タオル屋さんのコラボ。
可愛いなーっていつも思うけど、誰も買っていない…そして私も1枚も買ってない。
うさぎが「頭を垂れる」なんてレアすぎる。
「完売するもの」としないものの区別って何なんだ???
十分かわいいけど、「売れ残っている」と購買意欲がわかない。コレか!?
それ、人気と関係ない気が…。
さてさて、先日のニュースで衝撃的だったもの。
「当時5年生の男の子が、同級生に”古銭などの投資”を持ちかけられて100万円近く金を渡していた件」である。
さあ…どこから突っ込もうか。と、手がわきわきしてしまう。
ポイントはコレだ。
・その現金どこから。
・何故払った。
・払った親、もらった親、両者小5男児との関わり加減の謎。
掻い摘むとこんなところ。
要は「小5が親に知られずどうやって金銭の授受ができたのか。」これだ。
種を明かすと、「親戚から頂いた歴代のお年玉を、親が”タンス貯金”していた」そうな。
「小5の授業で”投資”について学んだ」そうな。
「同時期に”俺100万円持ってるぜー”(タンス貯金)と、被害者少年がイキった」そうな。
…悪知恵ついた同級生にカモられ、引くに引けず支払った。
「カモられる<100万円所持が嘘が嫌」こっちを優先してしまう11歳男児のキャパ。
幼心にタイムスリップすると、この被害者の気持ちはわかる。
小さなコミュニティーで「日常」が完結している世代だから、虚栄を張ってしまっても仕方がない。
ただ、「仕方がない」から「良い」ではなく、だからこそご家庭での管理や学校での挙動を「大人」たちでアンテナを張っていてあげないといけない。
ここが「てぬるかった」かなと感じた。
加害者も「未完成」対、被害者も「未完成」なわけだ。
発覚したことが唯一の救いだけど、「嘘」って重ねることができるものだから、きっと苦しかっただろうな。
この事態を懸念し、「現金の大切さをどう教育するか」という問題が上がった。
今流行りのNISA、iDeCo、果てはFXやふるさと納税などの「投資」だが、この落とし穴は「お金が数字である」ことだ。
ゲームが日常化する現代では「貨幣価値」の認識がちょっと違うらしい。
一昔前なら「労働対価」として受け取るものが、今は「減ったら増やす」という感覚。
ドラクエのスロットを回すためにAボタンを固定していた「あの頃」を思い出してほしい。
今、「あの頃」状態なのだ。
お年玉も、送金も電子マネーに移行し「現金の重さ」を理解していない子どもも多い。
でもこの先どんどん「お金→電子マネー」になるだろう。
このときの弊害って想像したことがあるんだろうか。
例えば「東日本大震災」などで「通信状態が破綻」した状況であった時。
極論「現金ですらゴミ」にならない以上、現金必須だ。スマホの画面で飯は買えない。
例えるとインターネットを解すものって「幻」だ。
手元にないし、スマホがなければ何にもない。
「現物の大切さ」って教育において端折っちゃいけないのではないだろうか。
うちの次男が500円玉を持ってコンビニへ行き、お釣り「170円」をもらった時。
「お金が増えた!!」(枚数)と、大喜びだった。
…いや、減ってるが。
でも、この「体験」って大事だと思う。
だからつまり、「駄菓子屋さん」が近所にあったら、こんな事件起きなかったんだろうな。
って思った。