先日同じ発達障害の方を客観的に見る場があり、観察してしまった。
某所で講演会があったので聞きに行った。
「たぶん自分には何かあります」程度にご自分を理解している方がいて、壇上の人たちに「周りが見えなくなってヒートアップしてしまうことがある」と相談をしていた。
でも「なにかおかしいと診断されたら怖いから」と言って放置されているそうだ。
その割に「壇上に向かって」相談しているので、内容は参加者にだだ漏れだがな。
と、頭の中でツッコんだ。
結果的に「発達障害の可能性はありますね」「やっぱりなー」と、やんわりまとめていたが、はよ病院行け。と思った。
その方は30代くらいの男性で、とにかく「多動」が悩みだそうだ。
じっとしていられなくてすぐどこかへ行っちゃうし、喋りだしたら止まらない。休みの時間も休んでいられず何かしら動いているそうだ。
家に帰れば座ってられず、「なにかしていない時間が無駄」だと思うのか、とにかくずっと自分を実況しながら動画配信しているらしい。
「何か」を隠したいんだか公表したいんだか色んなところがブレている。
おまけに「なんかおかしい」と、そこまで来たならこっち来いや!!
肝心なところの行動力がなかった。
相談中も始終ハイで、「躁状態」なのかな??と、素人目でもそう見えた。
私的にはADHDの多動性障害に、放置していたために付加した二次障害があるんじゃないかなーと、勝手に思った。
相談を受けた方々も、流石に壇上で診察できないので「可能性として」と色々あげていた。
不思議に思うのだが私は「多動性障害」と診断されている割に動かない。
その方もよく喋りはするが、きちっと立って話していたし座ってからもソワソワしていなかった。無駄な動きはない。
もちろん小さい頃は座ってられないので斜めに座ったり、始終動き回った挙句に職員室に居た。
でも小学校に入って2年、3年となると、とりあえず座ることはできた。
今も「じっと待つ」事はできる。
中学からは電車通学だったので、毎日往復1時間以上じっとしていないといけない。
立って待っていることができるということは、TDLなどで実証済みだ。
「まっすぐ並ぶ」事もできる。昔は列からはみ出ていたタイプだったけど。
「知り合いの知り合い」程度にもADHDの方がいるが、その方もソワソワしたりはないが「転職魔」らしい。
それも嫌になって辞めるとかではなく、いちいち「極めて辞める」という癖があり、これも多動なんだと言っていた。
講演会で相談されていた方も壇上で座っている際、挙動不審なところが全然なかった。
一回話し始めると止まんねぇな。という違和感はあったけど、いうなれば「アキバのオタク」がアニメを語りだした時の話し方。であり、「こういう人いるよね。」という「個性」にも見えた。
これがもし「個性」でないなら、「アキバにいる個性的なオタク」の人って全員無自覚な発達障害者となってしまう。
…そういうことなんだろうか??
以前も書いたが、「ASDやADHDが好むもの」って結構明確にある。
「手足が短くて、幼いもの」というのもひとつで、例に漏れず私もぬいぐるみが大好きだ。でも「どれでもいい」わけでなく、「確固としたこだわり」が存在する。
日本のアニメのキャラには、目が大きかったり顔が幼い上に「ミニキャラ」みたいなものがある。(当初のキャラの二頭身版みたいなの)
これに惹かれるということは、本当にそうなんだろうか?
とはいえ、事の一端なので真相は不明だが、同じ様な「個性」の人たちが居て、こっちは障害でこっちはセーフと何かしら線引されていて…でも、一見「同じ」。
下手したら、目に見えている部分がデカいため「個性」の方が違和感持たれそうだ。
受け止める方は複雑なのではないかな…と、思いながら講演を聞いていた。
そのあとADHDと言われる黒柳徹子さんの「窓ぎわのトットちゃん」の映画を観た。
ここでも「客観視」できると思い観たのだが、トットちゃんは家族や周りの人たちにとても恵まれていて、比較にならなかった。
しいて言えば、最後のテロップで「トモエ学園」の出身者で名前が上がっていた方を見て涙が出てきた。
ご存命なんだなーって。それくらいかな…色々なエピソードがあったが、心には響かなかった。
発達障害とは別ものなのだが、こういう疾患を持っていたり「幸福度」の捉え方に相違がある人って、相手に不幸話をされても「私よりマシ」と、対抗意識が出てしまう。
そんなことで勝っても人生負けている事案なのだが、妙に張り合ってしまって相手に共感できない。
たぶんソレが出たなと感じた。
私が小学生の頃は家でも暴力を受け、学校でも先生に嫌われた。
3、4年生の時の担任はもともと暴力教師だったので、髪の毛を捕まれ教室中引き回されたり、全力のげんこつや梅干し(こめかみグリグリ)を食らっていた。
女子でこの体罰を食らっていたのは私だけだった。いかに嫌われていたかがわかる。
同級生でも変なやつにからまれることが多く、隣の席に決まった時から毎日太ももに鉛筆を突き刺してくるヤツとか居た。太ももには黒い穴がいくつも開いていた。
足をただ踏むためだけにこっちに来る上級生。
爪で手の甲をちぎるために来る同級生。
私はなにかされても何も言えず、我慢してしまうタイプだったので、そんな変な奴らのはけ口に成り下がっていた。
先生にも親にも嫌われていると自負していたので、「助けて」を言う相手も居なかった。
帰れば父親に「呪文のようにどうせお前は何もできない」と言われる。
洗脳されちゃって本当に何もできなくなっていたのかも知れない。
こんな不幸自慢がある私にとって、あの映画は生ぬるかった。
同じADHDを持っていても、あんなに「わかってもらえて」幸せな子がいるんだと羨ましくも思った。
私はどこへ行っても「ひとり」だったし、やることなすこと怒られた。
昔の自分を思い出すくらいなら、自身を理解するためにあがいているのも虚しくなる。
過去は消えない。
今出来上がった自分を大切にしたい。