犬とか猫とかの動画などを見て、「かわいー♪」と言っている方たちの気持ちが全然わからない。
更に「癒やされる」という方たちは完全に理解不能だ。
私が動物が嫌いな訳は、
①アレルギーだから
②汚い
③生き物
大きく分けてこの3つだ。
結構初期に「動物が嫌いなブログ」みたいな事を書いていたが、(この頃は自分が定型発達障害だと知らない時期)今でも絶賛動物嫌いだ。
そもそも動物が嫌いだから理解しようとしないため、思考も一辺倒。
私にとって未知の生物であり、意思疎通のできない怪物くらい気味が悪い。
動物が好きで動物園やペットショップへ行く人なんか、イカれているとすら思っている。
例えるなら「トマト嫌いだけど、ナポリタンは好き。」とかいうヤツくらい自分主義だと思う。
トマトが嫌いならトマトを使う食べ物一切食うな。
トマトを使う食べ物を食べたいなら嫌いとか言うな。
「動物が好き」とか言いながら、拘束された生き物を見て喜ぶな。サイコか。
完全に白黒思考だ。
嫌い(理解不能)になったのも「理由」があった。
よくペットを「家族」として愛する方がいる。
これは「犬が好き」「猫が好き」とは違うと思う。
名詞で好きなのではなく、固有名詞として好きなわけだ。
しかしペットを家族として愛していて、「ママですよ〜」とか言う人に限って、その「家族」が死んだ後「新しい家族」を平然と買う(飼う)。
なぜ買う(飼う)。
あなた、子供が死んだ後に新しい子供を代替えするんですねぇ?
と、問い詰めたい。
家族が「新しい子供」を迎えることで、悲しみを払拭する行為が信じられないし、次の子を主に見た目で選んで、金を払って迎え入れるとかもう下衆の所業だ。
私は自分の家族が心底大切だ。
だから「代わり」とか「二代目〇〇」なんて、どう考えてもおかしいと思う。
オリジナルは一人しかいないし、死んだら終わりだ。
それがペットとなると、平然と代わりを買う(飼う)。
これは「命を玩具にしている」だけなのではないか?と、疑ってしまう。
自分の気持に併せて都合よく存在してくれるのがペットであるなら、それはもうただの主従関係で愛玩具。「家族」ではない。
相手が「生き物」であるなら、飼う方はあまりにも身勝手ではないか。
飼われる方からすれば、それこそ「飼い主ガチャ」だ。
私はどうもそう考えてしまう。
「汚い」という理由も「生きているから」に尽きる。
排泄なども垂れ流しで、平気で膝の上に座ってくる。
コレが人間なら、悲鳴を上げて突き飛ばしていると思うが。我が子でも。
なぜ「ペット(動物)」ならアリなのか???
自分の子が鼻を垂らしているだけで私は「うわっ」てなって、すぐに拭いてあげるけどな。
ペットの排泄後は飼い主さん拭かないよね。
つまり物事の判別が「生き物=ペット=人間」と「命」というくくりで一緒くたに考えてしまうため、「人間に当てはめるとヤベェ。」と、解釈してしまうのかもしれない。
さぁ、私の感覚を疑似体験してみよう。
皆さん…想像してほしい…「ペット=人間」として…。
リールの先には全裸の「人間(家族)」が首輪に繋がれた状態。年齢性別はご想像に任せる。
さあ、お散歩だ。外へ行こう。
素っ裸で四つん這いで歩く家族…そして至る所で排泄をする家族…。
食事には顔を突っ込み、好きな人の顔をベロベロ舐めて、嫌いな人に怒鳴り散らす家族…。
挙句の果てに、触るとブツブツが出る家族…。
そして医療費が莫大な家族…。
…家族!?
ってならないだろうか。
私はこんな視点で境界線を持たないので、動物が大嫌いで気持ち悪い。
ついでにいうと、こんな理由で動物好きな人も信用できないから苦手である。
多分こういう考えの私のこともみんな嫌いだろうから、お相子様なのだが。
だからどうしても理解できない。
ペットの動画で「かわい〜」方たちの思考が…結構な割合でいるので、余計わからない。
これはいわゆる「社交辞令」なのだろうか。
それとも「本気」なのだろうか。
…一般的に動物って可愛いんだろうか?もう極論スレスレ。
どうしたら素直に「かわいい」と思えるのか…。
納得できるよう、誰か私を論破して欲しい。
さて、ここまで読んでいただけた皆さん。
このブログを最初から読み返してほしい。
きっと最初の印象と180度違うと思う。