ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

へんなこ

今でさえ「定型発達の隠れ蓑」を着込んでバレずに過ごしている。

私の場合、私が障がい者であることを「両親親族とも誰も知らない。」

 

私が自身の障がいを診断されたときは40歳を過ぎていた。

それまで違うメンタルクリニックへ通っていたときは「アダルトチルドレン」や「パーソナル障害」と診断されていた。

 

30歳くらいから通院し始めたきっかけは、親に「お前は頭がおかしい。それは統合失調症だ。」と、罵られて泣く泣く精神科の門を叩いた。

今でもそうだが、機能不全家族で育った私は「何かを真剣に話す時」に、涙が溢れ出す。

これは無意識で、何故か?わからずに日常生活でもとっても困っていた。

なぜなら「悲壮感のある話」でなくても「主張」しようとすると泣いてしまうからだ。

 

多分だけど、私は小さい時から両親に一生懸命理解を求めていたのだが、ことごとく「子供の言うことだろ」と嘲笑われていた。

挙げ句、何時間にも及ぶ話し合いで「正常」と思われる思考に無理やり修正された。

 

このときに「自分の心の叫び」を散々吐き出したが、小さい私の言葉は両親には届かず泣くことで「泣くほど真剣に話している」と、一生懸命アピールしていた。

この名残が30年以上経った今も残り続けていて、私はまさかのプレゼンでもグズグズ泣いてしまうようになった…。ヤダなコレ。

 

で、結果的に主治医と下した結論「おそらくご両親も発達障害を持っていますね。」

わーーーーー!!って叫びたかった。

 

でも確かにうちの両親おかしかった。(どこかのブログに書いた)

今冷静に考えても、発達障害の症状オンパレードだ。

親がおかしいけど一人っ子だし、親戚も近所も付き合いがなくて気づかなかった。

全部気づかない感じで20年近く地獄を見た。

最悪だった。

で、結論自分もそうだった。

 

私の場合、子供の頃の奇行がかなりあった。もちろん今はない。

中学にはいる頃には見た感じ落ち着いていた。

 

一番古い記憶では、就学前に砂場で他人のシャベルを勝手に使ってその子に砂をかけた。

だけど理由があった。ここ大事。

砂場の端にポツンと置いてあるシャベルが呼んだのだ。

「遊んで−」って。ヤバいな。でもそうなのだ。

砂をかけたのも、綺麗だったから。に尽きる。その子が嫌いだったわけじゃない。

 

私は生まれたころも低体重で2ヶ月以上保育機で過ごしたそうだ。

先天性弱視もあり、喘息持ち。

 

幼稚園に入ってからは酷かった。

まず教室にいない、まっすぐ座れないし並べない。

人のものが気になるし、「キラキラしたもの」が好きで園のビー玉とか勝手に持って帰っていた。

 

友達関係もヤバくて、とにかく「叩いた」声をかけることができず、気を引きたい相手(つまり好きな相手)に限って叩いていた。

癇癪は無かったけど、言葉の言い回しが独特でよくもめた。

運動会や合唱などイベントごとに意味合いを感じず、すごく苦痛だった。これは高校まで続いた。

 

なぜか運動神経はよくて(ASDは球技が苦手というが、球技は得意)自転車もすぐ乗れたし大抵のスポーツはすぐにコツをつかめる。

でも、忍耐と継続力がないどころかチームプレイが凄く苦手ですぐやめた。

習い事も10個以上やらされたが、「教室で座って皆でやる」事自体が苦痛だった。

 

とにかく「普通」から見ると「天邪鬼」と取られる行為ばかりで、とにかく嫌われて一人ぼっちだった。

 

でも全ての行動には「理由」があった。

 

学校では一人。家に帰ると罵声と暴力。

居場所がなくて、よくトイレに閉じこもっていた。

 

ザックリこんな幼少期で、書くと暗いので悩んだが、他にもセンセーショナルなエピソードはゴロゴロある。

この私がいわゆる「普通」っぽい感じになってきたのは「女子校での洗礼」に尽きる。

同調圧力全開。日本の縮図だ。

ここで痛いほどコミュニケーション能力を学び、結果「自分を押さえつける」的な極論で現状打破していた。

まぁ生きていてつまらなかったが。

 

そして出産と育児を経て、「叩き上げの発達障害」として今、わりと平穏無事(自分的には)に仕事をして育児をして生活をしている。

 

以前、「一回幽体離脱をして」とか表記していたがあれは「離人感」である。

自分がそこに存在しないと仮定することで、苦痛から逃れる処世術だ。

私はリスカも高校生の時一回あったくらいで、幼稚園から仏教学校だったので地獄の恐ろしさを擦り込まれており、自殺願望もない。

そのかわり、「自分を隔離する」方法で苦しみから逃げていた。

なので、「当時の苦しみを背負った小さい私」が存在するわけなのだが。

でもコレは発達障害と言うより、ただの二次障害である。

 

だから、暗い話でもコレを書いた理由を言いたい。

 

「親が「知る」ということの幸せ。」

 

これをどうか念頭に置いて、これからの未来を邁進してほしい。

親が子を理解してあげられた。

これがどれだけ子供にとって幸せなんだろう。

親御さんは現実と向かい合う自分を褒めてほしい。

お子さんには無限の可能性があることを知ってほしい。

 

単純にだが、自身の学生時代を思い出してみよう。

多動がある子は絶対にいた。

しかし、今の職場を見てみよう。

多動の人がいるだろうか??

なんだか子供の頃より見かけなくなったなと思ったら、それは発達障害者が「社会性」を持った証である。

 

希望はある。

がんばった分、ちゃんと返ってくる。

うちのASDである長女も色々あったけど、今は立派なお母さんだ。

 

無理をしないで、抱えすぎない。他人を見ない。

自分の子だけを愛おしく見ていてほしい。

なぜなら「発達障害者ほどピュアで純粋な生き物はいない」のだ。

 

私もそうだったらな…て思いながら伝えたい。

 

 

ってもASDだから人の気持ちわかんないけどね!うひひ♪