ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

結局同類が好き?

最近「ちいかわ」のキャラクターである「うさぎ」が好きだ。

しかし、一部の方から「ちいかわのキャラクターは発達障害」だという発信があった。

これは「くまのプーさん」でもよく言われていて、こういう「キャラである緩さ=障害」と解釈する人は結構いる。

 

厄介なのは、インターネットなどの簡易検索ツールが発達してからは「ある程度の整合性」を持って「もう揺るぎない」と発信する者も居る。

まあ、「見える症状」だけであればそうなんだろう。

 

でも、発達障害は脳機能障害だ。

見えているものだけが全てじゃないし、診断されるまでそれなりに通院しないと結論は出ない。

「特性」と言われるものが「もろ表に出る人と、社会性を身に着けたがゆえに内に秘めてしまう人」もいる。

 

なので低年齢(社会性を身につける前)で早期発見してあげないと、森の中に潜り込んでしまう。

こうなると自覚もないし他人もわからないしで、とても生きづらい。

二次障害が出始めてしまったらもっと深部が見えなくなる。

グレーゾーンも居るし、結論を早く出したがるやぶ医者による誤診断だってある。

 

かくゆう私も「お前は頭がおかしい」と、父親に罵声を浴びせられ、泣く泣く精神科の門を叩いてから、色んな病院で断言されるまで10年以上かかった。

普通は1〜2年も通えばまず間違いないだろうが、医者との相性が合わず転院や休院が多かったのでダラダラ長引いた。

概ね診断は同じだったけど、最初は「アダルトチルドレン」と診断されていた。

これも「愛着障害」と判別が難しかったし、根底にあるASDにたどり着くまで色々あった。

 

つまりキャラクターを設定だけ把握して「発達障害では」と語っている輩は「差別意識」が高く、ロクな奴ではないということだ。

 

こうやって自身の浅い知識を認識せず、結果的に不特定多数を傷つけている人は「子供」なんだろうか。まさか大人ではあるまい。

幼いから「ちょっと知った風」が人と違って、かっこいいとか錯覚するのだろうか。

そういう内容を発信することによって、起こりうる弊害を予測できないのだから可愛そうだなって思う。

 

ただ自分がASDであって、「表面上ASD/ADHDっぽいキャラ」が好きである事が多い気がする。

ちいかわのうさぎも好きだし、言うてしまえばSEKAI NO OWARIや米津玄師さんだって好きだ。イーロン・マスクは別に好きじゃないけど…。

 

そもそもだけど、一芸に秀でていたりとんでもない美貌の人ってADHDとかの方が多い気もする。

そういうタレントさんや著名人に共感すると「実はそうでした」という人も実際居た。

 

ADHDはとくに「何かを変える」という変革を恐れない実行力と独自の発想力で「変化をもたらす」人たちなんだと思う。なので、成功者も多い。

私もそんな大層なことをしているわけではないが、自ら飲食店を開業した。

ここでも、「同じ様な感性のお客様」がとても多い。

 

これが「実は障害を持つ方だった」とわかったのは、御本人が当店の話題をあげているときに自分でSNS上に書いているのを見たからだった。

結構映える店舗なので、写真を撮る方が多く大半がSNSにあげてくださる。

この私独特の「感性」とは「お家と無機質」という主軸に沿って展開しているので、個人の概念が強く、好き嫌い真っ二つな気もする。

基本的に大人よりお子さんやお年寄りに喜ばれる。

 

SNSを読んでいると、近くにもメンタルクリニックがあるのでその流れで来ていたり、何かしらの講演会帰りで寄っていたり様々だった。

また、耳が不自由で手話で会話をする方たちも結構来る。

近くに何らかの施設があるみたい。

あとはお子さん連ればっかり。いつも思うが、客層がものすごく穏やかで優しい。

 

…って流れで読むと「私も穏やかで優しいのよ」みたいで痴がましいが。

でも「同類を呼ぶのでは」とは何となく思う。

私の作った感性であったり空気感であったり、何らかが合致するのかな。

これをパートナーとすると、やはり連鎖してしまうことは否めないのだろうか。

 

発達障害を知れば知るほど、何かしらの「法則通り」な気がしてならない。

こうやって分析するのが好きなのが私の特性なんだけどさ。