ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

アクセスアップ

アフェリエイトなどをやっている方をよく見かける。

私がブログを書く理由は、日常であったり心身の変化や考え方の変化を残したくて、一方的に書いているだけなので徳はない。

 

ただ、ブログを通して自身を客観視していると「相手の気持になって考えてみよう」と思い始めたり、心境の変化はたくさんあった。

当初のブログを読み返すと、自分がその時、その瞬間に思ったことをただ書き連ねていて何の脈略もない。

でもここ最近は強調したいワードに「」を利用したり、「まず状況の説明」から入ったり意識して書き残すようになった。

こういう「発信の仕方の変化」は、実社会でも役に立っている。

 

ASDである私は他人との境界線がぼんやりであることも多く、「わかっていると思うけどさ」という前提で話を切り出すことが多い。

他人とコミュニケーションをしたり、関係性を築くのがとても苦手なので、「相手の真意」を知るのに凄く苦労する。

 

今苦労しているのは「ママ友はいつまで友達でいてくれるのか」という疑問。

それこそ社交辞令で「また遊ぼうねー」とか言われると、

「次はいつにしたらいいんだろう…そもそも私が仕切るのかな?相手を待てばいいのかな?…いつまで待てばいいのだろう…このまま終わったらどうしよう…」と悩んでしまい、グルグル回って数日眠れない。

 

結果、私からみんなに声をかけると快諾で集まってくれる。

…しかし私は幹事とかマジで嫌なんだけど…。

うっすら言っても「たぶんみんな嫌なタイプ」なので黙り込んでしまう。

空気を察してなあなあでこの話題は終了するのだ。

…でも、こういうのが人付き合いなんだろうし…人の本音って難しいなー…と。

 

アフェリエイトでもそうだ。

アクセスアップのために「相手のブログを読んでもいないくせに評価をする」人が結構多い。

こちらは「金づる」という明確な意図があるが、わからないのは自己満足とか承認欲求で登録者を増やす人達。

それって現実世界で友だちが少ないから、SNS上で見栄を張りたくてやっているのだろうか?

 

自分が読んでいないのなら、相手も読んでいないだろう。

そんな者同士で毎日規則的にポチポチやりあっているのは、何らかの意味があってのことなんだろうか。

または現実社会も影響する「何か」があってのことなんだろうか。

 

私は「自分の好きな文章」に評価をする。

評価をした人が私の興味のない話をしていれば、最後まで読んでいたとしてもスルーする。

評価をしているブログは「これだけ魅力を感じました」という意思表示として、自分なりにちゃんと判別している。それが相手への敬意かなと感じるからだ。

 

でも、たまにブログ巡りをすると同じ方が「3個だけ」評価をして練り歩いているのを見かける。

私のブログも、更新して1分で3個付いたこともあった。

更に多数の記事が同時刻に評価されるときもある。

…自分のブログを始終読み返すが、どれも1分では読みきれない。

「読んでないんだなー」とすぐわかる。

 

そうするとこの「評価」に隠された意図は「自分のブログへのリンクを貼り付けているだけ」となる。

これが本音なのか。

そう知った時は結構沈んだ。

 

そりゃそうだよな。

障害を持つおばさんのブログの更新を楽しみにしている人なんか、いるほうが不思議だ。

でも、もしかしたら1人はいるかも知れない。

私は「個数で評価」と判断してしまうが、みんなは感覚が違うかも知れない。

どの人が「本心」で、どの人が「数字目的」なのか明確に見分けがつかない。

 

自分の手記をネットに公開しているということは、自身も何かしら訴えたかったり言及したい意思があってのことだ。

同意を求めているような文章なら意味がわかるが、ただの呟きであると「これに評価を求めているのだろうか??」と、わからなくなる。

更にアングラな内容だと「評価してはいけない気がする」とまで思う。

 

自分も真摯的に受け止められているかどうかなんてわからないし、受け止められたとして…何もかわらないけど?

という世界。深く考えると不思議だ。

 

実社会もSNSの世界も、他人の真意が不明という意味ではあまり変わらないのかもな。

と、思うと、どこに自分の心の拠り所を構えていいのか不安になる。

今は子どもたちが一番信頼できるけど、子どもだっていずれ自立する。

そうなると犬とか猫とかに走ってしまうんだろうか。

 

…ペットを飼うって、人間に疲れて「ぬくもりと真実の愛(実際主従関係)」に飢えている人だけだと思っていたけど、私も段々そうなるのかもなぁ…。

承認欲求や心の拠り所って生きるための活力であって、それに携わる「自分以外の他人」は結局「数字」なのかも知れない。

 

そう信じているわけではないけど、そう思って世の中を見ていると「信頼関係」とかって凄く浅いものなんだなと言うことがわかる。

学校が変わるだけ、クラスが変わるだけ、生活が変わるだけで人間関係もくるくる変わる。

男女のいざこざなんかあっという間だ。昨日まで友達でも、すぐに今日から敵になる。

 

細く長く信頼関係を築きたいなぁ…と、思っているのだが、世間は目まぐるしい。

人の本心もよくわからない。

自分も「うわべだけ」の人間になるのは嫌なんだけど、そういう人ほど心が弱くて防衛本能があるのかな。行く末は孤独だろうが…。

 

自分と同じ感覚を持つ人をリアルで探すのって難しい。いるのかもわからないし。

そういう意味では選んでしまった旦那とは感覚、真逆だもんな…。

 

私、オンリーワンだったらどうしよう。