最近とある方のブログづてに、定型発達障害を持つ方のインタビューの記事を読んだ。
ASDやADHDの方達の中には、IQがとても高く天才肌の方もたくさんいる。
しかし「これは…」という方もいる。
それが一緒くたになり「障がい者」として定義されている。
この社会性が割とある部類の発達障害者は、前に記した通り「定型発達者に合わせられている」だけの話で、表面に出ない分心の中は結構疲弊している。
この「合わせる」という作業が私にとっても疑問の連続だった。
私にとってはもはや「盆踊り」ですら理解不能。
同調圧力の民族が、同調圧力全開で同調している風にしか見えないからだ。
具体的に例をあげると、先日給食の試食会があった。
校外学習で生徒不在のクラスに保護者が20名ほど集められて、各自配膳を済ませて試食をしたら各自で片付ける。
その後、自分の子供のクラスへ行き子どもたちの給食の様子を見学する。
こんな流れで説明された。
お教室の机は授業を行う形のまま、保護者は全員前方を見た状態で座る。
配膳の際は係がいたので「どうぞ〜」とお声がかかった。
しかし一斉に食べるわけではないので、着席順に試食を開始する。
…と説明があったのに、「全員着席するまで食べないヤツ多数」それでも指示通り食べ始めている方もいて、私もすぐに食べ始めたので早々に食べ終わってしまった。
周りを見ると、とっくに食べ終わって携帯をいじり始めている方まで。
そこで疑問に思った。
…なぜ下げない。
給食の時間というのは限られている。
この後に「子どもたちの給食の様子」を見に行くのでは。
各学年、親の試食会終了を待っているとでも思ったのだろうか。
時間的にも「同時進行している。」とか、気づく人はいないのだろうか。
この講習は、まず30分ほど給食の先生から様々なご説明を頂き、「食育」としての一連の流れで執り行っている。
経緯を学んで、実食して、子どもたちの食べている様子を見てENDなのだ。
自分たちが慣れない配膳を終えて食べ終わるまでに、子どもたちはどれくらい進んでいるのだろう。とか、考えないのだろうか。
それとも皆このあとに見たいのは、「給食後の片付けの様子」なのか。
違うだろ。
しかし、周りを見ても誰も立ち上がらない。
「なんか変だ」と思ったので、私が立って先に前方の配膳台に沿ってお片付けを始めた。
…とたんにみんなガタガタ動き出して、私の後ろに10人以上の列ができた。
そして周りを見ると、並びだしたみんなに驚いて給食を掻っ込む方たちも出てきた。
何しとん!!??
みんなどっかに同時センサーでも付いているのだろうか??
もう少し「自分の判断」で物事進められませんか??
葬式の焼香じゃないんだから、失敗を恐れる必要ないですよね!?
時は金なりですよ!!??
って感じで一人で疑問符の嵐だった。
この様なニュアンスの出来事が過去にもたくさんあった。
同じ起業家同士の販促セミナーでの馴れ合い。
…みんなーー!商売敵ですよー!!??目ぇさませーー!!
名刺交換や談笑している暇があったらレポート書けよ!!??
講習聞けよ!!何しに来てるんだよ!!??
どうせ連絡なんかしねぇだろーーがーーー!!とか。
一通り説明を受けた後「はい、じゃあやってみてください。」で、「え、なになに??もうやっていいの?最初に何すればいいの??これ切ってもいいやつ??いいかなー??」
…帰れーーー!!
こんなんしょっちゅう。
自分が定型発達だと思っていたときは、もはや自分が変なのかな。と、思っていたので、「うんうん。そうだね(にっこり)」とか合わせていたけど、もう合わせませんよ!!
こういう事例を踏まえると、
「定型発達の人って大変なんだなーって思います。それに合わせるこっちも大変だから。」
それな。
すごく心に響いた。
定型発達障害あるあるで、みんなと喋ってみたい。