ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

正確さ

今日は楽しみにしていた「びっくりドンキー」でのモーニング。

和食が良かったのだが、和食のチョイスが「卵かけご飯」しかなくて断念…。

単品でおかずがあればよかったんだけどな。

 

びっくりドンキーはコロナ前までサイゼと一緒で「現金のみ」だったので入りづらかったのだけど、今はタッチパネルに自動精算。

カードも使えるようになっていて(まだVISAだけかな?)入りやすくなった。

 

しかし相変わらずドリンクバーがない…。

でもここはドリンクにも力を入れているので、これはこれでいいのかな。

コーヒーだけはおかわり自由だった。流石に美味い!

お値段とクオリティー、ボリュームを見ても「ロイホ敗退」である。

Free Wi-Fiは今までで一番快調かも。

 

 

さて、本題に戻る。

最近意識し始めたのだが、私は質問に対して「正確」に答えようとする癖がある。

 

例えば子どもに「何の果物が好き?」と聞かれたとき、成熟した大人なら「りんごかな~」とか適当に「その子にもわかる」果物を言って、話を合わせてあげるだろう。

自分が「実際に好きか嫌いか」というのは「とりあえず二の次」として。

私にはこれができない。

 

正直「何の果物が好き?」と聞かれると「果物は嫌い。」しか浮かばない。

以前の私ならこれを口に出して問答無用に話を終わらせていた。

でも、今の私は「相手に合わせることこそコミュニケーション」と、学んで実行している最中である。

 

元々果物は嫌いなのに「好きな果物」と聞かれているので、ものすごく考える。

相手がそもそもどんな意図で聞いてきているかも不明だ。

しいて言えばハワイ料理を食べに行くと、毎回頼む「グアバジュース」が好きなので「グアバ」だ。でも果実としてのグアバは食べたことがない。

 

しかし、子供に「何の果物が好き?」と聞かれて、

 

「…グアバ

 

…どうしたどうした…。

 

と、なりかねない。

 

「私が本当に好きだなー」と思った果物…何だろう…?

みかんもいちごも食べるが、「あれば食べる」ので好んで食べてはいない。

そもそも「いちごは果物ではない」ので答えにならない。

 

リンゴも梨も嫌いではないけど好きではない。あっても食べない。

ブドウはあれば食べるけど手が汚れるので基本嫌いだ。

パイナップルは喉がチクチクするし、びっくりドンキーのキウイ100%ジュースは好きだけど、キウイの果実はごま塩みたいで好きではない。

 

グアバ…。

 

「…わかんない…。」

結局話題は終了する。

 

嘘がつけないと言うか、適当に合わせるのが苦手というか、「聞かれたことにキチンと答えないと!」が最優先で、配慮しすぎるので肝心の答えが迷走してしまう。

 

そもそも「適当とかあいまい」も苦手なので、どうやったら「相手を失望させずに答えるか」すごく頭を使う。使った割には「失望寄り」な回答だ。

 

自分なりに考えた結果、「正直に今の気持ちを伝えたらどうだろう」と実行してみたことがある。

相手に「過去に起きた案件を流して忘れよう。」と、提案されたときだ。

 

お互いモヤモヤしている案件で、私はカメラアイなのでおそらく死ぬまで忘れない。

しかもASDなので、いつでもそのときにタイムスリップしてぶり返せる。

相手はそんな状態の私を知らないので、「前に進むために無かったことに。」と、提案したわけだ。

 

大人だったら「そうですね。前に進みますか。」と、自分のためにも割り切れるだろうが残念なことに私は「大人」ではない。

 

「そちらの気持ちはわかりました。でも私は流すつもりは今後一切ありません。ただ、今から迎える問題は別の話ですので、今はその話はしません。」と、答えた。

 

…これが正しかったかわからんが、私にとっては正しい答えだった。

とりあえず「そちらの気持ちはわかりました。」で、辞めて濁しとけば大人だったんだろうか。いや、大人じゃないから濁せない。

「…絶対に許さん…」という恨みつらみが相手のペースで払拭されるのもシャクだ…。

 

こういう事柄にいちいち頭を悩ませるから疲れる。

自分すら騙せないというか。

 

変な「こだわり」はやはり抜けない。