「ちいかわ」への違和感が確信に変わってしまった。
1月15日のブログを書いた時点で、私は2巻までしか読んでいなかった。
しかも「うさぎ」に魅力を感じていなかったので、長男に「どのキャラが好き?」と聞かれたとき「ポシェットの鎧さんはいい人」と答えていた。
このとき、私は「ちいかわ」への印象を「ねこぢる」や「山田花子」さんを引き合いに出して説明している。
ちいかわはいうてこれらの作品ほど描写はグロくないし、直接的でもない。
2巻の時点ではとくに「長編」と言われる物語もなく、「??終わり??」みたいなスッカラカンの短編が多い。
なのに何で「引っかかる」んだ…??
何で「ガロ系」だと悟ったんだ??自分でもよくわかっていなかった。
しかし、このゆるい話の中で1巻の「キメラ」が出現した際の「…まさかな…。」という不安要素、うさぎのキメラ化。
別のエピソードでのハチワレのセリフ「喜びがない〜」から、この漫画の意図は「ゆるゆるの癒やしではない」とほぼ断言できた。
過去の私はこの違和感を察してガロを引き合いに出したな…。と、確信。
そして昨日ついに「ちいかわ考察サイト」を見つけて読んでしまった。
私のように「ちょっと待って…ちいかわって…」と、違和感を感じた方が沢山いて、その方たちのXでのザワツキも含めまとめている方がいらっしゃった。
「これだ」。
ちいかわは「子供の漫画ではない」。
★以下はネタバレも含みます↓
他の方が散々語っているので私なりに掻い摘むが、ちいかわの世界は「貧困、労働、主従」という関係性がある。
差別的とは言い切らないでおくが、「現実社会にかなり近い」。
「主要キャラとその他大勢との描き分け」でも何か伝わるものがあると思う。
更に、その他大勢と見られる「グレーのキャラ」は著しくぞんざいな扱いである。
討伐の際に捕食されたり、命からがら逃げ出しても四肢欠損するキャラもいる。
「キメラ化」「魂の入れ替え」などの「理由付け」も「強いコンプレックスにより発動するのでは」という憶測も成り立ってしまう始末。
ハチワレが洞窟に住む理由、家に置かれた所持品や掛け布団の汚れ。
…貧困層として描かれているのはハチワレだけなのだ。
掘り出せば掘り出すほどエグい。
作者はかなり「純粋に」この世の中を表現していて、この物語が「ちいさくてかわいい奴…でも…」という壮大な「現代芸術作品」であるなら、この先もっと荒むのでは…と、懸念される。
現に4巻辺りから繰り広げられる長編は、回を増す事に「…え??」と、困惑する内容となっていく。
ちいかわには鬱描写も点在し、短編過ぎてサラッと読めてしまうため「伏線」を見逃しがちだが、あとから回収される伏線の数が実はハンパない。
この「これってアレだ!」という体験や、「…コレ…まさか…まさか…」という不協和音が私の感じていた「違和感」の正体だった。
「モモンガの正体」「スーパーアルバイターの資格がなくなる噂」「ちいかわ」と言われる「二頭身の種族と鎧さんとの関係性の本質」
これで「くりまんじゅうがアルコール依存症になった理由」が確固たるものとして登場したら泣いてしまう。
どう考えても「戦後鬱」ではないか…。
「考察サイト」で書かれていることは、あくまでも受け取る側の妄想に過ぎない。
でも、作者にその意図が感じられる片鱗はいくつもある。
コレを初期段階で汲み取れている読者は凄いと思った。
そもそも作者である「ナガノ」さんは、イラストレーターである。
漫画家ではなかったという感性であるなら、やはりちいかわは「総合芸術作品」として全体を捉えたほうが面白さが増すと思う。
単行本は6巻までしか出ていないが、私の知らないエピソードもたくさん配信されている。
単行本にする際に補足ストーリーをいくつも付随させているそうなので、7巻がめちゃくちゃ楽しみだ…。
旦那いわく、「うさぎもキメラかもな」という勝手な考察。
…あながちかも知れない不安要素はいくらでもあった…。
そしてフジテレビ…真意は理解しているのだろうか…。
朝の番組でどこまで放送できるのだろう。
「パジャマパーティーズ」は既に出ていたよな…。
ちいかわは可愛くて親しみやすいキャラクターなので企業とのコラボ満載だが、これが考察などで囁かれる意図で存在するキャラクターであるなら、「見た目だけで飛びついた企業のイメージを疑う」。そしてちょっと笑う。
「見た目だけ=ちいかわ」という何年もかけて作り上げた壮大なテロである。
他人事で言わせてもらえば、ここまで深闇であるなら最後にガツンと世間様を裏切ってほしい。
このコンプラ縛りの世の中で、その爽快感たるやハンパないと思うから。