ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

続けていること

私は「続けること」が苦手だった。

子供の頃の習い事は10種類以上やっては辞め…やっては辞め…を繰り返している。

今となってはその原因がADHDの多動だったり、ASDの「教室がムリ」というものだったのかなぁ。と、推測できるが、当時父親からは「どうせおまえはできない」と、呪文のように言われ続けてきた。

 

うちは割と裕福な家の一人っ子だったので、「周りへの体裁」だかしらんが、「〇〇ちゃん家は英会話に通っているから行きなさい」とか、「プールは喘息に良い」とか、やたら滅多に真に受ける母親のお陰で、一週間全てに習い事が入っていた。

 

実際すぐ辞めたスイミング、エレクトーン、公文、剣道、英会話、絵画教室、習字、幼児教室などなど…は初回から大体のことは掴めてすぐにできた。

 

中学の時、事故で入ってしまったソフトボール部も、1年の終わりには内野でスタメンだった。「勘がいいな」とは自覚していて、何でも理解するのは早かった。

ただし、続かない…。

言われたことはできるけど、心ここにあらずというか…簡単に言うとどうでも良かった。「必要性」を見い出せないというか。

 

「大会や発表会や進級テストに向けて頑張ろうね!」って「同じ目標」へ向かう周りの子達はクローン人間だと思った。

チームプレイなどでの「個人が評価されない事」にも意味合いを感じなかった。

 

かといって自分が評価されても「達成」(この場合の達成は大谷選手レベル)してもいないのに褒められる…う〜ん…。と、よくわからなかった。白黒思考だったのだろう。

言われたことに「はい」しかない世界も理解できなかった。

 

例えば小5くらいのとき、音楽のテストがあった。

先生に「一人ひとり名前を呼ぶので、ピアノの前に来てください。」と言われた。

「??」意味がわからなかったので、思い切って手を挙げた。

「先生がピアノを弾いて、生徒はその場で立って順番に歌えば良くないですか?」と。

 

まず、先生の言うように「一人ひとりピアノの前に行く」であると、待っている生徒が宙ぶらりんだし、「前の人がどうテストを受けるのか」わからない。

更に、「戻って、行って」の繰り返しが生徒の人数分行われるので非効率だ。

 

だったらその場で立って流れ作業の様に行えば、「全視点はテストを受けている子」に向くわけで待機中も無駄ではないし、先生も「待っている生徒」の様子もわかる。

更に移動時間はないのだから、空いた時間に練習なり振り返りなりやればいいと思った。

 

正確に説明するとこんな感じだが、単純に「非効率」と「自分は何をすれば良いの?」がわからないから聞いた。

でも、その先生には「だったらあなただけそこで歌いなさい。」と言われ、「全視点が私に向く」という公開処刑となった。

 

そういう「失敗体験」(間違ったことは言ってないと思うが…)があったり、空間が嫌いだったり「授業」「チームプレイ」が苦手で、結局なにもかも続かず「堪え性がない」と烙印が押されて、最終的にちょっと困ったちゃんが収容される「人間塾」に入れられた。

ここも初回で逃げ出して二度と行かなかったが。

 

そんな事もあってか「継続自体に苦手意識」が芽生えてしまい、更にできなくなった。

奇しくも父親に呪文のように言われた「お前はどうせできない」人間になっていた。

 

高校生になってもバイトが続かない。

やがて母になって「育児も続かなかったらどうしよう…」という緊張感が始終渦巻いた。

結果、結婚生活は13年は続いたが一旦終了した。

 

「子育て」が継続できていることがとても不思議だった。

毎朝子どものペースで起きたり、ご飯を用意したり習い事へ連れて行ったり。

「自分主義」であった私が何でできるようになったのか。

多分だが、「母という自分」を作り出して乖離していたっぽい。

究極だが、私にとっては結構重要な処世術だ…。

 

自分が辛い子供時代を過ごしていた時、父親に暴力を振るわれると幽体離脱するような感覚があった。

この時の私は現実を「他人事」と捉えて、「心の重症化」から自身を保護していたそうだ。離人感だったかな。

その辛い記憶を抱えてしまったのが「インナーチャイルド」なわけだが、結局そうやって何かに付けて「役割」を与えればできたのだ。

 

確かに上3人を育てていたときの私は「完璧」だった。

裁縫も料理も家事も一切妥協せず、子どもたちもわりと優秀だったので、「賞を取ること」で「自分の方針は間違っていなかった」と、変に確証していた気がする。

「一生懸命頑張ることで子どもたちも社会的に評価される=子育て成功」みたいな錯覚。

 

一見「成功者」っぽいが、後に破綻している。結局「続かなかった」

この頃は無自覚なので、ASDの特性がモロだったなーって、今思うと反省しきり。

 

変わって今の子育ては…というと、とくに何もしていない…。

家事…料理…そこそこ手を抜いている。

これで良かったんだろうな…って身をもって学んだ。

 

変わらず頑固に続けているのは「家族写真」各自命名から始まり成人式まで。

単独写真と家族の写真を写真館でずっと撮り続けている。

…途中で旦那が変わっても続けた…。

 

それと「手帳&5行日記」は20年近く続けている。

最近は「毎年誕生日に証明写真(美肌で)を撮る」と、「年末にはあかすりに行く」を5年位続けている。

 

小さなことだけど「続ける事ができる」自分を目指して。

乖離した自分も1人に合体できるように。

 

「できる」を信じて、来年も邁進していきたい。