家賃も踏み倒し、無賃乗車や食い逃げもする。
最終的に刑務所で強制労働させられるのだが、そこから脱獄する話もあるのだ。
しかもそこでの悪者役は(大抵ピート)看守、大家、車掌である。
…どう考えても悪いのはミッキーなのだが…という話が多い。
話は戻るが自分が発達障害だと発覚して、精神疾患を持つ親族も居て「そういう事」を結構勉強していた。
ある夏の日、たまたまどこかの博物館で夏休みの特集「百鬼夜行」展が開催されていた。
これに次男と行ってきて妖怪に興味が出た。
「なんかこの2つ似てる」と。
その後、六本木ヒルズなどで「水木しげるの百鬼夜行展」があってさらにハマり、江ノ島の妖怪スタンプラリーで沼にハマった。
妖怪、病気、知れば知るほど共通点が…。
これはワンチャン「妖怪=精神疾患または発達障害者」なのではないか疑惑が出てきた。
この考え、事の真意が不明確なのであまり世に広がるとよくないが。
例えば一般には理解し難い犯罪では精神鑑定を行う。
これって心神耗弱を目的に、というか「こういう疾患の人はこういう行為をしがち」のエビデンスを取る意味でも大切だと思う。
プロファイリングで犯罪抑止にもつながるからだ。
やはり何らかの疾患などがあると、心のブレーキが効かず「奇行」を起こしがちである。
しかし、親族に統合失調症の方もいるが、一般的に理解し難い行為でも「本人とっては全てに理由がある」場合が多い。
だから「変」と自覚せずにやりきっちゃている場合もある。
ということはだ、「心の病気とはなんぞや?」という知識のない時代に、奇行を見かけたら「おばけの仕業かも!」って、純粋に感じてしまってもおかしくはない。
世界を見ても原始宗教とかブードゥー教などのヤバい教えって、「人を知らずに」発展したものでは無いかと私は考える。
つまり「知らない、分からない=怖い!」となって語り継がれた結果、「妖怪」と定義されてしまったのではないだろうか。「未確認飛行物体=UFO」みたいな。
その妖怪の特質も地域の生活文化により沿っていて、「これは人だろ」と、確信したこともあった。
何で妖怪に対してそう感じたかというと、「私が気に入ったから」
…というシンパシー的な話。
なんでもそうだが、共通の何かを感じると惹かれる。
こ妖怪との見えない「何か」は障がい者としての共通点ではないか…と、勝手に思っている。
水木しげるさんの幼少期を自伝で読んだけど、その子供時代の行為も絵もたぶん何かありそう(推測)。
水木しげるさんの描く絵はいわゆる「点描」だ。しかも戦争で片手を無くされている。
あの絵を片手でブツブツと描いているなんて…凄すぎる。
相当飛び抜けた才能だと思うからだ。
この才能がアレであるなら、妖怪に惚れ込んだ理由がわかる。
もしかしたら…私と同じなのだ。
私と同じアレだと、キャラクターもの(手足の短いもの)に惹かれる特質があるからだ。
持論を唱えておいてアレだが、結構自虐的だな。