ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

自然体

子どものお友達同士でイルミネーションを見に行った。

小さい遊園地がついているところで、みんな1年生なので子どもだけフリーパスを買って遊ばせてあげた。

親はひたすら付き添い…寒かったー。

 

ブログを読み返していると、「トモダチってどうやって作るんだろう。」とか、「一人でいいや」って結構書いている。

あれから2年位経つけど、今私のお友達は5人に増えた。

 

過去に次男を遊ばせたいがために、頑張って作ってみよう。

と、始めた「友活」で残った5名だ。

 

同じ幼稚園だったので「ママ友」ではあるのだけど、個人個人とお茶をしたり母だけで出かけたりできるお友達になった。

…ありがたいなーって思う。

 

長年ASDだと気づかず「人間関係とは」と、悩み続けていた。

「考えたらわかるもの」だと思っていた。

でも、私は障がい者だったから「絶対わからない」と結論づいた。

 

結局今もよくわからないけど、人の優しさとか「合わせてくれている時」と「素の時」がうっすら感じ取れてきた。

今までニュアンス的なものがよくわからず、笑いを取るつもりで発したもので人を傷つけてしまうこともあった。

 

私の「笑点」というか…「ウケるよね」の内容が結構ひん曲がっていてブラックなのだ。

「みんなこれが面白いんだ。」と、勘違いしていたのか、場の空気を荒らす天才だった気もする。

 

でも、そういうときに限って「自分全開」で気持ちよく話していたから、これを押さえつけることこそ「コミュニケーション」とか気づいたときは悲しかった。

大事なものに蓋をしてしまう感覚。

まあ、ブラックジョークなんか蓋をするべきものなんだろうが。

 

私のKYエピソードだが、昔し高級カフェ(ハンドドリップのコーヒー1杯750円もする)で働いていた時。

私30歳くらい、相手は大学生の女の子。

「先日大好きだったおじいちゃんが亡くなってしまって…」

というしんみりとした話題から始まり、後半なぜか「飼っている金魚が卵を生んで…」というエピソードを話しながら仕事をしていた。

 

「おじいちゃんが死んで悲しいのに、仕事中話題に出しているということは、いうて。なのかな…(コラ)」

と、大学生の女の子の気持ちがいまいちわからず、「金魚が卵を生んだ」話になったときの返しで

 

「おじいちゃん…(転生)」と言ってしまった。

 

素直に悲しい気持ちを紛らわしてほしかったのだが、結果的に最低な発言をした。

大学生の女の子は戸惑った様子で、

「あ…はい、でもその卵別の金魚に食べられちゃって…」

 

やってもうた。

 

さすがに「やってもうた」と感じたので

「大丈夫だよ!また出てくるよ!!」と、恥の上塗りをした結果、会話を聞いていた同僚に呼ばれて

「それはアカン。」と、怒られた。

 

…私はこういうところが顕著に出る…。

 

今お付き合いしてくれる友達とも、「探り探り」である事は否めない。

いつくらいから、どこまで自分を公開したらわかり合えるか不明だけど、もしかしたら「不明」でもいいのかな。と、思い始めた。

 

今日遊んでいたお友達にADHDの女の子がいた。

次男(発達障害グレー)が大好きな子で、基本的にウマが合う。

しかしADHD…少々破天荒と言うか、バイオレンスというか「猟奇的な彼女」とか「サイコだけど大丈夫」とか彷彿してしまう…。がんば!

でも素直でめちゃくちゃ可愛い女の子で、私も大好きな子だ。

 

今日も次男とずっと遊んでくれたのだけど、この二人がとっても仲良しで始終屈託なく笑っているので「素敵だなー」と思った。

そして二人で「跳ねる、回る」の乗り物をずっとループしていた…。

 

なんか「これでいいじゃん」と思えた。

 

変に「自分は障がい者だから、至らなくてごめんね」みたいに伝えたら、きっとこんな笑顔は出ないと思う。

 

2人とも「自分が何なのか」ということをハッキリと知らない。

それでもお互い「個性」として、「嫌なことは嫌、好きなところは好き」と、信頼しているから仲良し何だと思う。

 

「親が知ること」の大切さ、「知らなくて良いこと」もあるという大切さ。

判別は難しいけど「で、いいじゃん。」って思えたときが答えなのかと、子どもたちを見ていて学んだ。