次女が帰省しているのだが、大学生なりに「能登地震」のことを色々把握していた。
私はスマホを持っていないしSNSをやらないので、大抵の情報源は「テレビ、yahooニュース」くらい。
なので「SNSしかない今の子」の代表として次女を見ている。
彼女は私とは真逆で「テレビ、yahooニュース」などは全く見ないで、なにかあればSNSで確認するそうだ。
つまり「公式」ではない発信(現場の声)を多く閲覧して情報源にしているわけだ。
今回の地震でもリアタイで「助けてください」と、呼びかけるメッセージが乱立したらしい。
被害が広範囲で多発している中、「緊急通報がパンクしてしまい助けを呼ぶ術が何もなかった。」わけなので、SNSで拡散し「近くにいる誰か」に助けを呼んでいたそうだ。
こういう活用法は確実な手段であり、一番効果的な「SOS」なのかなと思った。
しかし、私が驚いたのは「突然閉じ込められた方」が軒並み「スマホ持参」だったこと。
あんまり持ち歩かないし、いちいち見ない。
電話は絶対に出ないし、見る時はまとめてみる。
これは持ち歩いたほうが良いのかも知れない…と、思った。
ただ、緊急時とはいえ「SOS」の際に住所や氏名をさらした方も多く、仕方がないとはいえ個人情報も拡散してしまうというリスクを抱えてしまっていたそうだ。
更にここでも「嘘のSOS」や「フェイク情報」が複数あった。
とくにポストした人のフォロワーなどは「下手に相手を知っているだけに嘘だと気づかず」リツイートしていたり、本気で心配しているのだか…は、文面なので謎だけど実際リプしてしまっている人もいたそうだ。
そうするとどんどん「偽情報が拡散」することに「加担」してしまう。
なにか真意があっての「リツイート」なのか、何気なしなのかは分からないが、「余計な情報の閲覧率」が上がるほど民主主義では「真相が闇」になってしまう。
「本気で邪魔くさいんだけど」と、次女もご立腹だった。
また、実際石川県に住んでいる方のSNSでも「いいね」のために「逐一実況」している方もいたそうで、それも「不謹慎」だと感じた。
これも残念な「あるある」だけど、「そうしてしまう」人が年令を問わず多く、理解不能だった。
そして、こういう「真意不明な情報」を今の人は「自己判断」しながら簡単に閲覧し、評価できる。
ちょっと検索すれば、知りたいことが山程出てくる。
上げる方も見る方も年齢制限も何もない。
こういう「情報の得方」が今は主流なのだ。
ここで本物と偽物を判断し、必要である本当の情報を見抜いて行動しないといけないわけだ…。
携帯見ているだけで時間がどんどん過ぎそうだが、そうやって立ち止まっている今もリアルは進んでいる。
有事の際に効果的に立ち回るには、とりあえず顔をあげたほうが良いと思うがどうなんだろう。
私的には避難所や給水場で「人が集まる」ところに行くのが苦手だ。
東日本大震災の際にショッピングセンター内にあるカフェで働いていたのだが、そこでの「集団パニック」を目の当たりにして地震より怖かった思い出がある。
一人のおじさんが「注意喚起で叫んだ」事を皮切りに、余震のたびにいたるところから女性の悲鳴が響いたのだ。
奇しくもおじさんが吠えた事で堪えていた絶叫にGOサインが出てしまい、動転していた方たちのタガが外れて連鎖してしまったのだと思われる。
叫んだ女性はほとんど大人で複数人いた。
私は「何で叫ぶんだろう??」と、不快だった。
周りの不安を煽るし、大人なら理性で止められるはずだ。
女子校時代も「キャーキャー言い出す輩」がいたが、大声を出す事でなにか解決するのか?よくわからない。
私自身はわりと冷静に構えていたので、地震よりも「その様子」に圧倒されて気分が悪くなった。
なので、なにか災害があった際はできるだけ「人から離れよう」と思っている。
簡単に引っ張られるタイプだと自覚しているため、自身の判断が鈍る事が嫌だ。
それに、そういう時の「現場の判断」って「即時行動」でないと怖い気がする。
目まぐるしく状況が変わるのだから、発信者がどこにいるか不明確の情報を漠然と待つこと自体がリスキーだ。真意も不明だし。
検索する時間があれば足を動かして、充電は大事なときまで取っておけば良い。と思う。
そうはいえど、私が今書いていること自体も「理想」である。
今回のことも踏まえ、家族で「今の災害への対処法」を学んでいきたいと思った。