ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

カミングアウト

後付のASDである私は、目下のところカミングアウトするべきか悩んでいる。

 

両親には教えてあげない。これは決定事項。

なぜなら両親80歳。

関係性もアレだし、今更「肯定されても否定されても意味がない」から。

傷つけられた分、傷つけたくない。

 

ママ友や仕事づきあいの「浅い関係者」にもしない。

言ってしまったら、どんな尾びれと背びれが付くかわからないし、自分も「障がい者だから仕方ないでしょ。」みたいな免罪符で考え始めたら嫌だからだ。

 

問題は「これからも長くお付き合いしたいお友達」への告白だ。

 

そもそも「障がい者」と知る前から既にお友達。

この方達に伝えるべきか否か…を、凄く悩んでいる。

「黙っておけばいいじゃん」と、思われるだろうが自分的に「騙し討ち」の用で嫌なのだ。

なぜそう思ったかと言うと、最近「隣人X」の番宣を見ていて、「通常の方の”わからないもの”に対する恐怖感ってこれなんじゃないか」の例えを目の当たりにしたからだった。

 

自身が発達障がい者だと知る前はアダルトチルドレンであり、病気ですらなかった。

結局ASD&二次障害のハイブリッド型だと落ち着いてしまい、誰かに理解してもらうには難しい状況となってしまった。

 

精神疾患は病気」なので治る見込みがあるとして、「発達障害は特性」であるため治らない。

たぶん定型発達者目線だと、この「精神疾患」と「発達障がい者」ってきっとイメージがあんまり変わらないと思うのだ。

 

実際自分も発達障がい者に認定されてから違いを知った。

結局「そこから」社会に理解を求めないとわかり合うことって難しい。

 

極端に言うと「発達障害精神疾患=鬱や統合失調症のような症状」というイメージである方が凄く多い。

ヘルプマークを付けていると「一律うつ病」って思う人もいるそうだ。

…ヘルプマークは「身体、精神、発達障害」など多岐に渡りすぎているので、わかりづらさは否めないが。

 

故に「発達障害者、精神疾患者」の真意をわからない(わかろうとしない)から、「正解が何かわからなくて関わりたくない」こう思われているフシがある。

 

こういう教育を「道徳」でも「保健体育」でもいいから取り入れる発案はないのだろうか。

両者ビビる必要はないのだが、実際突拍子もない行動で理解できない事はあるだろう。

そういうときに「個性だしな」くらい周りに知識があれば、対応するなり放っておくなり、わからないときより楽だと思う。

そしてこちらサイドも相当楽だ。

 

こういう「下地」が日本の教育にはないなと、当事者になってみてようやく気付かされた。

何にしても「わからない」って凄く辛い。

 

今でもお友達にちゃんと話したい。

とくに私の発言は誤解されやすい気がするので、不本意に人を傷付けたくない。

そもそも隠すのとか嘘とかホント嫌いだ。

 

でもカミングアウトしてしまったら、ビビって着拒されるかもしれない…。

私の知らないLINEで「裏垢」が立つかもしれない…(最悪だ)

 

私だって境界線が歪んで、勝手に「相手が理解してくれた風」に甘えて「ASDってさー」とか今まで話さなかった話題をガンガン振ってしまうかもしれない…。しかも喜んで。

相手が「何も気にせず”へー”」と相槌を打つのと「優しさで”へー”」て言っているのがわからないから、突っ走らないか。自虐ネタ満載でドン引きされないか…。

なんか、書いてみたらほぼ「私の問題」なんだが…。

 

関係性は壊したくないけど素直になりたい…。

結局自分よがりな考えなのかな。

でも相手が望んでいるかわからないのなら、「そう」なんだろう。

 

「ちょっとワカランチンなおばちゃんだな」と、認知されているなら、それ以上何を望むんだろう。

それでも自然とお友達でいてくれるなら、それこそ「忖度なし」で私を理解してくれた証拠なのに。

 

そうは思いつつも…。このニュアンス、わかるだろうか…。

「自分を全部わかってほしい」わけではない。例えが難しい。

 

もしも私以外の「第三者」から突然これを聞いたら、みんなとても驚くと思う。

そして、いらない気遣いをさせてしまうかもしれないのが申し訳なくてならない。

 

まあ、「弱音」何だけど…。