ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

ミレービスケット

この世にギャレットポップコーン、シカゴミックスの代わりなんか無いと思っていた…。

 

しかし出会ってしまった。

 

「nomuraミレービスケット」うまい。

 

 

先日の休みにアンテナショップを10県回って、自粛中の両親に各県のパンフレットとご当地お土産を送った。

 

その中に高知県もあり、次男にと思って買ったビスケットにドハマりした。

 

しかもこのビスケット。

徒歩2分のスーパーに常備してあった。

 

 

…ミレー太り決定だ…

 

好きな◯◯10選

はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選

お題に沿う。

 

10:単純なゲーム

考えることが多いので、単純な作業を持続してやる事でリセットしている。

これが無いと波状すると思う。

 

9:筋トレ&ストレッチ

カウンセリングの一環で「スワイショウ」を勧められてやっていた。

これがきっかけで、健康に気をつけようと色んなYou Tubeを見て筋トレをしていた。

食は偏っているので、効果は薄いかもしれないけど、毎日のルーティンとして必要。

 

8:車

元々が遊牧民なので、フリーになると放浪してしまう。

今は責任に縛られているが、紐が切れたら風船みたいに飛んで行っちゃうんだろう。

運転と車中泊だけは体がバッキバキになっても苦にならない。

 

7:神社仏閣

無宗教ではあるが、幼稚園と中高が仏教学校で、教えが根に染み込んでいるなと思う。

本州中を車で周り何百箇所も参拝したが、実のところ「へー」くらいの関心でしかなかった。

何が好きかというと、空気。

京都は観光地化されていて心動かず。

ただ、比叡山金峯山寺蔵王堂の金剛蔵王大権現は、荘厳で迫力も空気も段違いで卒倒しそうなくらい息をのんだ。

京都はアイドル。奈良は凄い。

 

6:風呂

のぼせないのであれば、永遠に入れる。

自分が汚いものだと思っていたとき、ずっと身体を洗っていた。

この行為が必然だと知ったとき、自分にはこの場所がなきゃならないんだって実感した。

疲れが取れる、リラックスできる以前に「水の力」を知る大切な心の拠り所。

 

5:自分

何にせよ「二の次」になりがちな自分だけど。

自分以外のことに翻弄されるのも、誰かが居てくれる幸せだと思いこの辺りに。

それはそうと、おしゃれしたりマッサージ行きたいなーって思う。

とりあえず歯医者に通いたい。

自分に優しくなりたい。

 

4:食

…実際は偏食で荒れ荒れだけど、年をとるに連れ「バランスの大切さ」に気づく。

調理に携わる者として、家族の健康を左右する者として、気を使うべきことだと痛感している。

また、食で楽しめるのは人間ならでは。

そういったありがたさを大切にしたい。

 

3:お金

良い意味でも悪い意味でもどっちで捉えてもらっても構わないが、いわゆる「そういうもの」であり、自分だけでなく大切な何かを守るためには所詮コレかな。と。

あるからいい、ないからダメでは測り切れない無情なもの。

ただ、初心や感謝は忘れない様にしている。

 

2:命

幼稚園が寺だった。

輪廻転生などを聞くたびに、この肉体を作るまでの経緯を軽視できず、落ちている鳥やセミや猫の死骸を見かけると、すぐにお墓を作っていて拝んでいた。

実際は勝手に埋めることはダメなこと。

ってあとから知り、間違ってるのは私なんだと泣いたこともあった。

ただ、様々な時を経てその形になり、朽ち果てた者に敬意を示す事は大切だと思う。

お墓参りも気づけば行く。

自分のルーツを大切にし、その時代で今しかすれ違ない「何か」との出会いや、

生の尊厳は犯してはいけない。

そんな「何か」が結構頑固に染み付いているから。

 

1:家族

月並みだけど、居てくれて本当に感謝している。

命を投げ出してでも守りたい、と思う存在ってあるんだな。と、かつての私からすると不思議でならない。

ずっと大事にしていきたい。

ありがとう。

はてなブロガーに10の質問

はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

お題に沿う。

 

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

本名

はてなブログを始めたきっかけは?

自己顕示欲ありきの日記のつもり

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

リアル水面斬り

おちびとおかね

とかは、私らしいなと思う。

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

衝動が沸き起こったとき

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

無し

自分の記事を読み返すことはある?

四六時中読む。

 

文章にアンチだなとか攻撃性を受けると、直そうって思う。

また、この時は本気でそう思ったなって振り返り、客観的に自分を見る。

こう発信すると伝わり辛いとか、実生活の発言とかに気付きがある。

だから極力その時の衝動で忖度なしに書いている。

 

ブログだから独りよがりで良い。とは思うが、読者さんがいらっしゃるので、不快な発信かなって申し訳なく思うこともある。

でも直さない。

これが私だから。

好きなはてなブロガーは?

絶対的に好きではないが、ひろゆきさんの様な天の邪鬼的偏見思考は嫌いではない。

また、どう批判が出ようともブレないと言うか、頑固というか、貫く姿勢やメンタルには脱帽。

 

例えば私が少数派である意見を持ったとして、コメント欄ありきで発信する度胸はない。チキンだから。それが匿名でも無理。

 

でも、民主主義とはいえ、少数派やアンチの意見を無視していては発展も学びもない。

このメッセージ、不快だな。

って思うなら、見ないとか炎上以外に「考える」手段として必要だと思う。

 

じゃあコメント欄出せよ。って自分でも思う。

所詮ブログは自己満足。強靭なメンタルが欲しい。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

無料でありがとう。

バカなので使いこなせず申し訳ないです。

10年前は何してた?

子育て

この10年を一言でまとめると?

波乱万丈

 

10年で変わったこと・変わらなかったこと

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

お題に沿う。

 

私の10年前はシングルマザーだった。

地震もあり、ちょうど今の旦那と同居するかしないかくらいの頃。

 

一人で3人を育てていて思った事。

 

長女への感謝。

 

当時中学生だった長女は妹、弟の面倒をよく見てくれて、私が朝から朝まで仕事詰めだった時も家を守ってくれた。

 

 

だから彼女が目標を見つけたとき、すぐに家から離した。

 

 

私の人生で振り回してしまったとずっと反省していて、長女には自分の人生と向かい合って欲しかった。

 

でも大学を卒業したとき、長女が泣きながら「居場所がない」と訴えてきたことがあった。

 

長女のためを思い旅をさせたが、長女にとっていい事ばかりでは無く。

実家でみんなとワイワイしている時が好きだったそうだ。

 

 

そんな長女も今は結婚して、子供と旦那と新しい居場所を作り出した。

 

色んな想いもあるけれど、素直に「偉いな」って尊敬する。

 

こうすれば、ああすれば…って個々に思うだろうけど、そんな岐路に立たされた時に逃げずに進み続ける勇気があったことに安心した。

 

 

自分の人生を見つけたんだな。って。

 

 

私も子育てをずーーーーーっとしているけど、やはり子育てが終わった後の喪失感を持て余すお母さんを多く見る。

 

子育てってとんでもなく勉強になり、ルーツやコミニュケーションにも触れ、多彩な人生に出会える。

 

でも、残念ながら閉塞されがちで、パートなりで世間と接点を持とうともがく姿はソレを表している。

 

実際、一昔前はバイトの募集は40歳くらいまで。だった。

 

子育て終了期ってそういうお年頃なのだ。

イチから何かを始めるにはプライドを捨てるしかない。

 

 

私も割と早めに自分の成れの果てが見えて、起業に踏ん切った。

 

野心はさほど無いが、何かを残さないと子育てが終了したときにスッカラカンだと自覚していたからだ。

 

例えば引退し、貯蓄があって趣味やサークルに勤しむ人生もいいが、仕事って外界とつながる有効な手段であって、定期的に様々な年代の方と接することで常に向上心が保てる。

 

私の場合だが、きっとマンネリ化したら自堕落で死ぬ。

 

 

実際、カウンセリングを受ける事に集中させてもらい、自由にさせて頂いたいた1年があった。

やる事なくて死ぬかと思った。

 

翌年から私が始めたのは、あらゆるセミナーに参加する事だった。

やったこともないプレゼンを要求され、スーツの前で赤っ恥かいて来た。

 

もちろん、コミュ障や色んな症状を打破したかったので、自ら無理して荒療治をしていた事もあったが、結果的にお店も出せた。

 

公私共に居場所があるって、すごく幸せなんだなと身を持って学んだ。

そんな10年だったな。と。

 

 

まさに「30にして立つ」「40にして迷わず」だ。

 

 

でも15にして学に志しては無かったな…。

 

 

 

変わらなかったこと…特に無いや。

 

一人称が自分

旦那は、自分の事を「自分」という。

 

長女はずっと「自分」だったけど、大学時代に京都で4年間一人暮らしをしていて、戻ってきた時には「うち」になっていた。

 

次女は実家だけ「○○はね。」と名前で言うけど、外では「うち」。

というか、次女の年代の殆どが、一人称「うち」である。

 

長男は「○○はね。」からの「自分」。「僕、オレ」は聞いたことがない。

ちなみに未だに私の事を「ママ」という…直させるべきか悩むところ。

 

次男はしばらくは「○○はね。」と、名前で言ったあと「ぼく」になり、現在4歳「自分」で落ち着いてしまった。

 

たぶん、父親と兄が「自分」と言うので、移ったのかも。

 

私は私なので、一人称が「自分」と話すとイライラする。

とくに旦那とケンカをしている時に、

 

 

「自分はこう言ったのに、自分がそうしろって言ったんじゃん!」

 

 

とかキレられると、

 

 

「どの自分だ!!」

 

 

と、逆ギレする。

 

話が長くなるほど「自分」で支えると混乱し、そこで別の怒りが発生する。

 

 

一人称が「自分」の種族は、二人称「自分」である関西圏へ行ったとき、どうコミュニケーションを取るのだろう。

 

 

おちびとおかね

今日モスバーガーをテイクアウトして自店で食べた。

キッズセットにおもちゃが付くそうで、可愛いポーチを貰った。

 

次男に200円を入れて渡し、おやつを買いにコンビニへ行った。

 

200円で108円のお菓子を買って、お釣りを92円もらった次男は

 

「やったー!!増えたーー!」

 

と、大喜びしていた。

 

 

…減った。

 

 

でも、彼の中では2枚(100円玉×2)が、7枚(50円玉×1、10円玉×4、1円玉×2枚)になったのだ。

 

 

この話を帰宅後長男にした。

「価値観の違いっておもしろいよねー」と。

 

すると長男が言った。

 

 

「じゃあ問題です。300円を持って、198円のものを買いました。お釣りはいくらでしょう。」

 

 

「…102円。」

 

 

「198円のものを買ったんだよ。」

 

 

「…102円。」

 

 

 

「答えは2円です。ママは198円のものを買うのに300円出すの?」

 

 

 

 

…反抗期だろうか。

 

「住む」と言うことの価値観

私は都会のど真ん中の商業ビルの最上階で18年間育った。

最上階が自宅で、下は全部オフィスや飲食店のテナントさんだった。

 

私の小学校は子供が少なすぎて潰れた。

 

公園や児童館はあるものの、当時小学生だった私の行動範囲はバカだった。

 

10歳くらいの時、親に怒られ家出して一人で竹芝桟橋できったねぇ海のゴミを見ていた。

自転車を持ってないので、友だちと遊ぶために東京タワーや三田まで歩き。

雨の日は銀座の博品館松屋松坂屋の屋上で遊んだ。

 

…移動は春夏秋冬赤いビーサンだ…。

 

塾へ行くのに歩きで皇居を横断し、一人で大手町の将門の首塚でお参りしていた。

 

書き出したらきりがないが、様々な箇所でビルの隙間を通り、迷路のように進むのが私の遊びだった。

 

親の仕事上、特殊な環境下だったのでもちろん近所に人が住んでいない。

 

小学校も公立なのに電車通学とか、車で通う子が多かった。

また、スーパーとか図書館とかお寺や神社などに住んでる子もいた。

 

他に美容室、はんこ屋、お茶屋、寿司屋、とんかつ屋、そば屋、石屋、ラーメン屋、レコード屋、小料理屋、パン屋などなど。

 

ざっと思い出しただけでも様々な自営業の同級生がいる。

 

…6年間30人ひとクラスでこの割合は結構凄い…。

 

 

っていう環境で育ったためか「一人暮らしをするならこんな部屋」みたいな憧れのイメージが荒れていた。

 

 

「押し入れの上段」

 

 

ドラえもんか。

 

 

とにかく隔離されたい。

人は愚か家族からも分けてほしい。

 

なんならシェルターでもいい。

 

とにかくボッチを求めた。

 

 

そんな私が初めてひとり立ちした先は、シェアルームだった。

…隔離どころか他人と同じ部屋だった。

 

二段ベッドの上だけが自分の世界で、実際は実家にいるより落ち着いた。

 

でも放浪癖があり、私は殆ど家に居なかった。

 

前の旦那と住んだのも物置みたいな2Kの家。

決め手は洗濯機が室内に置ける事だった。

 

そのあとは築40年以上の、傾いた一軒家。

10年近く住んでいたら、脱衣所の床や押し入れの床が腐って抜け、風呂場のドアが外れた。

風呂には便所虫やダンゴムシがよく紛れ込んでいた…。

 

でも、子どもたちが騒いでも気を使わないし、学校に近いし裏は公園だし。

あんまり苦だとは思わなかった。むしろ自由気ままに暮らしていた。

 

それからは離婚したり再婚したりで、単発で4.5回引っ越し、アパートやキレイなマンションも住んでみた。

 

これら全て、同じ最寄り駅での話だ…行動範囲は小さい。

 

今は割と新しい借家。

 

 

結論、一生賃貸でいいや。って思った。

 

 

マンションに住んだのは、同級生家族が大きなマンションの一室を購入していて、カッコイイなーって思ったので、賃貸で入ってみた。

 

何か「セレブぶる」事ができたけど、結局子育てをしていると下の階や隣に気を使うし、駐輪場の至るところでもめてるのが嫌になって引っ越した。

 

何より分譲マンションは地震のときのギスギス感ハンパなかった。

 

立体駐車場をいつ修理するか、エレベーターの修理になぜ1階が関与するのかとか、どこの排水管がぶっ壊れたのかひと部屋ずつ業者が入ったり…根本的に小さな世界が出来上がっているので面倒くさそうだった。

 

これが老朽化したら…と、考えると恐ろしい。

 

今の借家を選んだのもコロナになったから。

 

集合住宅で子育てしながらの自粛生活はキツかったので、借家の庭付き一戸建てに引っ越した。

 

賃貸だと固定資産税も無いし、困ったことも修理もみんな大家任せですごい楽。

隣人に外れたら引っ越せるし。

 

 

何より良いのは、引っ越すたびに大量の家具やモノを捨てれる。

 

家中のものが精査されてスッカラカンになるのがたまらない。

 

なので、借家で自粛生活。何して遊ぼう?

って子どもたちと考えた結果、テレビしかない居間でスイカ割りとかサッカーして過ごしていた。

 

隣接した小さな居間はジムで、庭にはプールを広げた。

 

 

たぶん私にとっての「住む」とは、居心地とかデザインでは無く「使い勝手」なのだ。

 

その時自分がおかれた状況に沿う家であれば、新旧問わないし、集合住宅でも戸建てでもどうでもいい。

 

 

ということはだ。

 

 

 

「押し入れの上段」を夢見ていたときの私の心理状態はかなりヤバかったのか…。

 

 

たぶん最終的にミニバン改造して各地の道の駅で寝泊まりしているか、バックパッカーだろうな。

 

温泉回れればいいや。