今日は旦那が休みを取ったので、舅と姑に会いに行った。
舅さんは高齢による妄想障害、姑さんは認知症で別々の施設に入っている。
私は10年前くらいに一度お会いしたきりで、今回も「来なくて良い」(引っ張られるから)と言われ、運転手として旦那を送迎した。
施設へ行くのは初めてで、両方自宅から一時間以上かかって遠かった。
途中、図書館へ寄って小学校での読み聞かせ用の絵本を借りた。
そのあと近くに就労支援を行う飲食店があったので、お昼を食べに行った。
そこで働いていた方はダウンちゃんか知的障害者の方たち。
皆さん指示に対して懸命に自分の仕事と向き合っていて、心に響くものがたくさんあった。
自身も飲食店をやっているけど、どんなアルバイトさんよりも丁寧に仕事をしているのに、彼らの時給は低くてそこで提供しているメニューの値段も軒並み安すぎた。
「指示をする人」が必要であることと、「効率」を考慮してなのだろうが、「社会」に合わせるには対価が見合わない。
もはや「普通」ってなんだろう…。が、また始まってしまった。
私はASDであり、小さい頃から相当「変人」扱いされてきた。
思い返せば奇行ばかりだったので、「はい、すいませんでした」とは思っているが、そうはいえど私も私で相当傷つけられた。
例えばこういう事を強要されていると想像してほしい。
自分が45歳だとして、
「明日からあなたは年齢が30歳若くなったと仮定して過ごしなさい」
と、突然言われて、次の日から学ランないしセーラー服を着て、中学校に登校しないといけなくなるとする。
もちろん「見た目も中身も45歳」のまま、精神年齢をわざと下げて「合わせないといけない」。
明日から自分の子どもより若い子どもたちのクラスで授業を受けるのだ。
できるか??と、問いたい。
これを私はやってきた。
というか、現在進行系でやっている。
私以外の「隠れ定型発達障害者」や「隠れ精神疾患者」だって同じことだ。
何がなんだかわからないけど、「とにかく周りに合わさなくては!!」と、必死になっていた。
他人の言葉の表裏も分からず、奇行と取られて気味悪がられて、黙ったら黙ったで総スカン。
家に帰っても「理解していない親」に「どうせお前はできない」と、責められるのだ。
自分が傷つかないように必死に「周りに合わせて」本当の自分に心を閉ざした。
そうやって「私は普通のキグルミを着ている状態」と仮定しないと、本性を見抜かれて潮目が引くように誰もいなくなる。
その繰り返しでようやく周りに馴染めてきた。
この私の努力、たった一人で戦ってきた孤独。
「ト・モ・ダ・チ…??」くらい追い詰められた極限状態。
何十年と頑張って「普通」になろうともがいているのに「普通」の人たちは私達にどれだけ合わせてくれたのだろう。
そもそも合わせる必要はあったのか。
例えば私は「人の気持ちを汲み取る」ことが苦手だ。
なので、「相手の身になって」かなり考えて話したり対処をしてきた。
その「考える割合」が、旦那曰く「普通1」とすると「私は1000」らしい。
桁違いすぎる。
なんなら「相手の身になる」どころか「相手になっている」
しかしそれほど相手を想い、様々な角度から分析をする。
「こう返したら嫌がる風潮だから、こう返そう。しかしこう返されたらこう言わないとならないから、そのためには今こう返して、こうきたらこうするけど、こうしないときはこう…」と、とにかく一挙手一投足に藤井聡太並みに深読みする。
裏を返せば「それだけ相手を大切に想っている」わけだが、相手は「普通1」でそつなく返してくる。
この労力こそ対価に見合わない気が…。
何故にここまで社会に媚びる私。
社会が合わせろ。
そんな話を移動中こんこんとしていた。
「合わせる必要性」としては、私が他者と合わせることを努力したお陰で、少なくとも子どもたちは「私みたいに」苦労しないで済んだ。という結論。
何か報われないとどうしようもないので、負の連鎖を食い止められる「何か」となるなら努力した甲斐はあった。
しかしだ、これから旦那と私の未来がやってくる。
ここで私が自分を抑止する意味はあるのだろうか。いや、否だ。
子どもたちが巣立ち、人生の焦点が自分たちにあたる。
…ASD全開の未来だ!!!
残り半世紀…もう、我慢するもんかーー!
イメージは「サナギからチョウチョになる」感じ。
キグルミを脱いで羽を伸ばせる!
助手席で旦那が
「…マジかー…」と、うなだれていた。