ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

日本人発達障害多い説

ASDである私がすげー前向きに考えてみる。

妄想に付き合える方のみ私と並走してほしい。

 

定型発達障害になる要因は漠然と「遺伝要素もあり」とか、「妊娠時の年齢に関係する」とか、言われがちだが実のところよくわかってないらしい。

 

でも、ちょと色々配慮しているだけで、実は「遺伝要素が強い」ではないだろうか。

だって、私の両親もそうだし親族には心の病の方が実に多い。

これも実は発達障害であるがゆえの、生きづらさで起こる弊害であれば親族間で多めな理由にはなる。

 

あまりにも「多め」なので、自分の家系は大昔に大罪を犯した「呪われた血だ」とか思っていた。

今もそう思うことが多めなので、この負の連鎖は私が死ぬまでに丸めて持っていく気だ。繋いだ子どもたちを守りたいから。

 

もとい、「遺伝要素が強い」と仮定する。

日本は島国で集落や狭い地域で同じようなメンツと過ごしていた。

例えばこの地域(島)「高橋さん乱立」みたいなパターンがあるのだから、狭さがわかる。

 

天皇家も血を守るために近親相姦じみた(ぼかす)要因で大正天皇がアレだった。

顔つきが似ているのもソレだ…と、言う方もいる。

 

血縁が近ければ近いほど、アレがああなる。

つまり「発達障害が多めな民生」なのかもしれない。…と妄想する。

 

日本人の特徴である「勤勉、真面目、清潔好き、整然と並んじゃう」…こだわりが強いASDと似たりよったり。

また、細かい作業や戦後復興時の発想力は発達障害の症例でもある。

 

要はクリエイティブな方が多い。

発達障害には様々あるが、繰り返しが得意な方、アレンジが得意な方、とにかく追求する。など、「ほかはできないけど、これだけは負けない」特徴がある。

 

発達障害者はその「負けない」度合いが尋常でなく秀でる。

集中力パない。

 

むしろ今までの文化や礎は発達障害者なくしては発展してこなかったのでは?

と、錯覚してしまうほどとにかく「できること」は人並み以上にできる。

 

今の若者は顔面偏差値も高いのに自己肯定感が低い。

幸福度がSNSによって捏造されてしまうので、錯覚もあるだろうがこれもASDではよくある。

 

芸能人やアイドルで「顔がいいのに何も知らない」的な方が多いのもアレがアレな方たちが多く、エンターテインメント的に秀でているからなのかな。とか思う。

 

特徴的な方たちももちろんいるが、カズレーザーさんや、ふわちゃん、みやぞんさんの才能は驚くべきものだと思う。

公表している深瀬さんの才能や感性。尋常ではない。

 

しかし「強いこだわり」や対人関係を築く際のなんかしらの壁は、みなさんもうっすら分かるし、それぞれ若干子供っぽいイメージはあると思う。

 

でも、こういう方たちがエンタメや創造分野を牽引して行ってくれるから「発展」してきたのだ。もうリスペクトしかない。

 

アニメであれ、発達障害多い説の証明にもなる。

日本のアニメや漫画は絵も内容も実に繊細に作り込まれる総合芸術作品だ。

 

しかし、海外のアニメと違うところが明確にあった「海外→漫画アニメは子供専用」「日本→漫画アニメは大人も共有」昔はこれが定説だった。

なので、通勤電車内でJAMPを読んでる会社員が外国人から見ると不思議だったそうだ。

 

海外では漫画やアニメを見ることは、心が成人していないんだな。

というネガティブ要素だった。

今ではそのネガティブ要素が認知され、世界中を沸かしているわけだが。

 

では、なぜ大人が見るものではない。と、認知されていたか。

 

そもそも海外の漫画やアニメはキャラクター要素が強かった。

マーベルがわりと人間らしい描写の漫画を出しても、湧くのは小中学生男子くらいだったし、そもそも漫画自体もパンフレットのような冊子で、分厚い単行本のような連続したものも無いし「非日常」を主観的に描いたものばかりだったようだ。

 

だから漫画やアニメは感情移入するようなものではなく、あくまでも子供のエンタメという感覚だったのだろう。

 

しかし日本の漫画は違う。

日常の不満や今の現状でさえ漫画にする。

要は「共感」しやすいからとっつきやすい。

 

キャラクターも海外は成熟した大人のヒーローか、ミッキーのような完全なキャラとして二極化していたが、日本の漫画やアニメのキャラは異常に目が大きく女子はみんな幼い割に乳がでかい。

 

この絵が海外勢からしたら違和感アリアリだったそうだ。

この絵のような女の子に欲情する日本男児は精神年齢いくつなんだと。

いや、これは私でも思うが。

日本人が制服好きなのも今は認知されている(いるんか?)日本ならでは。

 

確かに日本人男児ロリコン多し。

この成熟度が未熟であったり、手足や等身の低いものに魅力を感じるのも奇しくも発達障害の症例である。

 

「オタク」文化も日本発祥であり、その特徴も似たりよったりではないだろうか。

過度な執着(推し)こだわり。好きなことに関しての多弁、昔は服装や身なりも気にしない方が多かった。

そして高学歴な人が多かったり、コミュ障が多かったり…。

 

奇しくもこれを海外に当てはめても、いわゆる「オタク」の方々の雰囲気は似たりよったりなのだ。

…これは…と、思わないだろうか。

日本の漫画やアニメはいわゆる「そういう方たち」に好まれやすいのでは。という憶測。

 

世間に目を向けてみよう。

日本は隅から隅まで整備されていく。

定時に動き続ける電車やウォシュレットで例えるとわかりやすいだろう。

規律や協調性「みんな一緒」を強調する。

 

これは発達障害者の首を絞める所業なのだが、発達障害者がこのルールを決める側に存在するとなると、理路整然や、効率を好むため納得がいくのだ。

 

この隅々まで気遣いできて、これを創造し続けることができる日本人…。

高機能自閉症…。なんか疑ってしまう。

 

だとして、発達障害者が遺伝するものと仮定すると、もはや日本中には何らかの障害者しかいないということになる。

 

で、これを立証してしまうと出生率に関わる。

誰しも「障害」という言葉には敏感だからだ。

 

…しかし「言葉へのこだわり」…嗚呼ASDである。

 

これで日本の出生率が下がったり、海外なら大丈夫だろうと国際結婚がまん延したら、純血の日本人は滅びる。

 

今の子供達がコミュ障気味なのはSNSだけのせいなのか…。

脳的にできないなら、ディップさん量産されても仕方がない…。

ただの根性なしではない可能性も。

 

始終情報を頭に入れているのもグルグル思考を抑制する行為か、とにかく白黒思考で何事も決着つけないと気がすまないのかも。

少なくとも私がスイカゲームをやり続ける理由は前者だ。

 

全ては私個人の持論だけど。

 

…どうだろう?