ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

精神科医の器

色々こんがらがっている私は、カウンセラーや精神科医の方と話すことも多かった。

 

しかしたまに意にそぐわない事を言われたり、持論に基づく方、虚を突かれてキレちゃう方もいる。

 

・・患者はわたしでは・・。

と、スン↓としてしまう。

 

次女が大学で落ち込んでいた時も、30分話し合っただけで

 

「お母さん。娘さんは鬱の症状があります。また、自殺願望も抱えその手段を検索してしまっている様です。これは一日中目を離さず、ご実家で療養されたほうが良いでしょう。」

 

いやです。

 

と、ここからバトってしまった。

もちろん攻撃したのではなく、自分の意見をとっても素直に言っただけ。

 

 

まず前提として五月は新学期直後の長期休み明けで、環境の変化が目まぐるしく、一般的にも鬱々としてしまう時期である。

 

そして未成年、一人暮らし、初めての大学。

不安要素もてんこ盛り。

 

 

この時期、この年代・・おおむね皆さん悩んでるんでは????と。

 

 

自分の生い立ちを振り返っても、朝起きられずに固まってしまったり、嫌なことばかり渦巻いたり、対人関係がおっくうだったり、不眠だったり、引きこもったり退学したり。

挙句の果てに「完全自殺マニュアル」まで買ってしまったり、混乱しまくっていた。

 

当時はネットが無いから、本屋で学生がこの本を直に買うって相当勇気がいる。

今なんかちょっと気になっただけですぐに検索できるのだから、死にたいって思ってすぐに検索・・・よくある事では???と思う。

 

でも、別に実行しない。だって「死を計画する余裕」があるなら大抵しない。

みんなそんな自分とどうにか立ち向かって、苦難を乗り越えてきたはずだ。

 

これをいちいち「病気」と、位置付けるなら病気でないってどういう状況???って謎しかない。

逆に毎日ポジティブで前向きが止まらないなら、それは躁状態で病気だ。

 

 

つまり、年齢相応の人生の壁にブチ合ったっているだけの子供を、たかだか30分で「異常」と位置付ける考えには抵抗があります。

 

 

と、その精神科医にぶっこんだ。

ら、ブチギレられた。

 

私は近親者に鬱や統合失調症認知症の方もいて、その行動の異常さ(表記ごめんなさい)に圧倒された経験がある。

 

本当のソレ、本当に人が壊れていく過程って心が締め付けられるような空気間で、近くにいるとより何かが分かる。

とても抽象的で言葉に表すことは難しいけど、例えるなら第六感みたいに心が直に何らかの異常を察知する。

 

とにかく「これだめだ」がすぐにわかる。

 

もちろん人それぞれを前提だけど、自身も機能不全家族にいたためその真意は「あながち」だ。

 

だからろくにカウンセリングもせず、パソコンに症状を打ち込むだけの先生にカチンと来た。

そもそも大学のカウンセリングルームに派遣された精神科医で、若くて身なりも派手だった。

 

・・あなた出会いを期待していませんか・・とか思ったり・・。

 

ああ、嫌いだから嫌味しか出ない・・・。

 

そのうえ面倒くさそうな生徒とカウンセリングをして、その史実が記録されたうえで自殺などされたら自身に傷がつくのをビビりまくってるようにしか見えなくなってしまった。

 

だからとりあえず「病気」として、近隣の心療内科に責任を丸投げして「仕事しました」感だしていませんか?

っていう疑問すら生まれた。

 

あなた向かい合っている患者は見えていますか??

 

彼は30分で娘を査定したが、私は悩みを打ち明けてくれた時、すぐに連れ帰って直に娘と話したり、その環境下(一緒に大学を見て回ったり)を知ろうと努力した。

 

とにかく40過ぎたおばはんの人生俯瞰視な主観ではなく、彼女の身にならないとわからないと思ったからだ。そのうえでの相談だった。

 

でも、100歩譲ってその診断が正しいこともあるかもしれない。いうてプロだし。

でも、どう見てもこれは思春期特有の「甘ったれ病」だ・・としか思えない母の感。

 

なんか嫌なはざまにいるな。と、結構悩んだ。

 

私は患者側なので、正直先生の裏現状とか真相とか知らない。

 

ただ、カウンセリングや心療内科って自分の心の痞えを受け止めてくれる、ないし発散させてくれる場だと認識している。

 

だから話すときも私は100%歯に衣着せず、真っ向から真実を述べるようにしている。

 

それは相手への攻撃ではなく、自分との葛藤でもある。

何かを打破したい!と、前を向いている証で、だからこの場にいるわけだ。

 

でも、そんな疑問を一蹴するようにぶちギレられて、

「大きな病院へ行ってください。入院施設もあるようなところ。紹介状は書きますが、あて名はいりませんよね???」

って言葉を目をひん剥きながら3回言われた。

 

もう恐怖。

 

あとはパソコンに向かい呪文のように「お母さんがずっと見ていてくれると。お母さんがずっと見ていてくれると。お母さんがずっと見ていてくれると。お母さんがずっと見ていてくれると。・・・」唱えながら診断内容を記していた。

 

 

それは病気です先生。

 

 

そんな言葉も飲み込んだけど。

 

ああ、自分がしっかりしなければ。

コイツ、ダメなんだ。

 

また、スン↓と落ちた。

 

病院にもたまにこういう方がいて、疲れてるのか人間性に問題ありなのか、

患者と向かい合いすぎて呑まれたのか・・とにかく自分の異常に気付いてくだされ。と、呆れてしまう。

 

 

これが医者の不養生であれば、とんだ迷惑。

 

 

それこそカウンセリングや精神科医はAIがやるべきではと、考えが飛躍してしまう自分がいた。

 

なんか心を通わせあったり、情けや温情の時代じゃない気がする。

SNSのおかげで自己完結が蔓延し、我慢強さが退化している今、医者も人間だ。

 

真に信頼できて、雑念が無く、清廉潔白な存在はもはやロボだ。

ヒューマンエラーを抑制する観点でも、心相手の先生はAI化してほしい。

 

 

カウンセリング行って、いらん悩みが増えるの嫌だよ。めんどくせぇ。