ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

真実を知るということ

1月1日16時10分、能登地震

私は家族を乗せた車を運転し、国道469号線から御殿場方面へ移動中だった。

前後の車列は10台くらい、渋滞もなく60kmほどの速度でのんびり富士山を満喫していた。

 

突然、車内に地震警報が鳴り響いた。

一瞬「南海トラフ地震」が浮かんだが、私はすぐにハザードランプを付けて路肩の広い空き地に車を止めた。

揺れはさほどなく、車内がかすかに揺れるも「風か揺れか」判断はつかなかった。

 

すぐに車内でNHKを見たので、地震日本海側だと知った。

念のため10分ほど様子を見てから運転を再開した。

移動中に新潟の様子も聞いていたので、旦那に口頭で「長女に連絡して」と指示をして、上3人の祖父母(前の旦那のご両親)の安否確認をしてもらった。

そんな感じの一時間だった。

 

この地震でまた「何でだろう?」が発動してしまった。

「綺麗事や正論」を言うつもりはないのだけど、私自身が感じた「正直な気持ち」をそのまま書いてみる。

 

まず、地震警報の際に「路肩に寄って停車」したのが私だけだった。

私の車の後ろの車は警報がなっているのにどんどん先へ行ってしまった。

 

私のガラケーでさえ警報音が鳴り響いたのに、みんなスマホを搭載していなかったのだろうか。

第一報では警報のみで「震源地」が知らされていなかった。

東日本大震災の時、身についたものや学んだものはなかったのだろうか。

教習所で教わった「運転中の緊急時の行動」は実行できないまま卒業したんだろうか。

静岡県を走行中「もしや」とか浮かばないほど何も知らずに生きてきたのだろうか。

極論「私がASDだから変なのだろうか」くらい考えてしまった。

 

それくらいみんな警報を「スルー」していた。

100mほど前方(反対車線だったので咄嗟に入るのを辞めた)にかなり大きなコンビニがあったのだが、そこに一次入って避難する車すらいなかった。

 

その後はずっとNHKを聞いていたが、どこの民放に変えても「逃げてください」と延々と呼びかけられるので、聞いていてすごく疲れた。

私は震源地から離れたところにいる。

でも地震は連鎖するかもしれないし情報は共有したいので消すわけにも行かず、ひっ迫した声で津波警報の注意喚起ばかりが2時間位続いて怖かった。

 

ただ、これは「良いこと」かもとは思った。

実際東日本大震災のときはこの「注意喚起」がなく、津波の深刻性や状況の把握が困難だったため避難が遅れてしまった方々もいたと思う。

なので一部の緊急時に日本中で同じ警報を鳴らさなくても。

という意見もわかるが、「こういう情報は共有するべきもの」だと私は捉える。

 

ただしだ…全放送局同じ文言…というのは…。

どこか1チャンネルでも「現地以外に送る情報」を流してくれると冷静になれるのに、と思った。

日本海側の津波喚起を太平洋側で聞いていても」…という話。

 

もちろん災害時は情報も錯綜するので、「同じことの繰り返し」になってしまうのは否めないし、途中からテレビを付けたりした場合「繰り返し」であるほうが効果的だ。

でも災害場所が特定されたのなら、「それ以外の地域の人が”二次災害”に備える呼びかけ」をしてもらったほうがきっと助かる。

なぜなら災害場所から離れている地域が大半であるし、離れた場所の方たちほど落ち着いてテレビを見られるから「次に起きるかも知れない事態に備えられる」からだ。

 

なのに全国放送で全チャンネル一斉に同じ注意喚起し始めると「圧」も凄くて、何もないのにドキドキしてしまう。

逆にこれが共鳴力が強かったり、PTSDを持つ心が弱い方たちにとって「二次被害」にもなってしまいそう。

「災害だからしっかり状況把握しないと」と思ってテレビも消すわけにいかない方もいると思う。

どこかひとつでもいいから「冷静チャンネル」を作ってくれると助かるな…と感じた。

 

それと、やはり今回もXなどSNSで「フェイク動画」を拡散するバカが乱立した。

最も悪質だと思ったのは「東日本大震災の際の津波映像」を今回の「能登地震」に乗せてあげたヤツ。信じられない。

「いいね」も理解不能だが、それ以上にリツイートしたやつ同罪。

どこからどう罵声を浴びせればいいかすら迷う。

 

これを知った時、イスラエルの戦争の関連で「揶揄する動画」を作成しあげている方たちの事を思い出した。

戦争を茶化して被害者達をバカにした信じられない動画だ。

これを世界中あらゆる人種と地域のバカが、結託したわけでもなく各自で勝手にあげているのだ。

 

「世界中」であることを注視してほしい。

そのバカは貴方の隣にもいるかも知れないのだ。

 

例えばひとつの事案に対して100%の同意はあり得ない理屈はわかる。

地球上での大抵の物事は「7:3の法則」である事は理解している。

 

だとしてもだ、この大馬鹿者達の発生率まで世界基準で安定している。

どんな世界中の災害や被害でも数%の「バカ」まで発生する。

つまり「バカの駆逐ができない」。

このバカ達の神経が私にはどうしても理解できない。

 

単純に「何かしらの利益を得る」ための諸刃の剣であったとして、どうして見も知らずの他人を無差別に傷つけたり、陥れることに率先して労力を費やせるんだろう。

精神的にテロ行為だとか思わないのだろうか。

自身もそういう状況下に置かれた際、「他人様から揶揄されたい!」と、思うのだろうか。

全員「反社会性パーソナリティ障害」なんだろうか。

 

こういう事柄を目の当たりにしてしまうと、一般の定型発達者から見て「実害あるバカ」と「障害者、精神疾患」が「面倒くさい」で一緒くたにされてるんじゃないかと、不安になってしまう。

 

結局「気を使う、見て見ぬふりをする」とかって「7:3の法則」の通り、100%の優しさだけではなく、「体裁や仕方なく」だったり、「その時の自分の気分」で左右される。

私はとくに「表面上」でものを見がちなので、他人の「本質」が掴みづらい。

 

つまりこういう「極端な人間もいる」という情報をインプットしてしまうと、誰がユダだか判断できない。

そうすると「すべてを疑うべき」という結論に達してしまうのだ。

 

私はASDであり、自身の「思考の傾向」の取説がある。

定型発達者には無い。

取説がある方と無い方。どちらが理解しやすいのだろう??

 

地震の後、さぞかしみんな興味を持って「災害に備える」記事を書くのだろうな…と、いくつかブログを見たのだが、「福袋、旅行、美味しいものを食べた、観光地」が軒並み連なり唖然とした。

 

世間では「お正月続行」これが「一般の思考」なのだ。

 

所詮対岸の火事、同じ日本の片隅で大災害が発生していても、自分のところが安全ならそれで良いのだ。

確かにイスラエルの戦争があっても、ロシアの戦争があっても私は旅行に行ったし美味しいものも食べた。

ブログでも持論を語るのみで、「戦争」の「せ」の字にも触れなかった。

 

「不謹慎」ではなく、これが「普通」なのだろう。

 

いちいち局所の情報に心を痛めていては、精神的にも身が持たない。

でも…これが「一般的」であるとして「正しい」のだろうか。

いわゆる「見て見ぬふり」なのだ。

 

こういう思考を「正しく一本化」することは不可能だが疑問に思ってしまう。

事実「なにか事件が起こったら助けに行きます!」が常習化すれば、世界中が「地球防衛軍」である。

「心を痛めたり、気には止めるけども。」が「普通」で、だからといって「目の前の予定」を左右するほど感情移入しないわけだ。

 

でも、せめて…しばらくSNSにはあげないとか…。

これが「配慮」ではないかな…と、思ってしまう。でも難しい。

 

「知らなければ」良かったのかも知れない。

下手に「全てを知る術」を持っているから、「人の神経どうなっているんだろう」と、疑問に思ってしまうのかな。

 

例えば私が被災者の立場になり、何らかの事情でSNSを見ていた時「他人事」の記事や「平時さながらに放映する番組」に苛立ちを覚えると思う。

これは完全に「人為的な二次被害」だと。

 

こういう事を議論すると「見なきゃ良い」という極論が発生するが、「貴方自身が他人事」だからそういえるのでは?と、思う。

「自分事」であった場合、冷静に判断することなんかきっとできない。

 

「自分の考え方はとっても単純(白黒思考)である」と知ったうえで世界を見ると、おかしな動向をする人たちが非常に目につく。

「自分が正しい」と、誇示しているわけではないが、少なくとも「個人的な今までの知識」に沿って秩序的に考えようと努力している。

 

それなのに「フェイクニュース」などの事実を知ってしまうと「私が努力して合わせようとしている人間ってこういう人たちも含まれるということなのだろうか?」と、逆に「一般的とはそういう物」と、一緒くたに考えてしまい不安になる。

 

私は「そういう人」とは同じになりたくない。

とくに有事の際には「本質」が露呈されるなと。

 

「自分の判断と周りの判断の相違」を感じるたびに「私は障害者だから頭がおかしいのだろうか」みたいに考える自分が嫌になった。

 

何だか答えの出ない事をずっと考えてしまう。

大変な思いを強いられてしまった方々が心配でならない。

…どうせ考えることしかできないくせに…と、無力な自分が情けない。