今週のお題「最近読んでるもの」お題に沿う。
私が今読んでいるのは、ご存知「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるさんのエッセイや自伝だ。
「のんのんばあとオレ」「ねぼけ人生」「人生をいじくり回してはいけない」の3冊。
重複するエピソードもあったが、水木さんの人生の深さがとことんわかる文庫本だ。
小さい頃のエピソードや、絵を見ても発達障害なのかなぁ。と、思うことが多く読んでいて共感できた。
11月に調布で「ゲゲゲ忌2023」が執り行われる。
去年、命日に次男と行って、ゆかりのラーメン屋やお墓参りもして、ご長女次女奥様にもお会いできて、なぜか次男が調布市長から名刺をもらった…。
今年も行くぜ!と、鬼太郎コラボの洋服や小物も買って用意している。
earth music&ecologyとかグラニフのコラボは凄く可愛かった。
「サザエさん、ドラえもん、クレヨンしんちゃん、ルパン」で作者がお亡くなりになった時に痛烈に感じたのだが、作者がいなくてもキャラクターは生き続ける。
オリジナルとは程遠いクオリティや内容でも、それが続けばアレンジが「当たり前」となる。
ディズニーなんてもはや独走中だ。
声優さんにも「代わりがいる」
想像の産物である以上、記憶を引き継げば永遠に続けることができる。
でも昔の物語は作者とともに生きて、終わっていたはずだ。
それが尻切れトンボでも、あとは読者が心のなかで引き継いだ。
「代わりはいくらでもいる」
この風潮。
エンタメとして楽しむ分には良いと思う。
ただ、作者の意志として望んだことなのかなって考える。
私がもし何か物語を作って世に送り出したとしたら、私の考えだけどそれは我が子と同じだ。
世に出た我が子が声色も代わり、よくわからない他人考案のエピソードが付着し、勝手に歩きだしたら「自立したなー」って喜ぶのかな。
人間と同じで、ある程度の年月が経っていれば割り切れるんだろうか。
10歳で自立と、20歳で自立が違うように。
このゲゲゲの鬼太郎も目下独走中なわけで、これは作者がご存命の頃から「一期、二期…」と、全然違う絵柄とストーリーで放映されていた。
原作が凄く単調で黙々と進んでいく漫画なので、アニメで大げさなキャラが立てられてアレンジしたのもわかるけど、結構早い段階から「別物」だった。
いまでは水木しげるさんではないイラストレーターが描かれた鬼太郎(別物という意味)のグッズも大人気。
水木しげるさんをベースとして、横に広がっていくやり方は常に時代に乗っているわけで、もしかしたら凄く新しいものだったのかもしれない。
「誰かに委ねる」という妥協は、起業してもそうだが誰しも悩む。
でも、家族経営ってうまく行かない理由もわかるし、他に引き継いで行くことで自分の功績が永遠と続いていく。
「他人に委ねる」ってすごく大事だとも思う。
「残す」という観点から考えると、「固執しない」という事も大切なのかなと思った。
そう考えると、いつまでも原型をとどめたまま引き継がれるものって、凄くレアなんだなと感じた。
ゲゲゲの鬼太郎も新作が出る。
なんか超イケメンになってしまい、「これは…」と思ったので、オバちゃんの私はあんまり見る気はしないんだけど、きっとここから入る方もいるんだろう。
ねこ娘に関しては煩悩のままにというか、もう目も当てられない。
昔から好きだった私としては、やはり「夢子ちゃん」がいた第三期かな。
グッズやイラストは原作が一番好きだ。
何にせよ、鬼太郎と彼を取り巻くキャラクターがとても立っているのと、敵役になりがちな妖怪の原型がかなり詳細にわかっているわけだ。
これらをベースにもうちょっと…その…
おもしろくできないかのぅ…
水木しげるさんの生きてきた環境や体験談は本に細かく記されている。
戦火をかいくぐり、紙芝居作家となり生まれた鬼太郎の話は結構混沌としているが、一周回って忠実にアニメ化したって良いと思う。
今の飽和時代には学ぶべきところがたくさんあると思うし、そもそも「妖怪」って今より何もない時代の産物だ。
それこそAIに彼の人格を形成してもらい、指示を煽って再現することだってできるのでは。
自立もいいけど「原点に立ち返る」も、結構大切な気もしてきた。