ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

物事の真相

本日のめざましTV。

大量の在庫が溢れた際の「助けてください!」話題。

昨今、在庫を抱えたりイレギュラーな失敗があるとSNSで助けを求める行為が横行している。

一昔前、「4」を「千」と間違えましたの発注ミスネタがあったが、こんなの実際にやったら給料から天引きの刑だった。

それが今は「助けてください!」で概ねどうにかなる。

この魔法の言葉を許されるのは一回、ないし二回までだ。

では、このメッセージを受けた側の心理を考える。

…自身の好感度アップ一択。

私はそう思ってしまう…天の邪鬼だ。

例えばSNSの無い時代、こんなミスやイレギュラーに苛まれる。

それを人伝に知ったかたが、わざわざ来訪してまで肩代わりをしてくれる…

親切だ。

なんの見返りもない、真の親切だ。

では、SNSだとなぜ不誠実(言い過ぎ)だと感じるのか。

…あまりにも簡易的なツールで、衝動的な行動。

そのやり取りが発信画面と同じ枠内で行われる。

その記録が不特定多数に見える状態である。

エピソードが周知されているほど、自身の親切心風が一方的に表示され、自身のサイトにもリンクしている。

手のひらで自身の善行(?)が世界中にアピールされるのだ。

この簡単に好感度をあげるネタに、暇人たちが必死に食いついているように見えるのだ。

見えないステータスアップのために…。

簡易的に善行積んでおくか。みたいな。

なきにしもあらずではないだろうか。

何事も受け止めてから反芻する上で、一旦全体像を理解しようとする癖がある。

一言で言えば素直じゃない。

自身も人間不振になりゃしないか。とか思うけど、人生はカイジだ…。

策略なくして人には近づかない。

なぜなら現代人は打たれ弱いから。

ママ友づきあいも一年過ぎると、地がでてくるし化けの皮も剥がれる。

今でこそ「ふ~ん」って付き合えるけど、相手の心理を追求すると、まあずいぶんと私はバカにされたもんだなと腹立たしい。

正直相談されても「あなたはそれがまかり通ってきたのね」と、御愁傷様に思っている。

最近なんか「バカのふりをした方が楽よ」と公言し、相手が気を許した話しにたいして更にバカのふりをする。

という、二重トラップを覚えた。

まあ大抵これで相手の人間性は露呈する。

今お付き合いしている友人も、見事にカテゴリー分けできてしまった。

あとは私が用途により使い分けるだけだ。

友達づきあいにおいて様々な方がいるわけで、妥協と惰性は自身の為でもあると学んだ。

楽しければいいから、別に嫌いにはなりませんが、自分本意が度を過ぎるようなら一喝しちゃうゾ❤️

って言うのが本音。

他人の真意を探るってやっぱ息苦しいが、遥かなる高みから見下ろしているような錯覚はあるので面白い。

次はどう攻撃され、回りがどう反応するのか。

マウント張り気味の人は、私みたいな人間を注視した方が言いと思う。