クリスマスの思い出は色々ある。
上3人が小さい時、私は「完璧なお母さん」だったので、「ブッシュドノエル」や「クッキーハウス」などを小麦粉から作成して焼いていき、チキンも丸ごと生で買ってきて焼いた。
おせちも全部手作りだったので、年末に入ると台所が「天の岩戸」になった。
今考えるとなんであそこまで追い詰められたように走り回っていたが謎だが、「多動性障害」全開だったのだろう。
とにかく「頑張って」いた。
大掃除も「31日にするもの」と思っていたので、この日は家族総出で家をまるごと掃除する。
もちろん日照時間も足りなくて、「時間がない、時間がない…」と、慌てながら毎年掃除をしていた。
大量に出たゴミも翌日から正月なので出せず。
ベランダに締め出して、次の日はクタクタだった。
やはり「この日はこうすべき」という変な縛りが取れなかった。
「完璧」でないといけなかった。
これは「家族のため…」と称していたが、きっと家族はもっと穏やかに過ごしたかったに違いない。
当時の自分は「どこを見て突っ走ってんだか(独走)」謎だった。
私にはクリスマスのプレゼントは、必ず「枕元の靴下に入れないといけない」という謎の縛りもあった…。
なので子どもたちの枕元にプレゼントを置く時、無理やり引き伸ばして入れた。
長女に「自転車」と言われた時は、前の旦那が2階の寝室まで24インチの自転車を運んで枕元において、ハンドルに靴下を被せた。
私の謎の「こだわり」のせいで毎年苦労したが、朝起きて枕元にプレゼントがあった時の子どもたちの驚いた顔が見れると嬉しかった。
次第にみんな大きくなって、現金とか直に買ってあげるとか様変わりした。
私が離婚したあたりから「子どもサンタ」という存在が出現し始めた。
私の部屋の前に毎年「お菓子や缶コーヒー」が置いてあるのだ。
長女と次女が結託してやってくれたのだが、長女が高校を卒業して大学へ行くため一人暮らしをする最後のクリスマス。
「これで子どもサンタは最後なのじゃ。フォッフォッフォー」
という手紙とともに缶コーヒーと手作りクッキーが置かれていた。
一瞬「次女は引き継がないんかい」と思った。
このクッキー…食べられなくて、今も冷蔵庫に眠っている。
これを食べてしまったら「おしまい」なんだ。
と、思ったら悲しくて食べられなくなった。
ASDやADHDなどいろんな要因で家族を翻弄させてしまったが、走り回っていた私も「無駄ではなかった」のかな…。
そう思いたい。