ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

思い切ってやめてみた事

お題「思い切ってやめてみた事」

はてなブログにお題を選んで書くコンテンツがあったので、沿ってみる。

 

私が過去に「思い切ってやめてみた事」といえば、「人間関係」である。

3番目が小学校を卒業したときから4番目が年長になるまでの丸3年間。

誰とも連絡を取らなかったし、話しかけられてもスルーしていた。

 

その時はとくに考えなかったが、しいて言えば3人の子育てを頑張りすぎて疲弊してしまった。という例えがしっくりと来る。

あとから自分がASDであると知って、疲れた理由がわかった。

子育て絶頂期の私は、自分の状態を知らないまま年を取っていた。

 

私はASDであり、他人が何を考えているのか推測することが難しい。

「本音と建前」がよく分からず、相手の「表面上」の姿を信じ切っていた。

なので突然不満を爆発させたり、無視をされると「どうしたどうした」と、その人の情緒を疑った。

 

なぜなら私自身は真摯に付き合っている「つもり」だったからだ。

そこで理解の不一致があったとしたら、素直に言葉に出してくれれば良かったのだろうが、相手は「体裁」を気にしてか表面上は合わせてくるので、異変に全く気づかなかった。

 

そもそも私の話し方はRADWIMPSの歌詞くらい回りくどい。

自分の思いを「正確に誤解のないように相手に伝えることが礼儀」だとすら思っていたため、本質からかなり逸れた位置から会話が始まる。

これも「自分の過去のブログ」を反芻していて自ら気づいた。

 

「自分の伝えたいこと」を100%伝えたい。

悪気もないし、攻撃の意図もないけど「NO」という真意を知ってほしい。

など、とても細かく独特の言い回しで説明するので、正直体面だと理解不能であったかもしれない。

 

誤解が誤解を生んで、結果争うつもりのない人が不快に思って離れていく。

この意味が全く分からず、「私さえいなければ」とか「私のせいで」と自責の念に駆られることも多かった。だから疲れた。

 

自身が障がい者だと知った時、「定型発達の方との考え方の違い」を40過ぎてようやく理解した。

たぶん私と話しているときは「子ども」だと思って聞いていたほうが良い。

とにかく「思ったまま」に話している場合が多い。

 

人をはめるとか、陥れるとか、何らかの策略を持って話すことはまず無いので、自分にとって「ん??」と、思ったら「どういう意味で?」とその場で聞いてもらえれば誤解が拭える内容だと思う。

 

以前に書いたが、

私は「本題→類似した出来事→過去の解決例→本題の解決案→そもそもの答え」

と、かなり話が迂回する癖がある。

 

例えば「このケーキ美味しいねー」と言われる。

これに対して

「前にこれと似たケーキを食べたことがあって、その時のスポンジと似ているんだよね。でもこのクリームは〇〇屋と同じだから同じメーカーを使っているのかも。このクリームは〇〇も〇〇も使っているから間違いないと思う。見た目は〇〇の方が可愛かったから色合いが気になるけど味はこっちのほうが”美味しいねー”(結論)」

(しかも大切に思う相手の話に真剣に返答したという満足感もある。)

 

おわかりだろうか。

相手は最後の「美味しいねー」という同調を求めただけだと思われる内容に対して、ここまで「自分が美味しいと思った理由」を付随させないと説明できないのだ。

たぶん定型発達の方にとっては「美味しいねー」以外は「心の声」ではないだろうか。

これが私は会話の際に全部でちゃう。

 

しかもちょっと「ケーキ通ですから」みたいな知識自慢も盛り込んじゃっている。

この意図としては「美味しい理由」に信憑性を持ってほしいだけなのだが、言葉だけ聞くとただのマウントだ。

 

そもそもASDは「雑談が苦手」で「議論好き」だ。

懇々と突き詰めて確実な答えが出るまで話し合うことに意味合いを持つので、「一般的に何でも美味しいだろう」と思うケーキに対して「美味しいね」と同調することは「二者確認」であって「会話するだけ無駄」だとすら思っている。

 

こういう返しは「私という人物」を個性として熟知している方には有効だろう。

だってキチンと話題と向かい合って話しているわけで、情報量も多いので会話の輪が広がる。

ただ、「私を知らない人」にとってはクリームの話題にすっ飛んだ時点で「何いってんの?」の違和感でしか無い。

 

こういう「相手の立場に立った際のニュアンス」を、40年以上全く気づいていなかった。

 

大雑把に言えば、私が話していることに対して相槌を打ってくれた時点で「考え(脳)は共有された」くらい「伝わっている」と勘違いしていた。

なので誤解されてそっぽを向かれるとやぶから棒。

「…どうしたどうした」と、混乱してしまうのだった。

 

こんな感じの人付き合いを子育てで最大の難関とされる「ママ友づきあい」で繰り広げてきた私は障がい者の鏡だと思う。

周りは「体裁という服」を着こんでいたのに、私だけ丸裸だった。

寒くもなるわ。

 

結局その沈黙の3年間、必死に自分のお店で働いていたわけだが、ここで学んだものも多かった。

「お客さん同士の会話」である。

 

カフェなので有閑マダムが大勢訪れるわけだが、会話の内容が大きく3つに別れていた。

「悪口大会」「病気自慢」「最近の出来事」大抵この3つ。

 

そうやって他人を客観視して自身に置き換えると、何だか「私以外の人の考え方」「あしらい方」がよくわかった。

大抵「多くを聞くものがユダ」で「多くを語るものが自滅」している。

 

私は人と付き合う時「駆け引き」と思ったことはなかった。

言葉で表現すると「腹を割る」という感じ。

でも、全員が全員私に「腹を割ってほしい」わけではない。

単純に「同調してほしい」「聞いていれば良い」「意見がほしい」いろんな意図があると思う。

これが全く分からなかった。

なんなら今でもわからない。

 

だから「人間関係って薄汚いもの」みたいに思えたときもあった。

ただ3年間家族としか付き合わないで生きてきて、発展はなかった。

結局「親は司令塔」であるため、コミュニケーションによって各世代に対する視野は広がるが、関係性の発展は望めない。

 

自身が成長するに際して、「NO」も必要だし全く違う角度からの見解もとても勉強になる。

誰かと関わらずして成長はない。

「実は発達障害者でした」と後付された私の成長ぶりが何よりの証拠である。

 

野生の発達障害者として学んだ事は、私が「人間関係」から逃げずにあがいて戦ったから理解できたことだ。

きっと「普通」より紆余曲折したんだろうが、よく頑張った。

そして一旦クールダウンした3年間。

これにもとても意味があった。

 

この先私は「人間関係」から逃げることはないだろう。