ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

お笑いの人

自分がASDであるから「表面上だけで人を判断しがち」なのか、「わかってはいるが勘違いしてしまう」のか、よくわからなくなるのが「テレビの中の人」を見ているときだ。

 

私は体面でやり取りしている時、その人の本音を「ほぼわかっていない」。

表面上友好的な人は100%「仲良くなりたいんだ〜」と、喜んじゃうので気が緩んでしまう。

今は流石に自分の「特性」を認識しているので、「経験値」で一回考えるようにしているが、基本的には変わらない。

 

なので「テレビの中の人」の認識が、結構な大人になるまでわかっていなかった。

「お仕事だから明るい」とか「イメージがあるから演じている」という解釈が全く無く、「テレビの中の人=そういう人」と直結した印象だった。

 

もちろん俳優さんが誰かを「演じているとき=別人格」ぐらいはわかる。

でも、佐野史郎さんが「冬彦さん」を演じた時は数十年経っても「佐野さん=マザコン」が取れなかったし、安達祐実さんなんか今でもお金を欲しがっているイメージは変わらない。

 

ただし、これは「役者として優秀だから」なんだろう。と、判別できる。

そう印象付けることができているなら、ものすごい演技力…というか、インパクトで、何にせよ「役者」としては素晴らしい。

 

ただ、そういう役者さんが「番宣」や他の番組で「フリートーク」をしているとき。

これは「素」だとずっと信じていた。

よく考えれば「テレビに出ている」以上、全てが「仕事」であって、コンプラありきの作り物ばかりなのかも知れない。

 

それでもそれを「素」の状態と思ってしまうので、リアルを知ったときに「こんな人だったの!?騙された!」くらいの衝撃があった。

大抵が印象の良い俳優さんや芸人さんが不祥事を起こしたり、不倫していたりすると気づくのだが。

 

とくに「お笑い芸人」さんって、どこからどこまでが「素」で「仕事」か分かりづらい。

フリートーク満載だからだ。

日常を話すこともあるし、両親や嫁や子供がテレビに出ることもある。

そういうときって「素」なんじゃないか?と、信じていたので、「局では明るいけど、家では一言も喋りません」みたいな話を聞くと、鬱なんじゃないかとさえ思う。

 

単純に私がそういう「お仕事」を知らないので、理解不足なところももちろんある。

オールスター感謝祭」などの会食で和気あいあいとしていたのに「芸能人の友達ひとりも居ません」とか、「仲の良い現場で、みんなでお風呂にも入りました!」と言いつつ、他の番組では「友達の作り方がわからないんです」とか言っているのを見ると「はぁ!?」となる。

 

逆に「周りはお友達だと思っていると思うよ!」って励ましたくなる。

こういう映像(?)がテレビには多くて、本音(その人)が凄くわからなくなる。

 

岡村隆史さんや名倉さん、中川家の兄さんが精神疾患を負ってしまったとあった。

このときテレビでは明るいし、成功者の部類だと思っていたのに「なんで??」と、分からなかった。

自分の状況と比べても、相当恵まれていて幸せだと思った。

「見えている部分しかわからない」からだ。

 

「本当はこういう人なんです」というのがわからないと、私はもちろん一般の人も錯覚しがちだ。

街中で出会った芸人さんに「あれやってよ!」と、すぐせがむのは私みたいに「境界線」が見えていない人達がやるのだろう。

そうやってテレビに出ている人たちにまで「本当はこういう人じゃないんだろうなぁ…」なんていちいち考えていたら疲れちゃうけど、昔みたいに「アイドルはトイレに行かない」とかいう時代は終わったんだ。と、ちゃんと「人」として認知してあげたい。

 

そう思ったのは坂田利夫さんの素の姿(たぶん)をちょっと知ったからだった。

坂田利夫さんは言わずと知れた「アホの坂田」で一世風靡をした芸人さんだ。

この芸人さん、サービス精神旺盛なのでプライベートでも「アホを演じてあげる」というファンサービスをしていたらしい。

でも、実際は紳士的でおとなしいおじいちゃんだったそうだ。

 

坂田さんは生涯独身を貫いた。

その理由は「所帯を持つことには憧れたけど、子供ができたとき”あいつはアホの子だ”と言われたら可愛そう。」と語っていた。

なので、芸に身を捧げて生き切った。

 

その話を聞いて、「本当にアホなんだな。」と、涙が出てきた。

「こういう人もいる」ということをちゃんと考えたい。

人生何が正解で、何が幸せかなんか「本人」にしか絶対わからないんだなと。

 

目に見えているものだけが全てではない。

まあ、これは自分にも言えるけどね。