ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

辞める理由

某所で行われた「こどもの日フェスタ」。

天気も良くて、色とりどりの鯉のぼりが凄く映えていた。

写真は次男(7歳)がゲームで取った景品。

 

とんでもねぇくじ運&技術の無さで「コリントゲーム0点、300円でうまい棒1本」「スーパーボールすくい、極小1個」「300円クジ極小恐竜2体」。

…惨敗も良いところだった。それでも挑むお前スゲェよ。

 

唯一の当たりは「500円クジの射的セット(おそらく100均)」。

彼は「一生分の運」を蓄積中なんだろうか。

 

さて、本題。

私には「すぐ辞める」という癖がある。

ADHDである多動性障害」という診断を受けているので、最早「癖」ではなく「障害です」と、答えは出ている。

でも、「障害ということを知らなかった」わけで、実はいちいち「理由」はあった。

 

振り返ってみると、「クソ真面目」「失敗を極度に恐れる」この二択に尽きる。

 

私は「大体のことはすぐできる」タイプだ。

今回、初めて挑戦しているキックボクシングも「今求められているレベル」は早いうちにマスターしていた。「模倣」が得意だからだ。

たぶん同時期に入った方の中では一番できると自負する。

 

ただ、こうなるまで「アホみたいに通った」ことや「反復練習」を欠かさなかった事実があり「結構努力している」。

しかし所詮「一ヶ月だけの模倣」なので、体は締まってないし筋力もない。

フォーム(見てくれ)が正しいだけだ。

 

この様に私は失敗を恐れるため「最初からトップスピード」で「吸収することに全身全霊をかけてしまう」だから「スタミナ切れ」が早い。

併せて「自分的に満足」してしまうと「もういいや〜」が発動する。

別にトップアスリートを目指しているわけではない。

→や〜めた。となる。

 

また、「失敗を恐れる」は「完璧主義」という自分がいるからだ。

私には「人に厳しい分、自分にも厳しくしなくては」という謎の縛りもあり(今は相当丸い)「常に向上してこそ相手(先生)への敬意」とか「日本兵」みたいな魂に監視されている。

 

なので、「教えてくれる人の視線」に始終ビビっている。

バイトでも30分前には入って、状況を把握しないと引き継げなかった。

入って間もないくせに「同じスキルを要求されているのでは…」という不安が始終あった。

 

バイト開始時間まで待っている間は「前の人をカバーできるだけの資質が私にはあるんだろうか…」と、反芻思考しながら「一生懸命現状を把握する」全開で緊張スタンバイ。「失敗は許されない」これ、毎回。疲れる。

 

酷いときは「飲食店で仕事をするのだから清潔でないと」という謎の縛りのせいで、出勤前に欠かさず風呂に入って着替えてから行っていた。

→や〜めた。となる。

 

大体こんな流れのパターンが出来上がっているので、私は「そういうタイプ」何だと思う。自分で自分の首を絞めている。

 

なので、今時分言われる「適正箇所じゃないので辞める」みたいな輩と一緒くたは嫌だ!と叫びたい。

あいつら「根性なし」だと思う。

私は理不尽を突きつけられても「下積み」と思い、何でもやってきた。

 

逆に「やり過ぎて周りが堕落した」くらい一人で背負っていた。

都合良く扱われることだって多々あった。

 

でも「受け止める側」からすると心の葛藤なので、そんな気持ち微塵もわからない。

結果は同じなので、表面上は「すぐ諦める輩」と結局同じ。

大分自分を棚に上げるが、私的にはこれは「別物」だと思うし「損」している気もする。

 

でも率直に「同じ行為で迷惑をかけているな」と思うので、結局反省しか無い。

こんなの「理解して」と主張するほうがバカだと思うし。面目はない。

 

「辞める理由」って様々だけど、そんななかでみんなが不満に思うのは「その弊害が自信に及ぶ」一択なのだろう。

人に迷惑をかけているなら、病気であれ障害であれ資質であれ「ごめんなさい」だと私は思う。

 

長男は大学付属の学校なのだが、高2の時に内部進学の進路相談へ行った際の出来事。

それこそ「適正な進路への助言」を求めに行ったのだが、

進路担当の先生に「習うより慣れろ」といさめられた。

いや、お前こそそのポジション向いてねぇな。ここ「進路指導室」だよな?

 

この先生、数か月前まで民間企業の営業で、最近転職して来た「ツッコミどころ満載」の独特な先生だった。

 

学校という閉塞された空間の「外」から来られているので、社会一般での考えをゴリ押ししてくる。

これを「全体説明会」でもやるので、聞いている親は「????」のまま終わる。

異教徒襲来だ。

 

堪え性のない若者からの弊害をモロに受けていそうな「営業部署」からの転職なので、言いたいことはよく分かる。

しかしお前の概念を押し付けるのには、まだ4年は早い人間に自分の願望を託しちゃいかん。蓄積された不満を「未来ある若者たち」にぶちまけるな。

 

「方向性を見極める」相談部所で「配属先を受け入れなさい」はねぇってばよ。

 

夢をくれ、夢を。

そういうのは「事後でいい」今は「長男のスキルに向いている学科」を「提案」してほしいだけなのだ。

 

なんだか結婚する前に離婚の話を切り出されているみたいで「順序ッ!」って思った。

 

でも、そう言いたくなるほど今の人は「転職思考」が蔓延しているというか、「話が違う」を盾にする輩多し。とは思う。

単純に「何様だ」と思う。

 

経験値がないやつがどこかを蹴っても「蹴った」というマイナスが付加されるだけで「次に行く際にリスクを負う」としか思えないのだが…。

なぜ「次はもっと良いところ」とポジティブに辞められるんだろう?と不思議。

私なら「どんどん待遇は落ちる」と危惧するが、違うのだろうか。

 

自分が人事だったら、「職歴が短い人は採らない」。あ、私も採られないな。

 

なんでもそうだが、「継続してみる」の大切さがとても良くわかる。

ただ、「転機を見極める」重要性も凄くわかる。

これを履き違えて正当化するのが「すぐ辞める人」かなと思った。

何かを培っていなければ、後者に意味はない。

 

私は「継続」することを挑戦中だ。

多動性障害があると「根本的にじっとしていられない」自分がいる。

常に焦ってしまったりソワソワするのだが、これを今までは「力と気力で抑え込んでいた」わけだ。

なので、それが破綻するとパニックになり全部嫌になってしまう。

 

でも40年以上生きてきて、それなりに「経験値」も得た。

自分の特性とも向かい合うようにして、自身の理解を深めた。

 

コヤツ(発達障害)は正面切って対応しても反発しか無い。できないものはできない。

 

「柔よく剛を制す」が如く、「受け止めずに促す」という考え方で「流す」方が有効的ではないかと思っている。

つまり「できない→我慢して頑張る」ではなく「できない→どうしたらできる」この思考だ。

 

定型発達者のやり方を真っ向から受け止めるから「疲れる」のだ。

「私にはできん!」を、晒す。(開き直る)

 

でも「結果までたどり着くことは可能」なので、自分の「道」を開拓することから始める。→結果的に「できていた」

こういう風に物事を捉えるように自己訓練している。

 

なのでキックボクシングも「このままだと辞める路線」なわけだが、「あと数ヶ月」「これも習得したい」と、箇所箇所に目標を立ててみようと思う。

バッキバキが目的ではないので、最終目的地は「解約金が無くなる来年4月」である。

 

継続するために「嘘が嫌い」な特性を活かし「有言実行」に持っていくため「公言しまくる」作戦。これも私にとってかなり有効だ。

そうやって「やり過ごす」うちに「時間も過ぎている」という計画ではいる。

 

どこまでできるかわからないけど、「できた」を信じてみようと思う。