ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

障害者手帳

ASDなので障害者手帳を頂いているわけだが、2.3級の意味がいまいちわからない。

 

せいぜい確定申告の際に控除されるのと、精神科のみの受診料が10%になり、「障害者枠」で公共機関を利用できるくらいしか使い道がない。

 

もちろん自立支援も受けられるので、店に何かあったときは外部で従事しないとならないので利用したいが、正直起業できる私が何故取れるのか実際よくわからない。

もちろん「基準以下」の脳で「障害」となったわけだが、発達障害の症状は人それぞれなため、私のように人の皮を被って生活することは不可能ではない。

 

脳の障害なので、どうしても生活する上で「標準値」で計られると苦しくて辛いのだが、そもそも「従順である」特質もあるため上っ面は馴染める。

この「適応能力」があるタイプはやっかいで半ばできる分、様々な障害があるのにもかかわらず「努力不足」「怠惰」など勘違いされやすい。

 

こればっかりは心の病と違って、薬を飲んだからと言って良くならないわけだ。

つまり、何らかの「気遣い」は頂きたいものの、いちいち「これでどうにか(障害者手帳を見せる)」なんて水戸黄門の印籠みたいな出し方できないし、正直やられたら私でもドン引きする。

 

ヘルプマークも精神疾患だけに特化したものでなく、身体でも認知されているため、無駄にブラブラさせていると電車で席を譲っていただくこともあるのだ。

気持ちはとても嬉しいが、とても申し訳ない…。

私は障害者であっても体は丈夫だ。

どちらかというと、席を譲ってもらうよりドア側の端っこに立たせてほしいタイプ。

 

でも「一律手助けが必要」と受け止められるため、受け手が察することは不可能なのだ。

 

このジレンマは認知度が低い現状、即日解決には到底ならないだろう。

ただ、昨今話題となる「ジェンダーレス」が1クラスに1人いる割合なのに対し、発達障害予備軍はもっと高い割合で存在する気がする。

 

前記(別ブログ)での理屈で考えたら、日本において発達障害はマジョリティであるかもしれないのだ。

マイノリティへの配慮は考慮できるが、マジョリティであるなら法を改正してくれと思う…。

 

飛躍したが、個々の症状が千差万別のため全てを「わかってあげよう」は無理だと思う。

しかし、もしかしたら現代っ子(z世代とかα世代)の生きづらさがこれで、その下の代に対して上の代が「気を使うから大変〜」なんて思いつつやっていることが、あながちなのでは。

 

一概に「根性なし」ではなく、確固たるなにかが裏にあるのかもと、慎重になっている今の風潮はもしかしたら平均的に見て悪くないのかもしれない。

 

ただし、「真の根性なし」が存在することも確かだ。

なにかデスノートみたいに頭の上に数字とか識別できるものが見えていれば、その方に準じて対応するのになーと、未来に思いを馳せる。