ASDのただの主婦

       ASD診断前から診断後も続投ブログ。ASD目線だからこんな思考だったと後からわかるの巻。

コミュニケーションツール

いつも書き溜めたブログを順次更新しているので、日にちがバラバラなのだがこれは先週書いたもの。↓

 

いつものCOCO'Sでランチセット…だけど私にとっては「朝ごはん」の鶏肉サラダ。

追加でポテトサラダを付けた。

かなりボリューミー。

…「メニュー開発」担当なので、自店の新作も兼ねての調査注文…。

「いちごモンブラン」すげーデカかった…COCO'Sッ…!!

 

さてさて…最近の若い人に多いそうだが、文章を「。」で止められると「威圧感を感じる」…という…どうしようもない問題。

 

現代っ子は語尾を「!」にすると「任されている感」がして、気分が和らぐそうだが、それはまやかしだ。「。」を「!」にしたところで内容は何も変わらない。

 

こちらからすると「やる気満々」というか、「ファイナルアンサー!!??」的な圧も感じるが、この「おばぁとおじぃの気持ち」は汲んでくれないのだろうか。

何でもかんでもそっちに合わせないといかんのか。

 

いずれ私達は押し出されて、未来もマジョリティ側に自動的に更新されるんだろうから、「共存中」くらいお互い譲歩でいてほしい気も。

 

別に悪気もないし普通に文章作っているだけだし。

単純に「句読点」の概念で使っているだけでも敬遠されてしまうそうな。

困ったな、国語が全否定か。

 

SNSが普及し、「スタンプによる返信」から「休むときのLINE連絡」果ては「辞める際のディップさん」と、なんだか「いらんところが簡易化」して発展中だが、そろそろ「リアルの大切さ」に気づく輩はおらんのかと思ってしまう。

 

ファッションのように「進化」だけでなく「エモさ」も認められれば、「温故知新」の精神で物事を捉えられるはずなんだが、どうも未来は「一蘭化」(非接触ラーメン屋)を辿っている。

 

コミュニケーションから逃げる術だけは発展すんだなと…で、「少子化」とか。

「ふ〜ん…」である。

「非接触型=心が楽」みたいに進化し続けているが、その域に達するまでの紆余曲折がなければただの「逃げ」だ。

今は「面倒くさいものを減らし、より簡易化する」のが正解みたいに言われている。

 

私が個人的に最近感じるのは「リアルから逃げる若者」と「堪え性のない中年層」の増加だ。

前者はとにかく「我感せず」で関わり自体を避ける。

後者は概ね「排除」してくる。

自分の肌感だが「事態」に対し、真摯に向き合う人にどうも出会えない。

 

場合によっては「もめたって良いじゃん」と私は思う派。

だって他人同士の意見を一致させることが目的だった場合「無理を強いられる人と、主張を緩めない人とのせめぎ合い」みたいなもので、「折れないと」完結しない。

 

こうなると終着点は「論点」ではなく「互いの納得」でしかないわけだ。

 

ASDはそもそも「相手の意図」が図り辛いので、自覚している私としてはまずは相手をちゃんとわかってあげたい。

だから話し合ってお互いの相違点が理解できれば解決に向かえると結構純粋に信じている。

なので「先ずは相手の意見を聞こう」と努力するのだが、「そもそも話す気もない」相手が多すぎる。

 

こればっかりは「人による」のだろうから、私が「求めてもいけない」というボーダーラインも理解する。

でも、こうやって「あなたの意見を聞く体制です」あ、嫌なんですね?

じゃあ「聞かないです」あ、それも不満?

では「どうしてほしいのですか?」え、汲み取れ??

 

「…わかるかーーーー!!」どんだけお前に譲歩しないといかんのだ。

お前、今私に一歩でも譲ったか??私は仏か!!???と、不満が爆発する。

 

どんな問題でも自分の意にそぐわないと「私抜けます」みたいな結論をすぐに出す人もいる。こういうタイプは「グチャグチャするのが嫌だ」と「結論」を先に出す。

それを許諾したらしたで「とかげの尻尾切りだ」と「あとから経緯をぶっ込んで来る」結果「一方的な不満だけ拡散」されネチネチ言われ、すぐに「自分にとってのyesマン」を囲い始める。

 

私にとっては「そいつが抜けたら終わり」。

それに対し「問題解決」のときにはだんまりだった割には、蚊帳の外になった途端に元気に活動し始める。

「お前が納得するまでが争点なんかーい!」と、突っ込みたくなる。

 

人付き合い…SNSが普及し、毒も上手に隠せるようになり。

表面上は上手く行っているかのように思っていたけど、水面下は泥水なんだな。

 

私は「人の意図がわからない」ので、相手を知ろうと凄く苦労してきた。

どうやったら希望に添えるんだろう。どうやって自分の気持ちを出せば良いんだろう。

始終考えてきたので、今の「直情組」がサッパリわからない。

 

「鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ホトトギス

現代人はみんな豊臣秀吉思考だ。どんな手をつかてでも「自分」を通そうとする。

そうすることができる簡易ツールがたくさんあるからだ。

しかも「体裁だけは合わせてくる」ので、沼がもっと深い。

 

私は自分を知って、「もう人間関係から逃げないぞー」と心に決めた。

でも、向かい合う相手は年々手強くなっていく。

私にも通したい感情がある。

でも最近自分を押し込み、我慢ばかりだ…世捨て人になりたくない…。

 

ちいかわを好きになった理由が「自身の投影」であれば、なんだか納得がいく。

「喜びがないー」(ハチワレの名台詞)

夕飯は「チャリメラ」食べよ…。

 

今の私にとっての「仙豆」である。