4〜5年前から季節のお花、「ネモフィラ」「芝桜」などのワードが気になり始め、見に行きたいなぁと思っていた。
「バラ園」とか「あじさい」なども全然興味なかったのだが、過去に富士山の麓にある「ひまわり畑」へ行ったとき、黄色と青のコントラストが凄くきれいだったのでまた行きたいと思った。
自分のイメージでは「富士山=ひまわり畑」「吉野=桜」「ひたちなか海浜公園=ネモフィラ(コキア)」「根津神社=ツツジ」「羊山公園=芝桜」「オランダ村=チューリップ」「神代植物公園=ショクダイオオコンニャク」なので、他は二番煎じだと思ってしまう。
個人的に「小江戸さわらのあやめ」も見に行きたいのだけど、見頃と休みが合わずなかなか行けない。今年はいけるかなぁ?
花…別段好きなわけでもない(心は動かない)んだけど、惹き寄せられてしまう。
お年頃なんだろうか。
実際、旦那と大きな公園へ行ったときもジジババが殆どだった。
一眼レフみたいな大きなカメラで這いつくばって写真を撮っていて「それどうするの?」という疑問もあったけど、その情熱が羨ましかった。
私も旦那に荷物をもたせて、ぬいぐるみと写真を撮っていたら楽しかった。
きっと向こうから見たら「それどうするの?」だろうが。
嫁が「花とぬいぐるみ」しか撮らないので旦那も棒立ちだった。
こういう場合、端から見ていて理解できなかったとしても、当人が楽しければ良いのだろう。「撮り鉄」みたいにならないように気をつけよう…。
かつて「食事の際に写真を撮るのはマナー違反」とされていた時代。
あれも今では「販促に繋がる」とか「食の記録」みたいに正当化されて当たり前となった。
御朱印だって「スタンプラリーじゃ無いんだから、写経を納めろ」みたいな論争もあったが、もはや神社仏閣発信の「推しキャラ(しかも萌えキャラ多し)」まででてくる始末。賽銭もPayPayや「マイル」ならぬ「マイリ」とか。
…時代がなにか大切なものを希釈して行くー。(ハチワレ)
お花も「季節を楽しむ」というより「映えスポット」という需要が多いのかもしれないけど、「それが文化」になってしまう時代もそう遠くないのかも。
生きとし生けるものの四季を感じながら時の流れを感じる…みたいな煩悩丸投げした人になりたい。
…インドだな…。