ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

ネタバレしかないけども

「ミスト」という映画を見た。

誰かと文句タレながら見たい映画だった。

 

誰も見ないと思うので、ネタバレする。

 

そもそもウォーキングデッドが好きで、その俳優さんが出演中!というコメントを読んで見てみた。

 

‥出ていたのはウォーキングデッドでもワンツーで嫌いな二人だった‥。

監督もかつての超名作映画のバッテリーだっただけにガッカリ感半端ない。

 

 

内容は、ただの未確認生物の殺戮のパニック映画。

 

ある町で霧が発生。

霧のなかには何かが潜んでいて、殺戮が始まる。

 

そんななか、早々にスーパーを閉鎖し50人近くが避難。立てこもる。

この50人の人間模様が主体だ。

 

いくつかエピソードがあり、未知の生物が虫の形態だとみんな認識する。

 

でも夜に煌々とライトをつけるから、未知の生物(虫)が集まり、潜伏先に侵入してしまう。(予測できてない)

 

誰も穴を塞がないし、ライトも消さない。

 

あちらこちらで誰かが一匹ずつ棒で非効率に倒し、人間模様も取り散らかって烏合の衆。

 

挙句の果てに自爆で潜伏先に引火。

犠牲者も出す。

 

 

火でさらに虫が集まる。最悪。

 

 

誰も穴を塞がない。虫ダダ漏れ

指示をするヤツがいない。

 

主人公は自分のことで精一杯。

 

そんななか、スポットがあたった二人が息を引き取る間、外野がさらっと駆逐完了。

穴も誰かが塞いだようだ‥。

 

もう時間割り通りのストーリー。

 

パニック→閉じ込められる→事情を少し知る第一証言者登場→犠牲者→事実を信じない人騒ぐ→混乱→信じない人離脱→未知の生物に襲撃受ける→怪我人→薬品確保のため有志が移動→離脱した信じない人達全滅発見→実は虫に寄生されてる→卵孵化‥こんな流れがまさかの一日の出来事。

 

どっかで見た様なマニュアル通りの急速展開。

 

二日目になると一人の宗教信者が持論をまくし立て、40人近くを洗脳できちゃう。統率して、怒涛を組んでなぜか主人公達に仕向けてくる。

 

しかもたった二日で近所のおじさんやスーパーの店員が、平気で人殺しできちゃう強メンタル。

 

なのに肝心の自衛隊の様な方達は、二日目で勝手に自殺するガラスのハート。

 

まさかの2、3日で主人公達が絶望し、突然車中で集団自殺

あんなに守った息子まで躊躇なく殺す。

 

 

‥で、死に損なった主人公錯乱。

 

 

‥している最中に救助が来る。

集団自殺してから5分くらいの映像で事態は急速に解決する。

 

 

そして早い段階で単独行動を選び、出ていった、ウォーキングデッドの彼女が最後にさらっと登場。(流石)

 

何も解明されず終わる。

 

 

胸くそ悪いー!!

 

 

かつて金曜ロードショーで何度も放映されたゼイリブ以上に胸くそ悪い。

 

 

もう人の感想や、ネタバレや考察を全部読んでから「これかー」って確認する感じで見る映画。

 

 

新しい鑑賞の仕方かも。

私は無理だった‥。

新興宗教

安部元首相の襲撃から、問題提起が加害者の家庭事情になり、今では宗教問題が物議を呼んでいる。

 

もちろん二つは別問題である。

 

こうだからこうなった。

 

こんな恩情染みた事で許されるわけはない。

これは世も周知の事実である。

 

ただ、きっかけは何にせよ宗教問題についての再認識は必要だと思った。

結局、外野がざわつかないと、宗教の世界観はワンマンショーとなってしまう。

 

オウムみたいに神の啓示で何でもありだ。

 

統一協会も、合同結婚式から話題が逸れたことで、鎮火したのかと思っていたが、再燃。

元信者の語る内部の腐敗もえげつない。

 

そもそも宗教によってはカルト集団並みの共存を要求される。

 

何かに助けを求めたくて、救済を願うのに、更に高みを目指させたり、更なる不幸がやってきますと半ば脅したりするぶん厄介だ。

 

以前、宗教にドはまりした芸能人の再起までを再現したVTRを拝見したが、あまりの巧妙さに驚いた。

 

○○役など、各所にストーリーと配役を設定し、ターゲットをとにかく孤立させる。

しかも、それはあくまでも自分の意思だと洗脳。

 

 

もうオレオレ詐欺の可愛いことといったら‥。

 

 

もちろん様々な新興宗教があり、ひとくくりにしてはいけない。

でも、取り上げられる新興宗教の大多数が同じようなやり口というか。

 

結局洗脳と金か。

 

が、大多数で変なイメージは拭えない。

 

 

実は我が家も小金持ちだったため、バブルが崩壊した頃、両親が宗教にハマってしまった。いいカモだ。

 

私は小学生くらいで、毎週布教所に連れていかれていた。

 

両親がハマっていたのは、いわゆる「手かざし」の宗教で、手をかざして「気」を送り健康を得るというSF宗教だった。

 

二人ともうん十万の純金(だと言い張る)の紋章を首から下げていた。

 

挙げ句の果てには、デカイピラミッドの枠組み(?)テントの梁みたいなやつを買ってきて、中心に水を置いて「浄化」し始めた。

 

この装置に置かれた水は腐らないらしい。

 

野菜やジュース、水も布教所で購入していて、お布施を渡していたのも見た。

結局数年で目が覚めたようで、ある時期からパタリと行かなくなった。

 

それも怖いが。

 

自分も成長していたので、あれ?何かおかしい?でも何がだ??って、疑問は出てきた。

まさに映画の「星の子」状態。

 

 

幼稚園のとき、寺の住職の子どもが何人かいた。

 

家が神社じゃなくて、寺。って結構レアなんだけど、そんな環境で当たり前に過ごした。

だから、小学校の同級生の家がある新興宗教の布教所であったことに違和感がなかった。

 

でもこの子の家が「関東支部」くらいな拠点で、とにかくデカイ。

 

毎回物々交換?や、バザー、大広間ではお祈りして、何かを一枚ずつ食べさせられる。

オブラートみたいな何か?

 

ここに行くと同級生や他の学校の子がいて、キッズスペースで自由に遊べた。

 

だから度々遊びに行っていたのだけど、実はやっぱりアカン新興宗教支部だった‥。

 

あとから知った時のショック。

 

もう、あっという間に信者になるんだ私。

と、呆然とした。

 

また中学の時の親友はガチ勢で「勉強会に行こう!」と言われて、図書館感覚で参戦したら布教所だった‥。

 

教科書通りの勧誘に中2が単独潜入。

 

説法のあと座談会があり、一般人が中2の私だけで、大人たちから質問の集中砲火を浴びた。

 

しかしそこは中2、自分は論破したくらいに思っていたけど、実のところ嫌われるまで屁理屈ゴネた。

 

その子は妹さんが病弱で、家族で信仰されていた。

 

そして親になり、回りに創価学会がいやに多いなとビクビクしていたら、これもデカイ支部が近くにあった。

 

意外とアムウェイや電気治療器や、マルチ商法にはまる知人もいて、誰とつるめば良いのかと路頭に迷った。危ねぇ‥。

 

結論、ビビりな無信仰な私だが、幼稚園と中高が生粋の仏教学校だったため、知識だけは豊富にあるし般若心経なら唱えられる。

 

こう書くと、自分の人生のなかにも様々な新興宗教がからんで来ている。

 

ここで信仰に揺れなかったのは、天の邪鬼で、信念が揺らがない残念な性格と家族のお陰だと思う。(両親は知らんが)

 

私の場合の宗教って、あまりにも生活圏にナチュラルに入り込んでくるので、今じゃ警戒心しかない。

 

だから何かにつけてビビってしまい、この間「呪詛」をちょっと見ただけで今も水晶が手放せないのだ。

 

 

天然石の効果を信じてしまうのも、宗教みたいなものなのだろうか‥。

 

ダイヤよりギべオン欲しいんだけど。

 

 

何にせよ、意外と私はチョロいのかもなと自分でも思う。

安倍晋三さん

安部元首相が亡くなってしまった‥。

 

私は支持する党もいない、無党派層のその他大勢なわけで、政治も「それ相応」しか理解していない。

 

そんな私の素直な気持ちなのだけど、安部さんがちょっといたたまれない。

 

 

まず、首相として政治的な背景も背負うお仕事である。

 

これは大前提とするが、中国や韓国では顔写真焼かれたり、人形作られて爆破させたり、過激に抗議を受けていた。

 

これも表現の自由‥かもしれない。

 

どうしようもないフラストレーションを、全力で表現し現状打破したい、要求を聞いてほしい!

 

‥は、理解する。

 

でも絵的に、もし自分の写真がよその国で焼かれていたら、自国よりも衝撃的で、精神的に一歩も外に出られないくらいのダメージはある。

 

わかってはいても‥だ。

 

そうやって様々な反響を受け、森だのかけだのチクチク未だに話題に上がっていた。

 

 

自業自得もあるかもしれない。

 

首相だから背負うものが大きすぎるからかもしれない。

 

でもいざ亡くなって、各国にコメントを求めると「偉大な政治家だった」「残念無念」のような言葉が羅列する。

 

 

‥は?

 

って、正直思う。

 

 

私は両者をよく知らないから、見ているものが全てだ。

 

ただシンプルな事を言っているだけなのだが、なんか違和感を感じ、人間不振になりそうだ‥と、いたたまれない気持ちになった。

 

きっと心配したり悔やむ方は、反日で騒いでいたり、反安部政権ではないだけの話だろう。

 

わかってる。

 

わかってるけど、メディアの手のひら返しというか、切り取り方の意地の悪さ。

 

かわいそうって思うのもおこがましいが、無念に思ってしまった。

 

菅前総理の時も思ったけど、何か必死になって通そうともがいても、NOは絶対存在する。

 

ただ、山を動かすことに対して身を粉にしてる人をなにもしてないくせに評価するのは失礼だ。

 

ましてや皆が選挙で選んだんじゃん‥。

 

もちろん右に習えじゃ能もないし、監査や議論しないと独裁国家だ。

 

でもさ、発信のしかたやその受け取りかたって外野が考えること。

 

視聴者はセンセーショナルだけで食いつくと思われているようだが、何かしらの印象操作に自分たちも気づかなきゃって思った。

 

ママ友とかもそうなんだよな。

いらん情報巻き散らかす人いる。

 

菅さんも安部さんも本当は全然違う人間性だったのかもしれない。

 

色んな立場の狭間でもがいていたのかもしれない。

 

‥私の想像でしかないけどさ。

 

 

ただ言えることは、私には到底できない事に尽力してくださった方。と言うこと。

 

そういう方と同じ時系列に居たこと。

 

その事実だけの繋がりで安部さんを思うと、頑張ったね。って心から言ってあげたい。

 

 

ただそれだけ。

様々なコメンテーター

先日、Yahoo!ニュースでボロクソ叩かれたコメンテーターの記事の、コメント欄を読んだ。

 

まあ荒れていて、一貫して「バカ」「勉強不足」「配慮が足りない」などなど辛辣なご意見がゴロゴロ。

 

ただ、どんな分野であれ、自分と価値観の違う相手には皆さん概ね同じ意見だとも思うが。

 

 

Yahoo!ニュースなど、読者のコメント欄があるサイトでは、大体最初の意見に次もならう。

 

だからざっと読んでも、多数派達の馴れ合いというか、同じような意見が羅列する。

 

稀に革命を起こさんとしているのか、煽っているだけのバカかグレーゾーンの書き込みがあると、返信欄が炎上する。

 

相手の意見を許容してからの意見交換は殆どなく「それはどうかと思いますが」の、洗脳コメントが羅列する。宗教みたい。

 

変なところだなーと思う。

 

でも別に意見交換しましょう!の場では無いわけだから、意にそぐわない方を袋叩きにしても表現の自由で許されるわけだ。

 

‥変なところだなーと思う‥。

 

自分の思いを吐き出したとして、私もそう!と続けば漠然と「自分は正しい」と世間に認定された感じになる。

 

でもそれって「あなたの考え多数派の陳腐な人間」ってレッテルをもらってるだけだ。

 

で、反論が付くと何だか攻撃された感が強い。

 

自分と考えが違う人間は敵だ!と錯覚してしまい、文字だけの無機質な格闘にやきもきさせられる。

 

つまりは全て頭の中での戦いで、目に見えた問題や実害、相手すら不透明な場所な訳だ。

 

それで感情が左右されるなら、書き逃げする意味ってなんだろう?

テロではないか?

 

 

自分もコメント欄無しのブログをやっていて、問題提起や日々の事を世間様に公開する意図はなんぞや?と、よく考える。

 

まず「自己満足」はあるだろうし、書くことに対しては「記録」であり、かなりの頻度で読み返す。

 

公開する意図として、「皆さんどう思う?」よりも、自己表現として「こういう考えの人もいます」を垂れ流ししたい感が強いかもしれない。

 

要は議論や肯定されたくてやってるのではなく「生きている証」というか。重いが。

 

世に残したい何か。

 

読み手サイドとして、広告も設定せず、文章の垂れ流しブログをどうしてブックマークしたのだろう‥と、改めて考えると、共感よりは「ネタ」なのかなと思う。

 

「変わったやつ発見したぞー」みたいな。

 

 

で、本題に戻るとコメンテーターの件。

 

私は叩いている方達は何様かと思う。

 

人の意見は千差万別で、容姿や育ちも環境も、親子でさえ違う。

 

大多数がNOであれ、マイノリティの意見で革命は起きる。

 

例え大多数が「こいつアホだな」と感じても、それで中和させられる方もいる。

 

また、固い意見交換の中での緩い意見って、ベルセルクのパックくらい重要なポジションだ。

 

だから一挙手一投の足揚げ足取るのはきっと間違えで、全体を俯瞰しての「番組」なのだろう。

 

 

的はずれであれ、その人は本気で向かい合い何かを発信しようと努力している。

 

大体自分の思いを伝えようとしても、脳から言語化して、相手が耳で聞いて頭で理解するまで、内容は半分くらい変わってしまう。

 

今はニコ動みたいに、瞬時に自分の思いを発信する人が多いが、そもそも人に何かを伝える際には一呼吸おいた方が良い。

 

相手があまりにも短絡的な発信だと、事の内容より「それでお金もらえるんだ」「仕事は完璧にするべき」の、雑念の方が受けて側にとっては強いかもしれない。

 

でもそれこそ物事の本質から外れているわけで、叩いている方も端からみると「何言ってんの?」って思う。

 

自分と意見の異なる人に牙をむいたり、自分の意見をゴリ押しせず「聞ける人」になっていけたら良いのかなと。

 

 

大抵、自分の考えって伝わらないものだよ。

「考え」事態が具現化したものではなく、想像の産物だから。

 

 

ペガサスとかツチノコ程度だと思っておこう。

あ、…彼らは具現化されてるか。

 

プチパニック

先日、数日ほど孫を預かった。

 

一歳の孫と五歳の我が子(次男)。

 

関係性は甥と叔父だが、見た目は完全に兄弟。

 

そしてアラフォーばあばに、じいじ(現旦那)がアラサー。

 

令和番、都市伝説の様な家庭だ。

 

 

図書館とかプレイルームであれこれ話しかけられたが、いかんせん初対面には難度が高すぎる家族構成。

 

しかしながら改めて話を聞いてると、先人の主婦は自分の子育て体験談を度々絡めて来る。

 

「上が小学校に入ると楽なんだけどね~」とか「小学校の役員もちびちゃん連れだと大変よね~」とか。

 

‥すまぬがお主のお子より、長女は遥かに年上なのだ‥。

 

小学校での洗礼なんて、18年前に経験しておる‥。

 

今や次女も解脱した。(二十歳を迎えた)

 

適当にあしらっているのも面倒くさかったので、絡んでくる親に「この子は孫です」って言ったら急に日本語が通じなくなった。

 

‥嘘はついてない。

 

こうやって書くと自慢話?(落ち着いて読むとどこがだ?)みたいな微妙なニュアンスに受け取られがちだ。

 

私若いでしょー?みたいなアピール?

 

でも実際の現場は凄い虚しい。

どっち付かずというか。

 

だってアラフォーって別に若くない。

ばあばにしては若い方かもしれないけどね。

 

何十年子育てしてるんスか?

と、思われる恥ずかしさもあり。

 

人生が一歩進んで二歩下がるの炭鉱節の様だ。

 

今ならわかる…桃太郎のおばあさんの気持ちが…。

 

年齢差は死ぬまで縮まらないため、このまま一生ビックリされ続ける人生なのかとうんざりもする。

 

 

私はいつになったら崇高な大人になれるのだろう。

 

 

どの時代も「若いから」と許容され、嫌気もさしてる。

これも新たな「贅沢病」の一種なのだろうか。

 

人生100年時代。

 

世界では玄孫、来孫を越えて昆孫まで出会えたおばあちゃんがいるそうだ。

 

私も玄孫くらいなら見られるかなぁ。

 

これは幸せ以外の何物でもないな。

上手く行けば可能性もある恵まれた人生だ。

 

 

じゃあ、今のもどかしい状態も我慢かな‥。

 

 

孫を我が子だと思われ、質問されても親じゃないから分からない。

 

 

これが恥ずかしいんだよな。

プライドか(笑)

マイベスト家電

今週のお題「マイベスト家電」お題に沿う。

 

なんと言っても「衣類乾燥付の除湿機」だろう。

 

10年くらい前に黄砂の問題が取り上げられた際に、部屋干しのために購入した。

 

未だに使っているが、なにもない空中から半日で2リットル近くの水が精製される。

 

まるでサイババのビブーティだ。

 

災害時に車のバッテリーで起動すれば、生活水を空中から採取できる。

とんでもねぇ性能だ。

 

これ、飲めたら凄くない?

 

 

ほら、ビジネスチャンスですよ!!!

 

 

 

性的マイノリティ

今日は長男と次男と「バズ・ライトイヤー」の映画を鑑賞してきた。

月並だがやはりPIXERは着眼点が捻くれていて面白い。

 

こちらはLGBTQIA+の表現が問題となり、14カ国から上映禁止を食らった映画である。

 

最初はバズがゲイ?とか思ってしまったが、なんてことはない同僚の同性婚だけだ。

 

LGBTにQLA、さらに+まで付いたこの羅列の意味はなんぞやと調べたが、簡単に言うと性的マイノリティに尽きるというか。

 

更にセクシュアリティなどに色々と配慮した、繊細な表現であるそうだ。

 

で、私は今Netflixで「the 100」を毎晩見ている。

ここでも女性のトップやLGBTなど、多様性を極めた世界観で物語は進んでいく。

 

この風潮、悪くはないと思う。

しかしだ。ちょっとみんな落ち着け。

 

あまりにもマイノリティに対して配慮しすぎてはしやせんか?

 

いいよ。そういう人がいても。否定じゃないのよ。

 

でもさ、私はまだここ数年でヘアピンカーブを描いたように容認され始めたLGBTに本心では違和感アリアリなのよ。

もちろん、わかろうとしているが前提ね。

 

昔はゲイ、レズビアンとマジョリティから二分され表現され続けたものが、SNSが普及し始めた頃から中性が出現し「みんな、理解して!」を半ば強要されているわけじゃない。

 

だってNoは晒し上げだし。

 

だから共存のために、マジョリティのみんなは自分の既成概念をぶっ壊しながら「容認しなきゃ…容認しなきゃ…」と、無理くり納得しているだけな気がしてならないのだ。

 

たとえば先日自民会合で「LGBT精神疾患か依存症」的な内容の冊子が配布されたと報道された。

 

確かにニュースでの書き出しはセンセーショナルだが、この内容は大学教授の研修会での一端だと私は把握している。

 

要は夫婦別姓など様々な観点から、この問題提起に発展し、例えばそうであるならば?的な仮定の文書だと思われる。

 

そもそも、うん十年前からWHOも世界中の学会でも「LGBTは病気ではない」という定義はされている。

 

こんなんいちいち公開処刑上に立たせるな。

どちらかというとセンセーショナルに取り上げた記事のほうが悪意を感じる。

 

ただ、とってもデリケートな問題なので、どうも公的にぼんやり表現されがち…って、おかしくないか?と、私は思う。

 

もちろん未だに宗教的な意味合いでも迫害されてしまうLGBT

 

同性婚にも様々な問題を抱え、想像しているよりももっと深刻で、うん十人に一人という決して少ない方とも言えないLGBTの比率に対し、近年随分と前向きに取り組んでいるなと良いことだと思っている。

 

それを前提にだ。

LGBTの方も議論に際し、もう少し寛容に受け止めるべきでは。

と思う。

 

受け入れよう。という流れにあることを念頭に、それでも問題は山積なわけだ。

そもそもLGBTってなんぞや?が、不透明。

 

例えば染色体の異常とか、後天的な要素が原因であれば万が一「治療できるもんなら治療したいLGBTさん」がいるかも知れない。

 

自然界ではテストステロン値の低下で雄の雌化が現存し、先天性で色素の薄いアルビノも各種族に現存する。

 

性的に合致しないのが人間だけなのか?

という疑問を追求することは、学問上でも先進的で良いことだと私は思うからだ。

 

どんどん公的に議論すればいい。

わからないからビビるのだ。

 

でも、その発端を楊枝で隅を突付くように殲滅されていては、議論が卓上にあがる前に封印されてしまう。

 

こんな人類の進化に関わる問題を、事なかれ主義じゃいかんだろ。

 

確かに今までが悪かっただけに、何でもかんでも「攻撃」とみなされてしまうことは悲しいが、アンチの意見から耳を塞げばyesマンしか残らず、発展は永遠にない。

 

今後の未来はきっとLGBT達にとって前向きな世界と変わるだろう。

もう森さんが退身した頃から日本も随分なってる。

 

だからLGBT達も様々な意見に耳を傾けてほしい。

 

でないとマジョリティ達が気疲れしてしまいそうなのだ…。本音。

 

 

私的にだが自然界での雄の雌化などに関していうと、単純に繁殖の低下が懸念されるわけだ。

 

人間で言うと女性の進出が容認され、晩婚化で一人っ子も多い。

 

…人口減るんじゃないか?

と、単純にね、そう思う。

 

動物学的にだけど、子宮は女性にしかない。

子どもを産むのは女性だ。

 

固定概念でも何でもない事実

 

この性質が妨げられてしまうだろう風潮は、知恵のある人間様特有の所業だということを、もっとよく考えたほうがいいのではないだろうか。

 

 

うん十人に一人という確率に、動物学的な危機感を持つ意見も私は聞きたい。

 

 

ほら、誰か頑張って!!