自分がやりがちな症状。
それは「オウム返し」即時性エコラリアというのだが、これが抜けない。
つまり定型発達の皮を被って社会生活をしているわけだが、肝心なコミュニケーション分野で詰めが甘い。
キグルミ着ているのにチャック全開みたいな。
とくに家族でいるときは意識していないので、会話が要所要所で「二者確認」みたいになる。
しかしこのエコラリア、私的には言葉の裏がちゃんと存在していて、ただの二者確認で発しているわけではない。
例えば、
「グラス取ってくれますか?」
「グラス取ってくれますか?」(「グラスを取ってほしい」旨理解しました。さてどのグラスですか?)
「あの映画見ようよ。」
「あの映画見ようよ。」(そうだね見たいね。でも何の映画で何月何日、何時何分、地球が何回まわったら行くという話ですか?)
「そこで食事しない?」
「そこで食事しない?」(このタイミングで言いますか?何食べたいんだコノヤロウ?)
…汲み取るのは不可能だと思うが、とにかく言葉の裏にたくさんの付加があるのだ。
自身がASDで他人の言葉の裏を読むことが苦手な割には、他人向けに相当ぶっ込んでいる。
これも「自分の世界」で生きているからこそわかってないのだろう。
その時の自分の中では「このコミュニケーションは正常である。」と、思い込んでいるため「なんか変だ」と、相手が思っていても気づかない。
それこそ「相手の気持を汲み取るのが苦手」であるからだ。
家族以外でこれが始まるときも大体「理由、きっかけ」がある。
特にテンパっているときや、自分が他のことをしているときに話しかけられると即座に出る。
これは「二者確認」にかなり近い。
自分的には「他のことをしていましたが、あなたが今言ったことをちゃんと聞いていました。」の、意思表示である場合が多いからだ。
でも人によっては、
「大丈夫ですか?」
「大丈夫ですか??」(は??大丈夫なわけ無いだろ??マジで言ってる?)
みたいに牽制しているようにも捉えられる。
基本的にだが、他人に攻撃する意図は毛頭ない。
これだけ念頭に置いてほしい。
でも、実際変な感じになることも多い。
なので大変不本意であるが、こればっかりは咄嗟に出るから同仕様もできない…。
って話を素直に旦那と話していた。
私はASDでASDを理解して話す側、しかし旦那はASDを理解する気はあっても当人でないから薄っぺらい。
しかも丁寧に説明しよう。と、思うと私はものすごい数の言語を抑揚もなく息継ぎもままならぬほどの早口でまくし立てがち。
スキャットマン・ジョン並だ。
もう「聞く」っていうか「浴びる」の方がわかりやすい。
旦那のキャパもスプーン一杯分しかないのに、私は彼に容赦をしない。
例えるなら、ティースプーン一本持って滝壺に入り
「水全部すくえ。」と言われているようなものだ。
なので一方的にありったけの持論を展開してからの「どうよ。」となるわけだ。
この「どうよ。」が出るときは、自身も言い切って目標を達成している場合が多い。
その「どうよ。」に対して素っ頓狂な答えが来ると、エコラリアのタガが外れパワー全開となって旦那に降り注ぐ。
「…っていうことでしょ?」
「…っていうことでしょ?」(は??話聞いていましたか??何わかった「風」で話しているんだコイツ。理解する気ないだろ。)
「だからこう思う傾向にあると…」
「だからこう思う傾向にあると…」(そういうふうに言ってねぇだろうが、他人の事分析する前に己を知れ!)
「そう理解してほしいんじゃないの…?」
「そう理解してほしいんじゃないの…?」(はい辞めだ辞めッ!振り出しに戻りますよ!根底から理解していない!マジ疲れるなー風呂入って寝たいんだけど…)
という恐ろしいほどの「邪念」が含まれている。
これはASDだからと言う前に、関係性の問題なんだろう。
しかしながら、()にくくられた部分が全く相手に伝わっていないわけだ。
余談だが()の部分の言葉遣いが悪いのも私の特徴だ。
いい加減言葉を発する際に「言葉づかいが悪いのは良くないことである。」と、自覚している。
だから「発してはいけない」と、自分でルールを設けているため(ルールがあると守れる)言語化することはまず無いが、頭の中は自由なんで正直荒んでいる。
そしてコレとは真逆で「敬語ばかりになる。」こともある。
例えば相当親しい友人でも、ずっとタメ口で話していたのに「あ〜〇〇ですよね〜わかります。」とか、突然敬語になる。
そうすると不協和音を感じる方もいて、「…怒ってる??」とか言われることもあった。
怒ってはいない。でもどうして出たかは私もわからない。
旦那とそんな感じで話した後に、
「…聞いてましたか?」
と、一言敬語になる。
…これは完全に怒っているヤツだが…。